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人に合わせつづける人


実際にあった話。


6人でレストランにいた。大人6人だからお料理もたくさん頼んで、みんなでお喋りしながら楽しく食事をして、お皿が空っぽになってきた時のこと。

私の隣の人が、向かい側の人に言った。「どう?お腹いっぱいになった?何か頼む?」すると向かい側の人は、


「ううん、もーお腹いっぱい!もう要らないね」と答えた。


実は隣の人、向かい側の人に問いかけながら言葉が終わらないうちに次には私の方にも顔を向けていた。つまり、言葉の最後は私に向かって聞いていたのだ。だから私も答えた。


「んー、もうちょっとなんか食べたいな」


隣の人は、向かい側の人→私、という風に順々に聞いていった形になるので、向かい側の人は私より少し早く答え、その後すぐに、私が答えたことになる。


そこで、何が起きたか。


向かい側の人は「ううん、もーお腹いっぱい!もう要らないね」と答えたのに、そのあとに私が「んー、もうちょっとなんか食べたいな」と答えたのを聞いて、すぐさまこう言ったのだ。


「まだお腹空いてる!何か頼もうか!」


いやいや。さっき、もうお腹いっぱいって言ってたよ。彼女はそのあとの私の言葉を聞いて、即座に、数秒前の自分の意見を変えたのだ。

お腹いっぱいならそれでいいのに。なんで言い換えたの?

これは彼女の優しさなんだと・・・分かる。けど自分の意見まで変える必要はない。自分の意見を変えなくても、まだ食べたい私に、食べ物を与えることはできるのだ。

自分はお腹いっぱいだけど他にまだ食べたい人がいた、それなら注文はするけど「私はもういいわ」と言って自分は食べなければ良いだけなのだ。無理をすることは、ないのだ。


そして追加でお料理を注文したのだが、そこで、何が起きたか。

もうお腹いっぱいだと言った彼女、食べるのだ。恐らく彼女の本当の気持ちは、お腹はいっぱいだったのだと思う。けど他の人に合わせて、お腹が空いているフリをして食べるのだ。


これは軽く、ホラーである。


いやもしかしたらこうか?本当はまだ何か食べたかったんだけど、みんなはもうお腹いっぱいだろうなと勝手に想像して、先回りした答えを出したのかもしれない「もう要らないね」と。

もう、こうなると傍から見ていても、彼女が何を考えているのか分からなくなる。まあ、私も昔は人に合わせまくって生きてきたので、この手の発想は分からなくもない。

だいたい、人に合わせる人というのは、相手の気持ちや考えを想像しようとする。それでその人の要望を叶えようとする。要は、優しい人なのだ。

しかしいくら想像したところで、使っているのは自分の脳。自分の脳でいくら想像力を働かせたところで、相手の脳が考えることなんて、分かるはずもないのだ。

人に合わせる人は、気づいていない。自分がいくら想像しても、相手の気持ちや考えを知ることはできない、ということを。一生懸命に考えれば、相手の気持ちが分かると思っている。

だから先程のように「みんなはもうお腹いっぱいだろうな」という勝手な想像をでっち上げ、それが正解だとなぜか思い込み、先回りして回答をする。


つまり、そうして出した回答は、自分の考えではないのだ。

さらに、相手の考えでもないのだ。



ホラーだ 笑


さっき、人に合わせて相手の脳を想像しまくろうとする人は「優しい人」だと書いたが、同時に「自信のない人」とも言える。

怯えていて、自分の意見が言えない。自分を信じていないので、自分が言うことは相手に受け入れられないと信じている。

だから人が考えていることと同じことを、自分も言えば、自分は受け入れられるだろう、嫌われない、とこじらせた思考で固まってしまっているのだ。

これは、このタイプの人でないと理解できない考え方だろう。これを読んで「分かる分かる」な人は、人に合わせるタイプの経験者。反対に「は?なにこれ」な人は、自分の意見を出すことに恐れを感じていない人だ。

こんなこと(人の脳を想像してそれに合わせようとする)を続けていたら、どうなるか。

ついには自分の考えが、分からなくなる。自分はお腹が空いているのか、いないのか、この映画が観たいのか、観たくないのか、あの人とランチに行きたいのか、行きたくないのかが、分からなくなる。


自分のことなのに。

人は気づくよ、こういうのは気づく。私が「あ、数秒前の自分の意見を変えた!」と気づいたように、そこにいた残りの4人も、気づいていたはずだ。

そういう姿を見て、人は「いいな」と思うだろうか?相手が無理して自分に合わせてくれることが嬉しいだろうか?意見をコロッと変えるような自分の無い人と、深い付き合いがしたいと思うだろうか?

自分の秘密を誰にもかれにも話す必要はないが、自分は「どうしたいのか」くらいの本音は、出した方が良いと思わないか?


本音を出した方が好かれる
と言われるのは、そういうことだ。


この人は自分が人に合わせればうまくいく、と思っているのだろうが、そうではない。

しかも人に合わせているつもりでいるだけで、合わせられてもいないこの現実。だからいつまで経っても、人づきあいが辛い。

彼女が私の思いを叶えてあげたい(つまりもっと食べたいという願望)と思ってくれたように、私も「彼女の思いを叶えてあげたい」と思っているのだ。人はみなそうだ。相手の希望を叶えてあげたいと思っている。


しかしそれは、本音を出してくれないと出来ない。


人に合わせつづけていると、自分が居なくなる。少しずつ、自分の気持ちを出す練習をしていった方が、人間関係はうまく回転しだす。好きな人からも、好かれるようになる。

そして本音を出していれば、人と考えが違うことはあっても、否定や拒否をされないことを知るだろう。人が自分と違う考えでいることは、拒否ではない。

それを経験していってやっと、自信がついてくる。

もっと食べたいと思っている私が「もうお腹いっぱい、もう頼まなくていい」と言われたところで、嫌な気持ちなんて一つもしない。

人が食べる量に違いがあるのは当然だし「あ、私はもうちょっと食べたいから頼んでいい?」と、ただそれだけのことだ。

他人と自分の考えが違うことを、恐れるな。違って当たり前だし、違ってていいのだ。違うからこそ、色々なモノやコトが生み出されるのだ。


自分の意見を素直に出して、嫌われることはない。


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