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ポジティブになってもいい

バグダッドカフェという映画を観た。この映画をご存知だろうか。

大まかなあらすじは以下の通り。(結末も含みます)

砂漠の真ん中でガソリンスタンド兼モーテル兼カフェを営むブレンダは、金を稼がない夫、遊び回る娘、下手なピアノばかり弾く息子に、壊れたコーヒーメーカー、やる気のないスタッフ、散らかった部屋、何もかもに対してイライラしていて不機嫌だ。
風変わりな人たちが集まり、気だるい雰囲気を醸し出していたその場所へ、異国からの旅行者ヤスミンがやって来る。滅多に来ないモーテルへの客に、疑いすら持つブレンダ。実は、ヤスミンは夫と喧嘩して車を降りてしまい、やっとの事でここへたどり着いたのだった。
ヤスミンは、優しい女性だった。困っていると思えば手伝いたいし、興味があることがあるなら教えてあげたい。皆んなを楽しませたいし、仲良くなりたい。あの、いつも不機嫌なブレンダとでさえもだ。人々は、一緒に時を過ごすにつれ、ヤスミンの優しさに触れ、徐々に変わって行く。ヤスミンと人々の間には絆が生まれ、あの不機嫌で気だるかったバグダッドカフェは、笑顔溢れる憩いのオアシスとなっていく。

ざっとこんな感じの映画だ。

ブレンダの生活は、何も変わっていない。同じ場所で、同じカフェを続けている。だが、ブレンダは、ヤスミンと娘と一緒に、息子のピアノに合わせて歌い、踊り、手品を披露してお客さんを楽しませるようになった。ガミガミと嫌味や怒鳴り声に溢れていたそこは、笑顔と歌声と拍手喝采を集める場所へと変わっていた。ブレンダの癇癪に耐えられず、出て行った夫も、信じられないという顔をして戻ってくる。

私は、自他共に認めるネガティブ思考の持ち主だ。
何故ネガティブなのかと言うと、ポジティブになるのが怖いからだ。心配事や不平不満を常に持ち、夢など見ずに現実を見る。そういう風にしなければ、無駄に希望に満ち溢れて、失敗する。もしかしたら、こんな最低な事が起こるかもしれない、と身構えておいた方が、後で傷つきにくい。思ったより酷い、より、思ったよりマシ、の方が救いがあるように思う。
私は、まるでヤスミンに出会う前のブレンダだ。世の中のポジティブなものを信用していない。

だが、思い出してみれば、ヤスミンと出会った後のブレンダは別人のように楽しそうだ。あまりにも幸せそうなので、全く同じ状況でも幸せに生きることってできるんだ、そっちのが得じゃないか、と思ってしまう。
何を怖がっているのだろうか。
ヤスミンと出会う前のブレンダでいることに何の得があるだろうか。

誰かのためではなく、自分たちのために歌い、笑う。この世の中で、嫌な毎日で、何もいいことないけど、笑っていればちょっと楽しくなる。その場が明るくなる。
ボロボロのモーテルで、貧乏で、お客さんも少ないけど、何もなくても出来ることをして、少しでも楽しくしよう。音楽をかけて、歌おう。踊ろう。手品もやろう。そして、笑おう。

笑っていること、笑顔が見えること、笑い声が聞こえること。それだけで、同じ場所で同じことをしていても、全く違う風景になることもある。
傷つくのを怖がって毎日ネガティブに過ごすのか、少しでも日々を楽しもうとポジティブに過ごすのか。
後で傷つくその時でさえ、笑顔でいた方がマシに違いない。
今すぐポジティブになるのは難しいけれど、そんな考えが、ふと、ふいに舞い降りてきた瞬間だった。

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