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父のお土産

わたしがまだ幼稚園児だった頃、仕事帰りの父が買ってきてくれる「お土産」には3種類あった。

1つ目は、邪道な味のアイス。普通にバニラ味やチョコ味を買えばいいものを、父はなぜかプリン味やソーダ味、アイスクリームではなくアイスクリンを買うような人だった。

わたしは気の小さな子供だったので特に文句は言わなかったが、母は容赦なく「なんでこの味なの?センスねー!」と言っていた。

父は家族ヘの優しさとしてアイスを買ってきていたと思うから、子供心に、母はちょっと言いすぎなんじゃないかと心が痛んだ。

2つ目は、飲み会の帰りに飲み屋街でテイクアウトしたであろう寿司と、鶏ガラを濃く煮詰めた品である。

マグロがやたら黒くて分厚い寿司屋。あれこそ寿司だと信じていたし、うちの家族はあの寿司が一番美味いと言っていたけれど、大人になった今あれは本当に美味しい部類だったのか疑問である。マグロってそんなに黒いものだろうか?

鶏ガラを濃く煮詰めたものは、本当に鶏ガラなのかは分からないが、「大きいわりに可食部が少ない鶏肉」であった。当時の父いわく500円。醤油と砂糖で甘辛く煮詰めたような、大きくて骨のかさばる鶏肉だ。

夜21時頃、父が大きな鶏を買ってくる。母と一緒にそれをつつく。寝る前に大人の食べ物をつまむ、あの特別な雰囲気が好きだった。

あの大きな鶏は、焼き鳥屋さんが鶏肉を解体した時に出てくる(ほぼ)鶏ガラ部分を煮詰めたものだったんだろうと思う。

3つ目は、パチンコの景品である。アンパンマンのきぐるみからシルバニアの小道具、キティちゃんのおままごとセットまで幅広くお土産をもらった。

なぜ子供心にパチンコの景品だと分かっていたのか、定かではない。

指定したわけでもないおもちゃを、父が一人で抱えて帰ってきた場合は、パチンコの景品。そう刷り込まれていたんだろうか。

振り返って思うのは、わたしが小さい頃の父は、田舎の普通の若い青年だったということ。仕事を頑張りながらも夜は飲みに行ったり、パチンコに行ったり、いまのわたし世代と変わらない過ごし方だ。

家族を持つのに覚悟なんてそんなに要らなくて、ただほ乳類として生命を繰り返している、ただそれだけのことに過ぎない。生きることを深刻に考えすぎずに、ただ生きればいいじゃんね、と思った。

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