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落合 恵理 / ochiai eri


卒業式が間近に迫る春休みの校内は閑散としていた。春を待ち遠しく思っているかのような気配がする。

京都市内から少し外れた場所にある京都橘大学。私が高校生の頃、日本史を学ぶために受験しようか迷っていた大学だ。まさか大人になって足を運ぶことになるとは思わなかった。その京都橘大学で4年間書道を専攻していた落合恵理。この日は彼女にお願いして友人の結婚祝いのためのメッセージを書いてもらう予定だった。真心を込めて真剣に向き合っても字に自信がない私にとっては心強い味方のような気がした。

「小学生や中学生の時はピアノやそろばん、英語など一週間習い事ばかりの日々でその中に習字がありました。どの習い事も自分からやりたいと母にお願いしていたのですが、習字だけは自分ではなく母が決めた習い事でした」。

地元の習字教室の先生の優しい教え方が自身の習字の楽しさにもつながっていった。最終的に高校生になっても習い事として残っていたのが習字だった。

高校生になってからは書道の部活にも所属していたが、その時の顧問がとても厳しい方だったという。顧問からの意地悪な発言も多々耳にしていた。逃げたい気持ちもあったが、その先生から逃げることに悔しさも感じた。絶対に負けたくない。この先生に勝ちたい。闘争心に燃えてひたすら字を書き続けた日々だった。

「高校3年生になってからは大学受験をきっかけに習字の他にも書道を学ぶようになりました。地元の習字教室では学べる範囲に限界があったため、別の書道教室に通うことになったんですけど、そこにも書道部の厳しい顧問がいたことから心が休まることはありませんでした。それでも自分から書道を無くしたら何も残らないと思って日々しがみつくような思いで向き合っていました」。

習字とは正しい筆順で〈とめ〉〈はね〉〈はらい〉を意識しながら字を真似すること。対して書道は古典の字をもとに字を書くことであり、自己表現や芸術性も含まれるという。中国か日本という国によっても古典的な字の筆跡は異なってくる。

「私は中国の古典の字を習っています。出だしの起筆が特徴的で、日本の字は筆の入りが優美で浅い感覚ですが、中国の字は最初から力強さがあるといった違いもあります。」

これは日本と中国の古くからの風土が関係しているとも言われる。中国の厳しい気候では弾力性のある文字が生まれ、温和な気候の日本では自然と調和するように軽快な文字となったのかもしれない。

大学に進学してからは専門的に書道を学ぶことにした。日本の書道会においてトップレベルとされる先生が講師として所属していたことも決め手のひとつ。書論など書道の歴史を学ぶ座学もあり、書道の知識をより深めることができる学生生活だった。

「授業で先生が仰っていた『書で人の命を救うこともできると思う』という言葉が印象的で、自分もその言葉に納得することができました」。

書かれた文字に〈あなたは素晴らしい〉という意味があるのではない。書かれた文字の存在自体が心に直接〈あなたは素晴らしい〉と語りかけるのである。そのとき書道で書かれた文字はパレットに描かれた絵と同じような存在と価値を感じるという。

続きは、以下のサイトよりご覧いただけます。
Leben「ある日の栞」vol.03 / 落合 恵理


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Lebenはドイツ語で生活を意味します。正解のない様々な暮らしを取材しています。

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