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児童福祉

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他人のために頑張る方が好き

他人のために頑張る方が好き

最近の虚無感の要因が分かった。

対人援助的な要素が足りなかった。

私は「困ってる人」「生きづらい人」をサポートするのが好きだった。

なのに最近は「自分のためにしか頑張れない」と勘違いして、自分のことだけを考えていた。

私は自分のために頑張れる人間ではない。誰かの、特に「困っている人」の役に立つことで生きがいを感じる人間だった。

幼稚園の頃は、発達の遅い友達のサポート係をしていた。着替えや

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お金を稼ぎたいと思える唯一(?)のモチベーションが思い浮かんだ。児童福祉にお金を使うこと。いくらあっても足りないし、理想を完成させることもできないので、無限に稼いでも終わりがない。児童福祉はモチベーションになる。

児童相談所は連れ去りなどしない。基本的には親と子供の同意が取れてから子供を保護する。強制的な連れ去りに見えるのは、虐待などで緊急性が高い場合。保護所での生活は規制が多いのは事実。虐待児も非行少年も親が亡くなった子も同じ施設なこともありカオス。夜は子供30人に対して正規職員が二人

居場所作りがしたいけれど

一年以上前から言っている、居場所作りがしたいと。子供の居場所作り。既存のもので表現するならば、児童養護施設みたいな場所と子ども食堂みたいな場所を作りたい。それらのフランクバージョン。行政を介さないバージョン。

だけどそもそも福祉の分野はお金を得ることとの親和性が低くて、個人で立ち上げるようなものじゃない。公的な支援(お金的、人的)が物を言う。

大人の福祉に近いもの、大人のキャリア教育に近いもの

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虐待されてる子供とかかわるバイトをしてる。虐待されて育った男とひどい恋愛をした。感慨深い。あの子達もこんな風になるのかなと思うと感慨深い。元虐待児の男はくそだ。本人のせいじゃないかもしれやいけど、大人になってしまったらもう本人のせいになる。かわいそうに。

愛着障害、パーソナリティー障害圏の人には人間の一般的行動の「普通」が通用しない

ちょっとフラれたくらいで落ち込んで。こんなんだったら、親に見放されて施設に送られてる子供はどれだけ孤独なのだろう。絶望という言葉ではあらわせないほど傷つくだろう。

花にたとえて人を褒める

ある中三の女の子に言われた。

「ななさんは綺麗系。チャービルの花みたいに細くて、フェミニンな人。」

中三にして「花にたとえて人を褒める」という高等テクニックを持っていることに驚いた。

ちなみにチャービルの花は、確かにフェミニンな感じ。花言葉は「正直、誠実」。

どうして人間、花にたとえられると嬉しいんだろう?

花は人間にたとえられたらうれしいかな?

家庭環境が救いようのないレベルで終わってて、本人の性格も終わってて、突出したものも容姿のよさもない場合は福祉のお世話になると思うんだけど、そんなに詰み要素つめこまれてたら不幸まっしぐらじゃん、救おうとしないでさっさと死んだほうがみんなのためだと思うけど、どうせ非難される

親に見捨てられた色々ねじまがった幼児と、飼い主のいない保健所の殺処分予定の犬の違いってなんだろ。なんで人間だけは、救いようがなさそうでも無理矢理生かそうとするのだろう。人間は「倫理観」という名のビビる気持ちの下、人間を無理矢理生かそうとしてるのか。もやもやする

なにもしなくてもできなくてもそこにいることは誰が認めたでもなく事実。「いていいよ」なんて言われなくても、存在している

だめだ、みんな望まれて産まれてきました、お父さんお母さんはあなたのことが大好きです系ドキュメンタリー嫌い。「お母さん大好き」?よかったね。

虐待されてた子に「クリスマスプレゼント何ほしいの?」って質問したら、「サンタさんこないもん。」って言ってた。サンタさん来たことないのか。サンタさんはこないものって認識してるのか。幼いだけか。ちなみに三歳

愛着障害ひきずってる不幸そうな大人と関わりながら、愛着障害まっしぐらの虐待児とも関わってると、こいつはこのまま生きていって幸せになれるのだろうか?もうどう手を打っても辛くしか生きられないのではないか?そんなこと分かりながら生存させるのは罪深いのではないか?と思って気が滅入る。