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noteだけは絶対書きたくなかったんだって話。


noteだけは絶対に書きたくなかった。冒頭からnoteに喧嘩を売るような文章だ。でも本当に、この文字通り、むしろnote、という言葉を聞くだけでちょっと震え上がるくらいには遠い存在だった。

昔、昔昔、縁があってしまった人がnoteをしているから。

2年前、もう2年も前なのかと震え上がる自分もいる。その2年動いた心のほとんどを占めていたと言い切れる気がする。衝動的で楽観的で盲目的な私だった。
「きはらはその人のこと、好きになりそうだよね。」
出会って数ヶ月の人に言われた。その時はそんなことないよ、なんて言っていたはず。
数ヶ月後、ものの見事にそうなった。何が好きかも忘れるほどだった。だけど、その衝動や感情を言いくるめるには好きという言葉がいちばん近い気がしていた。好きだから依存したのか、依存したから執着したのか、もう答え合わせはできないけれど。

寝落ち電話、を初めて知った。さみしいと言われればそれに応えたかったし、何か返したかった。痛い部分を見守って、わざわざ踏み込んでくれたその人に何かしたかった。もっともっと単純に言うなら、喜んでほしかった。幸せでいてほしかったのだろうと微かに思う。ただ、私が重過ぎた。幸せはするものじゃなくてなるものだ、なっていることに気付くものだ。誰かを幸せにしてやろうなどと不相応なことを幸せでない私が願ったことが何よりも不幸だったのだ。もっと単純でいられたら、好きという感情に終わりがあることを知っているから焦っていた。生き急いでいた。常に苦しさや葛藤の中に居て、もうどうすればいいのかわからないままひたすらだった。その道が間違っていると知りながらずっとずっとそこにいた。

年明けに連絡が来た。あけましておめでとう、と昨年はありがとうかお世話になりましたかそれに近いもの。それと呑みに行こう、と決意表明を書いたnoteのURL。何事だと年明け早々に震えた。ご丁寧にnoteを読み、感想を軽く伝え、いついつが空いてると言ったもののこのご時世、そう簡単に人とのご飯が成立する訳もなく。また今度、いい機会だと思った。「縁があったら行きましょうね」と言った私は自分でその縁を無理矢理断ち切った。ひどく、わがままで、一方的に連絡先を削除した。甘えるには絶好の場所だった、リターンは無いけれど甘えられる場所、いざとなればという緊急避難先のようなものだったのかもしれない。今なら到底そうは思えないけれど。むしろ心を削っていた。辛いことをさらに辛いことで上塗りすることでしていた1つの自傷行為かもしれない。
返ってこない返信、ずっと待ち続ける自分、通知の1つ1つにひどく反応して、その度にそんな自分を憐れんで嫌うような毎日を終わらせたかった。いや、続けたかったのかもしれない、だけど終わらせなければいけないことだと、私は、ずっとずっと知っていたのだろう。
もう会うこともないはずなのに未だに夢に出てきたり、記憶が思い起こされてたまらなく泣き出したく、走り出したくなる時がある。間違いなくそこにあったはずの幸せと同じものが今の自分に無いのだと終わって数週間は穴の空いたような気持ちだった。忙しさがなければ、その事をずっと見てしまっていただろう。

noteを更新しているインフルエンサーは多い。私が応援する人、好きだと思う人の中にも何人かいる。だけど読めなかった、読まなかった。誰に向けた言葉なんだ、なんて理不尽なことを思ってしまったり、今言葉をこうして書いている自分にも常に思っている。

だけど書こうと思ったのは、文章を書くことの習慣化、思ったことを言わないことが多いというか思っても言う必要がないことの多い。だけどこれから私がしたいことは思ったことを書き記し考えること。その練習というか、体験というか、経験というか、そんな曖昧なものにしたいと思った。

未練がましいことをつらつらと長々と書いたけれど、これでまた1つ終われるかもしれない。もしかしたら文章を、言葉を書く、言葉にするということは物事の終わりを探す作業なのかもしれないなと思う。こうして書くことで瞬間の私を終わらせ続けたいな、そんな言葉を書けたらいいなと思った。

「noteだけは絶対書きたくなかったんだって話。」


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