見出し画像

幕府を開いた話

 小四の時にテレビで『SHOGUN』という映画を観たのがきっかけで、歴史や時代劇にはまり始めた。
 ちょうど学校の班替えで班長になったのを機会に、「俺のことは班長じゃなくて将軍と呼んでくれ」と云ったら、本当にそう呼ばれ出した。だから次の班替えまでの短い期間、自分は郷里に幕府を開いたのである。
 同じ班の神島はそれが随分羨ましかったようで、次の班替えで自ら班長になって将軍を自称したけれど、誰も彼をそうは呼ばなかった。いくら自身で名乗ったって、器が伴わないではやっぱり駄目なのだろう。
 神鳥もそれを悟って諦めたのか、或いは単に飽きたのか、じきに将軍の自称をよしてしまった。
 その年末に友人らへ送った年賀状には、全部「征夷大将軍 百裕」と書いておいた。
 今になって振り返ると恥ずかしいこと夥しい。送ってしまったものを自分ではどうしようもないから、みんな破棄されていることを願うばかりである。

 小五の時は大河ドラマの『徳川家康』を毎週楽しみにしていた。
 当時は信長ファンだったので、主役の家康よりも信長に注目した。信長役は役所広司で、文句なしのはまり具合だった。この人なら信長役を託せると、随分上から納得したのを覚えている。そうして今でも、信長役は役所広司のものだと思っている。
 この『徳川家康』の原作本を、大人になってから読んだ。
 全二十五巻をブックオフの百円コーナーで一冊ずつ買い揃え、職場の昼休みに読み進めていたら、読了まで五年かかった。そうして信長ファンから家康ファンへ鞍替えした。
 自分が読み始めるより少し前に、同僚の檜田が「最近、山岡ハッソーの『徳川家康』を読み始めたのだよ。やっぱり、本を読まないやつは駄目さ」と言ってきた。
 山岡ハッソーは聞いたことがない。山岡荘八だろうと思ったが、面倒くさいから「へー」と言っておいた。
 本を読まないやつというのは、彼の部下の加澤のことらしかった。檜田は何かにつけて加澤を否定したので、今だったらとっくにパワハラでやっつけられているだろう。

 その後、檜田は悪事がバレそうになって、「僕悪くないもん」と云って逃げた。加澤はそれから十数年後に会社を呪詛して辞めた。

この記事が参加している募集

自己紹介

振り返りnote

よかったらコーヒーを奢ってください。ブレンドでいいです。