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【SF連載小説】 GHOST DANCE 1章、2章

      

  GHOST DANCE

                                                                                                                                                                                                                                         
     1  覚醒

 トマホークの一撃に頭ぶち割られた身の、「死」とぶつけたトリアージタッグをつい額に張り付けられそうな、ここはてっきり野戦病院?  肉体は半身を夢に、残る半身の、現(うつつ)乞う力も頼りなく、惘然と立ち尽くす意識を尻目に、記憶はあがくほどに闇の彼方に遠ざかる糸の切れた凧のようであった。
 生死の狭間というやつらしい。はて。俺がくたばって泣くやつは誰だろう……出し抜け、額縁に入った少女の顔が螢光色に浮かび、揺れ、おおいかぶさって、墨汁を浴びせられたように闇が散り……

 それからどれほど経過したものか、幾度も夢を見、夢の中で夢を見、入り子の夢の底でもがき、飛び散ったはらわたを必死に掻き集め、血塗れの胎児に笑われ、人殺しの罪におののき、迷子の心細さに立ち竦みつつ誰かを呼び、誰かに呼ばれ、そしてぼんやりと真っ白い壁が照った。

 おそらく病室だろう。

 疲弊した意識の骨休みにひとまず思考を停止、代わって耳を未知の空間に放つところ、ひしと規則的なリズムを掴み取ってくれた。
 リズムはいつしかオフビートごきげんに、ウォーキングベースがブルースを刻み始める。キーはF。うなるベースが十二小節を終えたあと、なんという曲かサックスによるテーマがまかり出れば、フィンガリング淀みなく滑らかな上昇スケールに乗ってアドリブに突入したやさき、小癪にも四小節ほどで指はぱったり動きを止めた。
 ノリの悪いドラマーめ。馬鹿野郎、タイコはメトロノームじゃねえぞ! 悪し様の罵声に、驕りが響く。ちくしょう初めからだ。テンポを取り、再びテーマにそって指が踊る。思い切りブルージィに叫んでやるぜ。マウスピースを深めにくわえ、強烈なタンギングでフレーズを切る。いいぞ、ノレそうだ。
 リズム、リズム。又、遅れやがる。やい、タイコ……とたんにベースが止み、あたりがしんとした。メトロノームの機械的な音だけが……いや、違う。カッ、カッ、カッ、カッ……
 無表情な時計のセコンドのようであった。
                
    2 ささやき

 架空のカルテットを結成してからというもの、いくぶん不安が遠のいた。融通のきかないリズムが気に食わないが、時計のセコンドをドラムスに、呼吸はベース、鼻息をピアノのブロックコードになぞえ、取りあえずのリズムマシーンと心得るところ、指先のサックス、これはB♭のテナーのようであった。
 意識のやつも記憶への未練を断ち切り、いっそ開き直ってでんと構えれば、どこぞで震えていたらしい子分どもにも少しは睨みがきいた。
 まず、視覚。こいつはいまだ薄ぼんやり膜のかかったけはいながら、昼夜の別、時に入室する白衣の姿をとらえ続けた。
 定期的な消灯は、おそらく九時だろう。バンドはここでお開き。
 かくして、曖昧ながらも生活のリズムはしだいに意識の支配下におさまった。しかし、からだを動かすには至らない。想像を絶する激痛が、つい待ち構えている気がしたからであった。
  
         ※

 その日、うちつけ扉の開く音に架空のコンサートが中断された。
 回診? どうもスケジュールに合わない。頼りない視界にも、その兆しは映らない。誰だろう。こっそりと、こちらを窺っているけはいがある。あやしい。不安に突き上げられ、初めてからだの筋肉に指令を飛ばしてみたが、まるで金縛りのていであった。そう。金縛りに出くわしたときの対策は、首を強く振るに限る。頭で枕を穿つよう首を振ると、改めて夢の皮膜が数枚まとめて剥がれ落ちた気がした。
 日常の入口にも似た、かすかに開いた扉に向かって、
「誰だ!」
 思わずの荒っぽい声は、かのぼんくらドラマーを詰ったいきおいであった。ただし、返答はない。必死になって視覚に鞭をいれるさき、ようやく扉の隙間から首を突き出す十歳ほどの少女の顔をとらまえた。顔かたちは定かではないが、お下げ髪にピンク色のドレスが可愛らしい。
「おっかない声、出さないでよ」
 悪びれぬ、こまっちゃくれた声に続いて、
「入っていい?」
 軽くうなずくと少女はするりと隙間を抜け、扉をきちんと閉めてから、からだを左右に振りつつチョコチョコとベッドに近ずいた。長い睫の、小鳥のようによく動く目、薄い唇を尖らし、顎の細い、つるりとした肌の少女の顔が斜め上方からこちらを覗き込む。それから、取ってつけたような労わり声で、
「起きられないの?」
「そうみたいだ」
 意識的に声を和らげて応じれば、
「ねえ、おにいちゃん、トーキチ君っていうんでしょ」
「トウキチ?」
「扉の表札に、『今村冬吉』って書いてあったもん」
 おにいちゃんという呼ばれ方が面映ゆい。少女は壁際から椅子を持ってきて腰掛けると、ポシェットから小さな手鏡を取り出し、所作コナマイキに前髪を直し始める。
「よかったら、それで俺の顔を見せてくれないか」
 無言のまま突きだされた鏡の中に、ややロン毛の、青白い、年齢不詳の、いっそ歴史のない面が浮かびでた。
「ねえ冬吉君、本当に三十四歳なの」
「三十四?」
「そうよ。あたし、せいぜい二十七どまりと踏んだのに、涼ちゃんに訊いたら三十四だって。でも、オジサンじゃちょっとかわいそうね」
「よせよ、三十四なら立派なオジサンだ。で、その涼ちゃんてのは誰のことかな」
「涼ちゃん? うーん、そうねえ……」
 妙にもじもじとするのに、
「ははあ、好きなクラスの子だろ」
「はずれ。涼ちゃんは、冬吉君を診てるお医者さんよ」
「それで、俺の容態とかは聞いてないかい?」
「知らない。でも、事故だって」
「事故? なんの……」
「交通事故らしいって。なんでも、長いこと眠ってたそうよ」
「どのくらいか……聞いてない?」
「知らない。それより、あたしの理想を見せてあげるね」
 少女はそう言うと、ポシェットから手鏡に代わって折り畳んだ紙片を摘み出し、そっと広げて目の前に突き出した。引きちぎった漫画雑誌のひとこまらしい。キザなヘアスタイルの、国籍不明の美青年が親指を突き出してウインクしている。
「ねえ、これ、冬吉君に似てない?」
「はっは、てんでかいかぶりだ」
 少女は、漫画の青年にキスをすると、
「でも、涼ちゃんには似てるのよ。実はね、涼ちゃんが本命なんだけど、あたし振られちゃったの。冬吉君はジゼンってわけ。このお部屋に引っ越してくるの見て、あの人でも、ま、いいかって」
「なるほど、次善ですか。とりあえず、君に目を付けてもらっただけ感謝しておこう」
 少女は自分の唇に一度置いた薬指を、キスの真似事か、こちらの唇に押しつけてから、
「だったら、クリスマスにはプレゼント頂戴ね」
「ちゃっかりしてやがる。まあ、考えておこう」
 言いながら、記憶の闇に閃光が走る。クリスマス。その日に事故に遭ったのだろうか。
「ところで、今、何月だっけ」
「七月よ」
 半年以上の昏睡といえば、かなりの脳障害だろう。シンコクである。考え込む「オジサン」に退屈したものか、少女は左腕にはめた男物の腕時計に目を落とすと、椅子を元の位置に戻し、指先に摘んだ白いカードを捧げ持って片目をつむり、
「ねえ、あたしが遊びにきたこと内緒よ。もし言い付けたら、絶交だから」
「約束する。ええと……」
「あっ、あたし『ささやき』って言うの。じゃ、また遊びに来るかも」
 ウインクで応じた当方をやはり眼鏡違いとでも思ったか、妙に照れ臭そうに指先をひらつかせつつ可愛い闖入者は引き上げていった。

     続く⇒

  

 

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