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君はまるで言葉を解する花のようだ!

 

 小学生時代、僕はいわゆる「お婆ちゃん子」で、お袋が働きに出ていたこともあって、祖母の味付けで育ったものであった。いや味付けばかりではなく、以前にも書き連ねたとは思うが、今では「死語」ともいえる諸々の名称をなんの抵抗もなく受け入れていたものである。例えば、漬物を「香の物」と表現するみたいなことだ。


 他にも色々と影響を受けていて、出身の北海道の昔話などは、後年学生時代の「民族学」の参考にすらなったものであった。

 反面、ちょっと恥ずかしい思いをしたこともある。
 そう。遠足のバスの中でのことだ。引率の先生がおっしゃることに、
「みんな、カチューシャの歌は知ってるわね?」
「はーい!」
「じゃあ、みんなで歌いましょう!」
 
 当然、児童達は声を揃えて歌いだす。
「りんごの花ほころび 川面に霞たち……」
 もとより、みんなが歌い出したのは有名なロシア民謡である。
 しかし、僕一人、こんな風に歌い始めてしまったのだ。
「カチューシャかわいや 別れのつらさ……」

 若い人は全く存じ上げないだろうが、この歌はなんと……松井須磨子が歌った大正時代の歌謡曲「ヵチューャの唄」なのだ!
 そう。祖母から聞かされていて、「カチューシャ」といえばロシア民謡というより、こっちの方が馴染深かったのである。

 しかし、そんな祖母の口からも聞いた記憶にない古い言い回しを学生時代、合宿の費用捻出のための薬店でのバイトの折り耳にして、かなりカルチャーショックを覚えたことがあった。
 かなり高齢のお婆さまの客で、トイレットペーパーのことを「落とし紙」と呼んでいたのだ。僕にして初耳であった。祖母などはその手の紙類は総称して「ちり紙」と呼び習わしていたはず。
 ※僕が無知で知らなかったのだが、今でも商品として売っているらしい。

 当時薬店の店長だった人に、つい質問をぶつけて、
「あのさ……トイレットペーパーって、英語でしよ。日本語では何て言うの?」
「……ええと……そうだな……『便所紙』……」

 たぶん、この時……僕は「隠喩(いんゆ)」の面白さを学習したらしい。
 言うまでもなく、「便所紙」などは口にするのも憚られる。「ちり紙」と呼んだところで、今一優雅ではない。
 やはり、「落とし紙」……言い得て妙である。

 思えば、「隠喩」などは探せば色々と見つかるはずである。
 「おから」のことを「卯の花」と表現する類いである。
 「美人」のことを「解語の花(言葉を解する花の意)」とも言う。さすが、色男の玄宗皇帝である。楊貴妃をかく表現したのだから……

 昨今の女子ならば、「君はまるで言葉を解する花のようだ!」などの口説いたとすれば、呵々大笑されるのがオチだろうが、……味も素っ気もない即物表現よりは「キザ」と言われようとも……「隠喩」による、表現の豊かさだけは忘れたくはないのだが……
 

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