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「しょうもない」「どうでもいい」は世界を救う

わたしは学生の頃から、しょうもない、どうでもいい話が大好き。

「ねえ、今空を飛んでる鳥ここからどこいくと思う?」
「最後の晩餐何食べたい?」
「あの車、めっちゃオレンジ色。赤に近い濃い色だよね。朱色?みたいな?」
自明の話や、答えのない話を、多くの人はどうでもいい、しょうもない、と言う。
友達と話していて「しょうもなー笑」「なんの話よ笑」なんてよく言われる。その度に私は「しょうもないは世界を救う!!」と笑って返す。

答えの無い話には、自分の想像がたっぷり入る。
こうであったらいいな〜、
こうだと面白いな〜、
こうなったらいいなあ〜。
全部自分の思った通りに想像して話してOK。
話が膨らめば膨らむほど、自分の考え方の特徴や癖、性格が出てくる。
友人と話せば、友人の想像した世界と私の世界が絡み合い、新しい想像世界が生まれる。そうして話しているうちに、考えもしなかったことや、新たな視点に気がつく。それはのちに自分を助けたり、大切な人を救ったり、ウキウキするような場所へ連れて行ってくれるかもしれない。

私は、1人でもよくそういうことを考えたりする。
「四季の中で、年中続くとしたらどの季節がいい?」
「犬の散歩をしている彼女の家族構成は?」
「今私が突然走り出したらどうなるだろう」
そんな意味のわからない事を考えたりする。
学生時代にヒロアカにハマった時は、バイト中に「今店の中にヴィランが現れたら!?」とか本気で考えてた。

夏は脱いでも脱いでも暑いから嫌だし、冬は寒すぎて肩が上がって肩こりするから嫌。春は花粉や風が強いし、だとしたら秋?着る服は迷うけど、食べ物は私の好きなさつまいもが旬を迎えるし「食欲の秋」「読書の秋」「スポーツの秋」と色々言われるぐらいだから、年中秋になっても割と多くの人が喜びそう。と勝手な想像を繰り広げる。

そうやって私は
自分の好きなものや、嫌いなもの
好きな事や、嫌いな事
できる事や、できない事
やりたい事や、やりたくない事
起きて欲しくない事、実現したい事
いろいろな自分を知っていく。

「しょうもない」や「どうでもいい」って自己分析になったり、新しい世界を知れたり、会話の中で自分の考えを見直すきっかけになる。
中には本当に無意味な事もあるかもしれない。

でも気付かないうちに、想像して過ごした日々が、人と人を出会わせ、共通点を作り、私たちの人生の分岐点を作っているのかもしれない。

「しょうもない」「どうでもいい」は
楽しくて、
しょうもなくて、
やっぱりどうでもよくて、
大好き。


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