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既読無視が苦手っていう話。

既読、
既に読みましたよっていうのが目で見て分かるシステムがある。TwitterのDM然り、インスタのDM然り、最もポピュラーで身近なのはLINEだろうし、私にとっても「既読」と聞いて1番初めに浮かぶのはあの緑のアイコンだ。

LINEってすごい。5歳児みたいな感想になってしまったが、実際とんでもなくすごい、知らないうちにとてもとても当たり前になっている。すぐにメッセージを送ることが出来て、電話もできて、ビデオ通話もできる。好きなブランドのアカウントを追加して新作の情報やクーポンを手に入れることも出来る。そこでメッセージのやり取りをした時に表示される「既読」、私は既読をつけて何も送らない、いわゆる「既読無視」という行為がものすごく苦手である。

会話が終わりそうなタイミングは会って声で会話していないからこそ、明確に分かりやすくその画面上に存在している。気にしていた話題について一通り終わってスタンプが送られてくる。多分そこでは何か返事を求められているわけでないと分かりながら、スタンプにスタンプを再度送り相手の既読無視を待つようなことを度々する。相手のメッセージを読みっぱなしで終わっているということに何となくの申し訳なさを感じてしまう。一定数同じ考えの人もいるのでは無いだろうか。既読無視はなんだか落ち着かない。何か返さないと、という気持ちになる。そこまでいかずとも、つい返してしまう。無視という言葉が持つマイナスイメージに該当しないためにしているとも言える気がする。自分が無視した側になると後味が悪い。現実であった時、無視されて気持ちがいいと思う人は多分さほど多くないだろう。小学生の時、いじめに関するプリントで「無視」が挙げられていた事を思うとやはり無視は良くないこと、悪いこと、というイメージが強くあるように思える。実際LINEが出た当初は既読無視する人を悪い人、のように感じることもあっただろうし身の回りでも聞くことがあった。ただこれを既読無視、と捉えて悪い事だと言う人もいれば、そう捉えずに何も気にしていない人もいるかもしれない。何をどう良い悪いとするかはある程度は人の価値観に収まるものだとも思うが、無視という言葉が悪なのではないだろうなと感じる。

極端な話だが、歌詞に「無視」と入っていてその曲がめちゃめちゃエモくて切なくて良い曲だったら、その無視という言葉は悪者の言葉から途端に曲を彩る1つの言葉になる。もちろ「死んでしまえ」や「お前なんて」といった言葉、それら全て良いものかと言われるとそうでは無いかもしれないが、結局のところその言葉から連想されてしまう、その言葉の陰にある人間の存在や生き様が言葉のイメージを構築しているのではないだろうか。

印象というものは時に便利で時に不便で、そのおかげで何かで居られるのかもしれないし、反対に何にもなれないのかもしれない。未知数、なんて便利な言葉を使いたくもなる。
既読無視、聞いてどう感じるかもアンケートしたら面白いかもしれない。これも未知数であり、結果によってはきっと言葉のイメージが変わるものなのだろう。何事も不変でないものなど存在しないのかもしれない。

「既読無視が苦手っていう話。」


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