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沖縄はスーパーマリオサンシャインだった④

沖縄はスーパーマリオサンシャインだった④

我々の命を救った「Aコープ 玉城店」を経て、宿に向かう。
バスに乗り歩いて10分ほどだろうか、ようやくついた宿が「海座(かいざ)」というところだった。
ここは山というか丘というか、よくわからないところに急に現れ、さらに入り方もよくわからないという難易度の高い宿だった。もっとも、フロントの方などは非常に丁寧に対応してくれた。どうでもいい話だが、部屋の案内をしてくれた男性がお笑い芸人「テンダラー」の浜

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沖縄はスーパーマリオサンシャインだった③

沖縄はスーパーマリオサンシャインだった③

シュノーケリングが終わり、少し休んで散歩に向かった。

少し遠くに灯台らしきものが見えたので、そこを目指すことにした。隣のホテルを通って石の道を歩いた。日差しが強すぎてへばったので、日陰に頼りながら少しずつ進む。

「さっきまであそこで潜ってたのか」と思いながら遠く海を眺める。リゾート地として開発されている沖縄の姿を見ていたそのとき、「沖縄ってスーパーマリオサンシャインみてえだな…」と思いが至った

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沖縄はスーパーマリオサンシャインだった②

沖縄はスーパーマリオサンシャインだった②

おじさんが何食わぬ顔で通過していった通行止めのバリケードをどかして二人で侵入してみると、そこにはうっそうと茂った洞窟のような場所があった。

調べたところによると、恩納村の秘境ともいわれる「ウドゥイガマ」という場所だった。ちょっとした洞窟みたいな感じの場所で、ダイバーの間では「知る人ぞ知る」的なスポットらしい。指定文化財にもなっているそうだ。

ずっと自転車でアスファルトの道を走ってきた私たちには

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沖縄はスーパーマリオサンシャインだった①

沖縄はスーパーマリオサンシャインだった①

そういえばコロナもあって奥さんと新婚旅行にいっていないことに気づき、今年くらいは夏休みを合わせようという話になった。休みを合わせてみたまではいいものの、はてどこに行こうと話していたところ、

奥さんの一言に、何らかの島がいいだろうということで石垣島やらなにやらいろんな島を漁ったのだが、いまいちピンとこない。「久しぶりだしどうせなら沖縄本島に行くか」ということになった。
とはいえ、那覇市にいくのもあ

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鹿児島で会ったおっさん

鹿児島で会ったおっさん

学生の時分、九州にぷらっと旅行に行った時があった。
貧乏旅行である。青春18きっぷで鈍行列車に揺られて数時間かけて熊本から鹿児島まで移動していた。

到着が夜遅いこともあって、とりあえず飯を食ってホテルで寝ることにした。飯を食うには鹿児島は居酒屋がたくさんあっていいところだ。適当に入ってサッと食えばいい。
そう思って入った小さな個人経営の居酒屋に、マスターとこれまたおっさん一人。マスターは「ほい」

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1900年ぶりに作られた国へ⑨

1900年ぶりに作られた国へ⑨

翌朝起きてから向かうはかの有名なヘルツェルの墓である。

彼がいなかったなら、今日のイスラエルはおそらくない。
このヘルツェルの墓の近くには、いろんなイスラエルの英雄たちの墓が近くにある。イスラエル建国の志士たちや、護国の勇者たちの魂がここにあるわけだ。実にのどかで静謐な環境であったが、どことない緊張感に包まれた不思議な空間だった。
歴史を変えるのは時間ではなく人なのだと、あらためて気づかされる。

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1900年ぶりに作られた国へ⑧

1900年ぶりに作られた国へ⑧

ヤド・ヴァシェムを後にする。時刻は18時すぎ。路面電車でいったん宿に向かう、なかなかいいホテルだったが、まだ外は明るい。宿も見つかったことだし、せっかくなので嘆きの壁にいこうと思い立った。
エルサレムというのは非常にややこしい場所で、イスラム教とユダヤ教とキリスト教の聖地がなぜかこの場所に固まっている。当然ながらここを巡る宗教の対立、及びそれに付随した争いが起き続けた。
よくもまあユダヤ人もここに

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1900年ぶりに作られた国へ⑦

1900年ぶりに作られた国へ⑦

こういうときはノンバーバルに頼る以外に選択肢はない。
ベン・グリオン!ベン・グリオン!とうなされたように言いながら謎のアピールをすると、「ああ、知ってる!」みたいなリアクション。

知っているか知らないのかは聞いていないのである。何処に家があるのかを聞きたい。しかし"WHERE"の響きを彼はどうしても理解しないのである。

仕方ないので彼がベン・グリオンのことを知っているという無意味な情報を手に、

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1900年ぶりに作られた国へ⑥

1900年ぶりに作られた国へ⑥

翌朝はイスラエルの南にあるネゲヴ砂漠に向かうことにした。
朝早くからバスに乗るわけだが、暫く走るとバスの車内で「ビーッ、ビーッ」とアラームのような音がしはじめた。運転手もいろいろと機器を動かしはじめたが、音が鳴りやむことはない。
何が起きたのかはわからないまま、普段100キロ以上を出すバスが、20~30キロで走りはじめた。バスに何か故障が生じたのだろうか。私ができることもないので、黙ってバスの停留

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1900年ぶりに作られた国へ⑤

1900年ぶりに作られた国へ⑤

翌朝、宿を出て死海へと向かうバスに乗った。
ここのお目当ては、かの有名な「マサダ」である。

マサダというのは、ユダヤ人がいまから1900年前に国を喪ったそのとき、ローマ帝国の攻撃を受けてもなおしのぎ続けた場所だ。山の上、灼熱の太陽が降り注ぐその砂漠のごとき場所でユダヤ人は独自に生活技術を発展させていたそうだ。雨水を生活用水に使えるように、山の地形もうまく工夫し、特定の場所に水がたまるようにしてい

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1900年ぶりに作られた国へ④

1900年ぶりに作られた国へ④

テルアビブに着いた。時間があったので少し町を散策しようと思い、ほっつき歩いてみることにした。
ばかでかい建物にあるのが市庁舎らしい。都庁もびっくりの立派な建物だ。男性がこの市庁舎の階段を自転車で下ってきたときには思わず驚いたが、それ以外は極めて平和な場所であった。

ホテルを出て以来か、久しぶりに座った。
足の疲労は糸がほつれるように取れていくのがよくわかった。
しばらく休んで行動再開である。市庁

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1900年ぶりに作られた国へ③

1900年ぶりに作られた国へ③

ハイファの宿は社会福祉施設の運営する宿だった。宿の近くには障害者や幼い子供の面倒を見る場所があった。宿のホストは娘二人をもつお母さん。娘さんたちとしては、ひげぼうぼうの日本人が来ていることに物珍しさもあったようで、不思議そうな瞳で私の顔を覗いてきた。私が笑うと、彼女たちは恥ずかしそうに外へ駆けだしてしまう。どんな国でも子供は可愛いものだ。
宿は汚かったが、眠るぶんには何も困らなかった。

15時間

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1900年ぶりに作られた国へ②

1900年ぶりに作られた国へ②

第1の目的地はテルアビブだ。

国際的にはここが首都ということになっている。当のユダヤ人はエルサレムが首都だと譲らないそうだ。
ひとまず、バスターミナルからどこかバスにでも乗っていこうと思ったのだが、駅を降りるや否や早速若い女性が
「世界を、地球を救わないか!」
と私に声をかけてきた。環境保護の運動をしているようで、真剣すぎるが故、マック赤坂氏のように目が据わっていたのが印象的だった。

地図が読

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1900年ぶりに作られた国へ①

1900年ぶりに作られた国へ①

中東諸国というと、イスラム教・砂漠・テロくらいしかイメージのない人も少なくないかもしれないが、その中でも異彩を放つ国がひとつある。
イスラエルだ。

イスラエルはあのアラブ人の住む中東諸国の中で、唯一とも言っていいユダヤ人の国である。もっと言えば、今では地球上で唯一のユダヤ人の国だ。
周りはアラブ人たちに囲まれ、背中を見ると海という「リアル背水の陣」状態なわけだが、一方で中東では断トツの発展を誇り

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