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投げやりな朝を煮詰めてできた珈琲を飲めるのは大人になったあなただけ

始業式に出ずに過ごしたことが何度かあった。
当然ながら始業式の時は先生も生徒も端から端まで体育館に集められるので、普段過ごす校舎は空っぽになる。
始業式をサボった私は嬉々として空っぽになった学び舎を見学する。

曖昧な幽霊になったように廊下を走ってみる。
校舎中のトイレットペーパーの先を三つ編みにして回る。
北校舎の一階の角、3番目のトイレに書き残された名無しの誰かの詩とその返歌を読む。
足音の気配から一人でかくれんぼする。
文芸部の部誌を立ち読みする。
こんな真新しい夏の日差しのど真ん中にも、ちょっとならこんな私も立ってもいいと思える。
饐えたカビ臭い無人のコンクリート造りが今だけ私のものになる。

教室で後ろを振り返ることができなかった。
かと言って前を見ることもできなかった。
教室は私のものではなかった。
それどころか学校に私がいていいと思った瞬間はなかった。
目線。
目線。
目線。
誰かの目が無性に気になって教室で食事がとれなくなった。
誰かが誰かに向ける他愛もないはしゃぎ声の一つ一つが無差別に私を刺していると感じた。
保健室に給食を持ってきてくれた全く親しくないクラスメイトに「ありがとう」の一言をかけるのも拒絶される気がして真剣に躊躇っていた。
まんじりともせずじっと虚空を見つめて耐えて全てが過ぎるのを待っていた。
時々何かが決壊した。
何かとにかく外界の有象無象を憎んでいたというのがきっと正しい。
けれどきっと意味もなく憎んでいたというのもまた正しい。

「みんな」という言葉が嫌いだった。
「みんな」からたとえ何かがこぼれ落ちても注意を払う必要のない人間がそういう言葉を使うと思っていた。
その「みんな」が言う「みんな」に当然私はいないと思っていて、傷つかないためにあらかじめ自ずから輪を外れに行くことを私は常に選んでいた。
ただ、そんな過剰な自意識を持たず輪を乱さずに済む人間は確かにいて、制服を着ていた頃の私はどうしてもそういう風には生きられなかった。

空っぽの朝の校舎はそんな私の立ち位置を曖昧にした。
登校してきた生徒の軽い荷物だけが吊ってある机たち。
今だけは私が隅々まで目線を向けてもいい教室。
生成り色のカーテンを開けるのも閉めるのも今だけは誰の許可も意識しなくていい。
グラウンドを見下ろしても誰とも目が合わない。
屋上へ上る階段を上がっても誰も気づかない。
私が深呼吸してもいい空気が今だけは流れている。
今だけは私に教室を歩き回る権利があることを誰も知らない。
今だけは私に呼吸をする権利があることを誰も知らない。
空っぽの校舎は最早どこでもなかった。

8月31日の夜の君へ

あなたはあなたの言葉であなたを語りうる可能性がある、と私は思う。
あなたの持つセンシティブさは概ね「面白いね」「変わってるね」という平坦な言葉で語られる。
きっとこれらを“そう評するしかない”人たちは大いにいるし、あなたの過ごした煩悶を精緻に語らうための言葉と態度を持ち合わせていない大人はあなたが想像するよりも多い。
ただ、別段そこに語るに落ちるような価値もない言葉を真似てあなたの経験を誰かの手垢のついた表現に置き換えて語る必要はない。
逆に、お天道様の下を堂々と歩ける底抜けに明るい言葉を真似することも私にはできない。
少しだけでいいから、言葉を手に入れろ。
言葉は毒にも薬にもなる。
あなたを語らうことは、あなたにしかできない。
あなたの語らう言葉は、いやでもあなたそのものを語らせる。

また、正しく悩むことができる人は正しく逃げることができる、とも思う。
悩むことは凡庸だ。
凡庸に悩んで、またその凡庸さを悩むことに健全でいてほしい。
そうしていれば時々健全に逃げることもできる。

大丈夫だよとか、頑張ってとか、そういうありきたりな言葉は本当は正直当時虚無だった。
ただ、周りがそう言うしかないことも知っていた。
いつか気が狂うしいつか死ぬと思い込んだまま気が狂えずに死ねずにいる多くの私たちが凡庸さに感じ入り自傷行為のように生き続けてしまうことはありふれている。
何故なら“変わっていたい”と不健全を夢見ることはとっても健全だからだ。
つまらない感情を適当にいなしつけて、なんだかんだ言ってこの絶望に向き合ってきちんと愛したかった。
なぜなら私しか語らうことができないと同時に、私を語らう言葉もまたこのぐずぐずで真っ黒の強い熱量を糧にしている。
そういう風に生きてきた私の、そういう言葉を率直に語る様をずっと見守って面倒を見てくれる人も少なからず存在する。
そんな私の言葉を好きだと言ってくれるきみがきっと深い青色の四季のようにそこに佇んでいることを私は優しいと感じる。

願わくば、底抜けの絶望を愛したい。
私の日々の絶望の朝は毎日毎日丹念にぐずぐずに煮込まれて不可逆的な黒になった。
年々、時々新たなスパイスが放り込まれてはほんの少し色が変わった。
黒だって色だから、黒は黒でもいろんな黒があるのだ。
私は黒い服しか似合わない。
けれどそれでいい。
白と黒と差し色に朱赤。
お砂糖とスパイスと何か素敵なものでできているとマザーグースも言ったのだから。

ぐずぐずに煮詰めた真っ黒を少しだけ美味しくいただける日々は、あの頃よりちょっと大人になってから訪れるものらしい。
かたい孤独の夜から何年経ったろうというほど何年も経ってない。
夜が明けて朝が来ても「いってらっしゃい」は言わない。
いつまでも子供舌で珈琲を飲めない私も、最近やっと少しだけ浅煎りの珈琲なら飲めるようになった。


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(portrait by:manimanium)

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