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区切りがよく分からない。ドイツ生活のぼやき - 19

ドイツで生活していて、「え?これで話は全て終わったの?」と区切りがよく分からないシーンが多いことに気がついたので、ちょっと書いてみます。というのも、これは世界中のみんなが困っているテーマかと思っていたのに、イタリア生まれイタリア育ちの夫にとってはあまり大きな問題であるようには見えず、わたしの問題なのか、日本育ちの人特有の困難なのか、気になったので……。


不思議な沈黙、薬局にて

先日薬局(アポテーケ)で処方箋なしで買える一般的な薬を買いました。そこでの会話がぎこちなかったのが、今回の疑問の始まり。

薬剤師さん「こんにちは」
わたし「こんにちは、◯◯(痛み止め)が必要なのですが」
薬剤師さん「ふむふむ(じーっとこちらを見つめる)」
わたし「ええっと、◯◯を……(困惑)」
夫「そうなんです、◯◯が欲しいんですけど……?」
薬剤師さん「はい、10錠入りですか?それとも20錠入り?」
わたし・夫「20錠の方でお願いします」
薬剤師さん「分かりました」

わたし「支払いはカードで……」
カードの機械「ピーッ、完了!」
わたし・夫:レシートを待つ
薬剤師さん:立っている
わたし・夫:待つ
薬剤師さん:立っている
わたし・夫:待つ……

夫「あれ?もう終わりましたか?」
薬剤師さん「ええ、終わりましたよ」
わたし・夫「ああ、そうだったんですか!」

わたし・夫「それじゃあ、どうも、さようなら」
薬剤師さん「さようなら(Tschüss)」

無言でこちらを見つめて突っ立つ薬剤師さんを見て、わたしたちはてっきり、薬剤師さん自身もレシートが機械から出てくるのを待っているのかと思ったのですが、実際のところは、彼女にレシートを渡す気はなく、ただ立ってこちらを見つめていただけだったのです!なぜ?

終わりましたよの一言に拍子抜けしてレシートが欲しいというのも忘れて帰ってきてしまいました。絶対に必要というわけではなかったから問題はないのですけど。

それで、イタリア育ちな夫でも「不思議な薬剤師さんだった、新人さんだったんだろうか」と話していたのですが、あれ?これに似たシーン、わたしはよく遭遇するぞ?と思ったのです。

初見じゃ無理、病院の受付にて

最近とある治療を受けるために病院に通っている夫。現時点では命に別状はないとのことですが、もう少し治療開始が遅れていたら、命の危険もあったというお医者さんの言葉に怯えて、わたしもできる限り付き添っています。

ドイツの健康保険システムは日本と少し異なるというか、日本より保険にバリエーションがあるのですが、わたしたちの場合は、日本のような保険証があって、それを病院などの受診の際に受付に渡すようになっています。

夫「こんにちは、10:30の予約があります、これ保険証です」
受付「はーい……あれ?予約は9:30ですよね?」
夫「10:30のはずです、これ前回もらった再診予約のメモなんですけど」
受付「どれどれ……?あら、ほんとだ」
受付:再診予約のメモを返す

受付:無言でパソコンを操作

〜沈黙〜

わたし(ん?終わった?待合室へ行ってもいいのかな?)
夫:静かに待っている
わたし(ふむ、彼が待っているということは、たぶんまだやり取りは終わっていないんだろうな……)

〜沈黙〜

受付「はい、保険証です、待合室で待ってくださいね」
夫「ありがとうございます」

この場合、やり取りが終わっていないということは明白だったと夫は言います。なぜなら保険証を返してもらっていないなら終わっていないはずだから、とのこと。

なるほど……!?日本ではたしか、保険証は後で返してもらうのではなかったか……?いや、そもそも日本語でのやり取りなら「少々お待ちください」とか「ええっと……」とか、話がまだ終わっていないことを示す言葉が発せられるんじゃないか?

分からなければ尋ねよう、外国人局にて

日本国籍しか持っていないわたしは、ドイツに住むためにいわゆるビザ/在留許可が必要です。しばらくは学生ビザでしたが、EU市民の夫と結婚して、いわゆるEU市民の家族ビザのようなものに切り替えることができたので、昨年は何度か外国人局を訪れました。

滞在許可のカードを手にしたときのこと……

役人「はい、これがあなたの新しい滞在許可証(カード)です」
わたし「ありがとうございます」
わたし:書類やカードを鞄にしまう

わたし(ええっと……カードをもらったということは、手続きは全て終わったのよね……?)
役人:無言でパソコンを操作している
わたし(……やり取りが続いているときの無言スタイルと見分けがつかない……!!)

わたし「これで全て完了です……よね?」
役人「そうですよ、もう終わりですけど、何か心配事などありますか?」
わたし「いえ、ありがとうございました!良い一日を!」
役人「良い一日を(^^)」

状況から分かるだろうと思われるかもしれませんが、わたしにはどうも見分けがつかないのです。多くの方は分かる状況なのかな?

無言でパソコンを操作している姿が、わたしのことをしているのか次の仕事をしているのか分からないんです。作業中に突然喋り始めたと思うと、わたしではなく同僚との単なる軽い雑談だったりもするし。同僚とお喋りしてパソコンから目を離していても、わたしのための仕事は続行しているパターンもあるし、様々です。

だから困惑したときは、「これで終わりですか?」とストレートに聞くようにしています。きっと終わりだろうなとほとんど確信に近いときは「チュース(ドイツ語のさようならに当たる軽い言葉)」と言って、もしまだ終わっていなければ、引き留めてくれるはずだと信じることにしています。

とにかく何か言っている日本語

日本語だと、やっぱり「ええと」とか「少々お待ちくださいね」とか「本日はこれで以上となります」とか、話を区切る言葉が多いように思うのですよね。ドイツ語だと、その言葉が不在のまま、話が変わっていくような。

ローコンテクストな文化といわれるドイツですが、意外と「言わなくても分かるでしょ」というシーンは多いように思います。

日本だと、細かく存在するあらゆる「暗黙の了解」のさらに上に、「言わなくても分かればいいんだけど、初めてくる環境ではそうもいかないよね」という共通の認識があって、その上で社会の秩序を保つため、注意書きとかアナウンスといった案内表示が至るところにあるのだと思います。

ドイツでは「右側通行は当たり前」とか「飲食店では店員を大声で呼ばない」とか「注文したければメニューを閉じて置いておく」とか、あるいは病院の受付で経験したように「これの後はあれが来る」みたいな共有された常識があって、それは基本的にはどこにも書かれていないので、この社会の新入りはコミュニケーションをとって確認するか、失敗を重ねながら覚えていくしかないということです。

日本に帰国する度に、電車やバスの中でず~っと喋っているアナウンスに辟易したり、繁華街の情報量の多い風景にくらくらしたり、大変な思いをしているのですが、初めて行くレストランや新しい技術を用いたサービスを使うときなど、細かく説明してくれたり、使い方が書いてあったりして、ありがたいなと思うのです。もちろん、ドイツ風にコミュニケーションを取って、店員さんに聞いたっていいのだと思いますが、なんというか、自分で理解して自分で済ませたい物事ってあるじゃないですか。

裸でソワソワ、サウナにて

そういえば、何年も前にドイツのサウナに行きました。日本のサウナと違って、基本的に混浴で、子どもは入れません。大人がリラックスして過ごす場所、という認識なので、いやらしい雰囲気も基本的にはありません。
(とはいえ、レディースデーを設けているところもあるので女性はそちらがおすすめかも)

ひとりで新しいことに挑戦したくて行ったサウナ。さあ楽しもう!と思ったのですが、案内書きも特になく、受付でもロッカーの場所など説明されただけ。水着やバスローブを羽織っていてもいいのか、それともすっぽんぽんにならなくてはいけないのか、プールエリアとサウナエリアはどこで分かれているのか、その他に知っておくべきことはあるか……。

何もわからず、ロッカー・更衣エリアで周りを見てみると、すっぽんぽんになったおばあさんが目に入ったので、わたしもとりあえず服を脱いで、それから意を決して話しかけてみました。

わたし「あのう……サウナに入るには全部服を……脱ぐんですよね?」
ご婦人「そうそう、全部ね。むしろ何か着てたら駄目よ」
わたし「ここから?この更衣エリアから全部脱ぐ?」
ご婦人「そうね、タオルとか持って行ってもいいけど、裸」

わたし「それで、サウナエリアはこっちですか?」(指をさしながら)
ご婦人「違う違う!そっちはプールエリア!あそこでは必ず水着着用よ!あっはっは!子どもたちがいるじゃない!」
わたし「ああ、プールエリアでは水着を着るんですね」
ご婦人「プールで裸なんて恥ずかしいでしょ?」
わたし(サウナでは裸なのに……?)

ご婦人「いい?とりあえず、あなたはサウナに入りたいのよね、そしたら裸になるのよ、でもその格好でプールエリアを歩かないでね。じゃ、楽しんで!」

そんなこんなで、無事ドイツでの初サウナを楽しむことができたのですが、「常識でしょ?」の範囲があまりに広すぎて、知らない人とのコミュニケーションがそんなに得意ではないわたしには難易度が高く、もう一度行くのはしばらく遠慮しておこうと思う経験になりました。

助け合わなきゃ無理、ドイツの日常

こんな社会だからこそ、ドイツでは困っている人は助けを求めやすいし、「助けて」に応える人も多いです。

身長155センチ程度のわたしがひとりで20キロ超のスーツケースをもって階段を移動しているとき、ほとんど毎回わたしよりからだの大きい人が助けてくれます。もちろん時間をかければ自分でも持ち運べるのですが、すごく助かります。
駅でチケットの買い方が分からない田舎から街に出てきたおばあさんは「あの、誰か~?チケットの買い方を教えてちょうだい」と大きな声で助けを求めます。すかさず誰かしらが助け舟を出すのが、この国の素晴らしいところです。

日本では、そもそも「困った」という状況にならないような配慮が至るところに見られるので、外国人だったり土地のことをよく知らない人でも、ある程度は自分でなんとかできるような仕組みが整っています。だから大多数の人にとっては快適だと思います。でも、その事前に敷かれたお助けシステムから漏れてしまった人が助けを尋ねるのは、少々難しいのですよね。大多数は「事前お助けシステム」のおかげで助け合わなくても生きていけているように感じているから、助け慣れていないのかなと思います。

ドイツだと助けは求めやすいけれど、重い荷物×小さい人など、あからさまに助けが必要と分かる場合を除いて、コミュニケーションに慣れていないとしんどいといえばしんどいので、いわゆる「コミュ障」みたいなタイプだと疲れると思います。わたしは「コミュ障」モードのときと、誰にでも話しかけられる気がする元気なモードのときとの差が激しいので、前者のときは滅多に新しいことをしないようにして、元気なときはむしろ一日一善!と意気込んで、できる範囲でいつでも誰かを助けられるようにしています。

ドイツ社会と日本社会、こうやって書き出してみると、どちらも一長一短ありますね。

ドイツで話の区切りが分からないという話から、困ったらコミュニケーションを取るのが良いというところに落ち着きました。次に「分からない」に遭遇して不安に思うことがあれば、コミュニケーションを取りながら安心を得ていけたらなと思います。

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