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アナウンス

通勤電車で流れるアナウンス

「次は○○駅に停まります、○○駅の次は、△△駅に停まります。」

続いて流れる英語のアナウンスと出口や乗り換えの電車を女性の声が知らせる。

新卒で入社した会社に勤めて2年目に入った。ほぼ毎日乗っているのと、停車駅が少ないのでもうアナウンスは耳にたこができるほど聞いた。暗唱は難しいけれど。

今日ふと、聴き馴染みのある声を聴きたくなり、iPhoneを取り出して検索欄に打ち込む。

”スーパー北斗 アナウンス”

穏やかで柔らかい男性の声が、youtubeから私の耳へ流れ込んでくる。その声、大橋俊夫さんが伝える停車駅に、危うく涙がこぼれそうになった。

函館〜札幌間を数えきれないほど乗車した私にとって、この声を聞くことでたくさんの思い出が蘇ってくる。

幼い頃は、祖父と伯父夫妻が待つ札幌へ向かうためにJRに乗った。行きは到着をまだかまだかと待ち焦がれ、1つ駅に停まるたびに母親に「あと何駅?」と尋ねた。札幌のキラキラとした街並みが近づいてきた時の喜びを今でも覚えている。反対に、帰りは悲しくて悲しくて仕方がなかった。ホームで見送ってくれる祖父と伯父たちが、離れていく汽車に向かって走るフリをして笑わせようとしてくれたのに、窓からそれを見つめる私の目からは涙が止まらなかった。同乗していた見知らぬ人が、微笑み(?)ながら心配されたことがある。

中学生の時は、習い事の帰りや引き続き祖父と伯父夫妻に会いに行く際にお世話になった。この頃、特急でしか読むことができない車内誌で小檜山博さんのエッセイに出会った。中学生ながらに読みやすく、親しみやすい文章だったことですっかり虜になった。

高校生の時は、楽しい気持ちで乗ることよりもプレッシャーや不安感で揺られることが多かった。そして、飛び乗りたいのに乗ることができないもどかしさもあった。久々に出る大会、受験、私のたった1人の祖父の体調不良。苦しい時期だった。

大学生の時は、進学でスタート地点とゴール地点が逆転した。さらには、帰省費用を自分で出していたのでJRに乗るのは冬だけになって少し疎遠になった。それでもJRに乗って帰省して、札幌に戻ってくることは自分にとって自然なことになっていた。大橋俊夫さんのアナウンスと小檜山博さんの車内誌での乗車は今思えばかなり贅沢だったと思う。

そして現在、就職してからの2年間は札幌〜函館間のJRに乗ることはできていない。だけど今年2月に札幌を訪れた際に、新千歳空港〜市内間を結ぶ快速エアポートのアナウンスが大橋俊夫さんだった。

耳に飛び込んできた瞬間に、ぐわっと心が揺さぶられた。

知った土地ではあったけど自分が違う土地で暮らしている間に違う時間が流れていることを思い知らされた。帰って、受け入れてくれる場所ではあってもどこかよそよそしい気がした。

だけど、いつも聞いている女性の声で告げられる声よりも何倍も、大橋俊夫さんの穏やかで柔らかな声がすっと耳に入ってきたし、札幌の滞在に向けてリラックスできた。

この記事を書くにあたって、調べるうちに”スーパー北斗” の名称が変わっていたことを知った。ダイヤ改正や、今まで速度によって区別されていた名称が変わっていて、どこか複雑な気持ちになった。汽車の車体や停車駅が変わらなくても、何かが変わればその変化を受け入れないといけない置いてけぼり感が少し心に空白感を生んだ。

だけど、北海道で乗る汽車に流れるアナウンスの声が大橋俊夫さんということが変わらなければ、私の帰る土地なんだなと思えるのでそこは変わらないで欲しいと願うばかりだ。

今度、北海道に帰る時は汽車に乗って大橋俊夫さんの声に包まれながら両親に会いに行けたらいいなと思う。

(Photo by satoshi_st、Thanks!)


余談:北海道ではJRのことを汽車と呼びます。読んでくださった方、SL列車を想像されたかと思いますが、JRです。あしからず。

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