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自らのストーリーを、手放していくということ。



幼い頃は肌がとても弱く、とにかくアトピーが酷かった。

小学校2年生の頃は枕元にTシャツを3枚ほど積み上げ、夜中に体中を掻きむしった後はシャツを着替えないと、血と体液でシャツが体にくっつく程だった。

その上、様々なストレスが原因となってか、小学校4年生の秋ごろから抜毛症になった。

noteというものを初めて書いた誕生日から数週間が過ぎ、気がつけば年末。色々と書きたいことがある中で、何を書こうかと迷いながら、今の僕が何よりも先に言葉にしておきたいと思ったのは、そんな、"僕が人生で、一番死にたかった頃"の話。

(以下は抜毛症について取り上げていらっしゃる素敵な記事。抜毛症についての理解の為に。)



幼い頃からどちらかというと正義感は強ったのだけれど、それを貫き通すことよりも自分が人前に立ってふざける事で誰かが笑顔になってくれることの方が嬉しく、どこからが本心か分からないふざけた言動をとることが多かった。

割と色々と考えてはいるのだが、自分よりもしっかりしている女子の隣で、表面的にはずっとふざけている学級代表。そして係活動はお笑い係、そんなタイプ。

そうやって”人から見られてナンボ” なポジションにいた僕が、小学校四年生のある日を境に抜毛症になり、とにかく髪を抜く事をやめられなくなった。

すぐに頭の至る所に肌色が見えだし、それを隠すように坊主にされて、学校で一日中黄色い帽子をかぶって生活する日々が始まる。

同級生達に、つい少し前までただのおふざけけキャラだった僕の心身の状態について分かるはずもなく、「やめてくれ」という本気の叫びもむなしく、面白がって帽子を取ろうとされたり、後ろから不意に帽子を取られたり。

僕は「帽子を取られて頭を見られてしまうこと」が怖くて仕方なくなり、あんなに楽しかったはずの学校は、頭に被った帽子を誰かから取られまいと守る為だけに過ごす時間・場所になった。

やめたいけれど髪の毛を抜くことをやめられない自分、そんな状況を隠す為に過度なおちゃらけキャラを演じ続ける自分、帽子を取られた際には「アトピーがひどいから髪を剃った」と傷に塩を塗るように嘘の説明をする自分、何の為に登校をするのかが分からなくなった学校生活。

それらが本当に辛くて、今振り返ってみても、この時人生で一番「死にたい」と思っていたように感じる。



よく、自分が教育や福祉の仕事を志すようになったきっかけや、今もそこに興味関心を持ち続けている理由について、

"幼少期育った町の地域性や、そこで出会った様々なバックグラウンドを持つ同級生たちの「学校での過ごしにくさ」についての違和感"

"大学に入ってフィールドワークを続ける中で出会ったホームレスのおっちゃんや、学習支援をする中で出会った生活保護を受けている子どもたち、フィリピンのゴミ山でゴミを拾って生活している子どもたちとの出会い" 

"20歳の時に経験した東日本大震災や、その後活動するようになった東北で出会った選択肢が限られているように見えた子どもたち"

"「子ども達に一番近い場所へ行きたい」と思い教師になった先で出会った、自分の子どものように可愛かった子どもたちとの、楽しくもあり悔しくもあった時間

などを挙げるのだが、この記事で書いた、自分が一番死にたかった頃の話も、間違いなくそこに繋がっている。




繋がっているのだが、それで。

僕はそんな自分のストーリーをどうしたいんだろう。




「自分のストーリーが語れるか。それが差別化のポイント、成功の要因だ。」と耳にすることも多い。

確かにストーリーで自分を語り文脈を確かめることで、より強い行動の軸となったり、他者への共感を生み賛同・協力に繋がることもあるだろう。

ただともすれば、それを語り続けることが、過去への依存にも繋がっているのではないか。

自分が "そこ" に留まり続けることを、辛かった自分の過去や、可哀想だと決めつけている "あの時の自分や周囲の人たち" のせいにしていないか。

そしてそれは、過去だけを見ていては生まれない、"予想ができないここからの変化”に、自分で待ったをかける行為なのではないか。




今の僕がすべきなのは、ストーリーを語って今の自分を正当化し、変化から逃げることではなく、

過去の辛かった経験も、今の自分を構成している多くの文脈ももちろん大切にして、同じような悩み苦しみを持つ方々へのできる限りの想像力は持ち続けながらも、

"自らのストーリーを、手放していくということ"なのかもしれない。





誰かと不幸自慢をしたい訳ではなく、誰かのストーリーを評価したい訳でもなく、自分が自分のストーリーを"手放す"ための第一歩として、年末に自分勝手な自己開示を。

2020年という年に何を持っていきたいのか、2019年に何を手放し置いていきたいのか。

手放せた先には、どんな自分や世界があるのだろうか。





2019年12月30日 木村彰宏



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