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子ども5人育ててきて、完璧を辞めたら。

元々、長女育ちな上、責任感が強くて、全部ひとりでやれることは、とことんやってきた生活から、子育てを始めて15年。


完璧しか取り柄のないわたしから、完璧を抜いたら何が残ったかを、今日は書いていきます。


完璧な母になろうとしていた、あの若かりし頃。
誰から、どう思われるか。
他の人から、ちゃんと子育てしてると思われたい。
というように、
子育てを始めた頃、全部、他人軸で物事を生きてきたら、それはそれは、ものすごい息苦しくなりました。

育児書みても、我が子に当てはまらない、
母子手帳の成長曲線には、いつものらず、子どもの成長に戸惑いと焦りを感じていましま。

子どもをコントロールしようとすると、反発される。こちらの想いとは裏腹に、子どもはのびのびと生きたいと表現してくる。その狭間で、いつも苦しかった。
ママ友や両親、親族から、「つばさちゃんは、ちゃんと子育てしてるから、いい子に育ってるね」
そうやって見られたかった自分がいて。
でも、日常は、とんでもなくイライラしていたあの頃。

2人目までは、なんとなく手の中で転がせていました。
しかし、3人目が産まれた途端、2人目までできていた日常や、子どもたちへの目の行き届方が、まったく通用しなくなりました。

洗濯物はいつも山積み、
洗いものなんて、する余裕ない、
掃除も毎日できない、
もちろん、携帯なんて触ってる暇がない、
完璧になんて、出来なかったのです。
あ、ここで気づいた方もいるかもしれませんが、
これは、「子ども時間」に大人が生活リズムを合わせたからです。
今、というか普通は子どもの育ちよりも、大人の都合を優先するので、
「ちゃんと、完璧に」は、やり通せる人も多いと思います。

でも、わたしの優先順位は、圧倒的に「子どもの根っこ育て」だった。


だから、3人目が生まれた後、完璧をやめました。
誰のための子育てなのかと考えたら、2人目までは、他人から見える自分(親)の評価でしかなかった。
全てを完璧にやることで、
いい妻で、
いい母を演じて、
世間から「若くして産んでも、ちゃんとしてる、ちゃんと子育てできる」
と思ってもらいたかった。でも、3人目産んだら出来なくなった。
完璧を辞めたら、わたし自身の価値がなくなると思っていました。

でも、完璧を辞めたら、
子どもは優しかった。
もっともっと、手を抜いて、肩の力抜いて生きてもいいよって教えてくれました。

例えば、
多少洗濯物が山積みになってても、
そこから洋服取り出して着るし、
多少、床が汚れていても、生きていた。
「今は、出来なくても大丈夫。いま、ちゃんと向き合ってくれていれば、成長したら、僕たち私たちが手伝うから」
そうやって、子どもたちからの心の声が聞こえてきました。

あの日から、
わたしは、手を抜いた。
どう手を抜いたかというと、
「子どもがすることに干渉しすぎない。」こと

これを、徹底しました。
昔の家族構成は、兄弟が多くて、親が見てる暇がなかったから、抜け道がたくさんあったと祖父母から聞いていました。
まさにそれ。
過干渉にならないことで、子どもに対して、
・怒る
・心配する
・依存する
・兄妹げんかも見守る
などをしました。
こうなって、手を抜いた途端に、いろんなことが回り始めました。
パートナーが日付変わらないと帰宅しない我が家にとって、
わたしの感情の起伏を最小限に抑えることで、無駄な時間がなくなりました。
結果、他のことに頭を使えるようになったので、
・家事の効率化
・日々の料理の仕込み
・仕事の組み立て
が、うまくできるようになりました。

これは、誰かに教えてもらったのではなく、
わたしが自分の経験から編み出した方法なので、全ての人に通用すると思っていません。

みなさんは、お子さまに過干渉になっていませんか?
いや、なってるかも気づいてない人が多いと思いますので…
誰かに気づかせてもらってください。
「もっと手を抜いて、子どもを信じること」
これ、やってみる価値はあると思いますよ。


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