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民藝旅 Episode:0/日本民藝館「柳宗悦の直観」と 21_21「Another Kind of Art」 (4)/最終回

ながらく、お待たせいたしました。民藝旅 Episode 0、いよいよ最終回です。

前回は、2度目の東京来訪で、武田さんとテーブルウェアフェスティバルを訪れ、はじめて漆器に触れました。


6. 「民藝 -Another Kind of Art」展へ

黒柳徹子さんのトークショーを見た後、いよいよ目指すは六本木。21_21 DESIGN SIGHT、「民藝 Another Kind of Art」展へ向かいました。

(光ってる!開催している!前回の悔しい気持ちが吹き飛ぶ、おとぼけ星人ならではの、感動を味わいました。)


受付で入館料を払い、物販コーナーを通り過ぎ、奥の階段を下ります。地下へと続く階段は、まるで不思議の国のアリス。異世界への通路のようです。


階段を降りた先には、日本民藝館・館長室の机や、柳先生の書がありました。最初のコーナーは、現代の職人さんのインタビュー映像。

たくさんのインタビューの中で、特に心惹かれたのは、新潟県長岡市の木工家:富井貴志さんの言葉です。

“土地に根付いたものづくり、その土地にあるものにこだわると、面白いものができる。”
“自然に近づきたい。”
“自然にかえりたい。”

柳先生も、著書の中で民藝品の美しさは自然から生まれることをおっしゃっていました。

「雑器に見られる豊かな質は、自然からの贈物である。その美を見る時、人は自然、自らを見るのである。」  ー民藝四十年より抜粋

自然と、人と、民藝。なんだか、点と点が繋がってきたような気持ちが湧いてきます。



映像コーナーを過ぎると、いよいよ展示のコーナーです。16個のショーケースと、16個の吊り下げ展示。(16という数字に、もしかしたら意味があるのでしょうか。工藤新一ならわかったかもしれませんが、残念ながらモブキャラの東堂のにはわかりませんでした。)

柳先生が集めた、様々な民藝品。驚いたことに、キャプションがない展示方法は、日本民藝館の「柳宗悦の直観」展と同じです。しかし、違うところは、ショーケースの土台に、アートディレクター深澤さんの言葉が添えてあることです。

例えば…

“屈託のないキャラクタリスティックな表情に巡り会って、微笑んでいる柳 宗悦の顔が浮かんで見える。”

これは、古いシーサーや、出身地不明のゆるキャラのような、愛らしい焼物人形に添えられた言葉。


“絵付け、あるいは柄というのは、偶然を迎え入れる力のようなもの。あらかじめ考えて置けないものだ。”

これは、さまざまな絵付けの皿、壺に添えられた言葉。(とくに、黒い蓋付陶器に、白色で貝のような刷毛模様のついた「鉄釉刷毛打文蓋物」がたまらなく好きで、ナメクジのようにじっくりながめた。)


“素朴に可愛いということは、祈りに通じるのか。柳 宗悦は可愛いものが好きだったと思う。それは愛のかたち。”

これは、道端のお地蔵さんのような、石削りの人形たちに添えられた言葉。


深澤さんの言葉は、まるで民藝品と向き合うヒントをくれるようでした。遠いところにあると感じていた民藝品へ、緩やかな階段をたててくれたような。そんな心地よさ。なるほど、これがアートディレクション。初心者の私でも楽しく展示を見ることができました。(ユニバーサルデザインというか、知識のあるなしに関わらず楽しめる仕掛けがあることは、いろんな人の価値観を変える可能性になることを体感しました。)

なんだ、民藝って難しいことを考えなくて良いんだ。“かわいい”とか“すてきだ”とか。そういう心の動きで良い、シンプルなことなんだ。

産地や年代、作者や値段。そういった余計な情報なしに、心のままに感じて愛しむ。それが、民藝品とのご挨拶みたいなものなんだ。

会場を回りながら、楽しくて仕方がない。見てみたかった、卵の殻を貼り付けた作品は“丸山太郎さん”という方の作品であることを、展示場の詳細で知りました。個人の作家でも、民藝品でありうる。民藝品の定義については謎が深まるばかりですが、良いものは良い。それでいいのだ。みたいな、おおらかさを柳先生の収集品からは感じました。


*  *  *


ショーケースが一望できるベンチに腰かけながら、並べられたものたちをぼんやりと眺める。すると、不思議なことに気がつきました。

会場である21_21 DESIGN SIGHTは、コンクリートむき出しの柱と天井。ライトもシンプルで工業的。どんな展示とも馴染むよう、ものの生命を極限まで削ったような、死すら感じる空間。その静かな空間に、展示されている民藝品が、なんとも、生きているように見えるのです。陰と陽、光と陰、生と死。極端なコントラストが、お互いの存在を高め合っているような。研ぎ澄まされた死の空間が、民藝品の自然的な存在感をより鮮やかに、際立たせているように見えるのです。

どちらも、人が作り出した物なのに。この違いはなんだろう。どちらも、美しいのに、何が違うのだろう。


*  *  *


この旅で見つけた、「民藝ってなんだろう?」という問いの答えの1つは、民藝品は「人と自然の間の存在」であるということです。土地の生活から生まれた品々。無心のまま描く模様。温度、重力、素材のままに焼かれた陶器。自然の必然と偶然から生まれた、わたしたちと同じ、有限の存在。それが、民藝品だと思いました。民藝品を見たときの、「かわいい」という気持ちは、春のタンポポに感じる「かわいい」と、ほとんど同じなのです。自然の生まれだから、自然と美しさを感じる。人が生み出した、自然。人と自然の間にある存在。それが、民藝品なんだと思いました。


また、「柳宗悦の直観」展、「民藝 -Another Kind of Art」展をふりかえって、どちらの展示からも、”自分と物との対話“の大切さを感じました。物を見つめるとき、自分と物、ふたりっきりの空間に入ること。そして、お互いに波長を確かめ合うこと。(ちょっとした恋人選びのようなものかもしれません。)世の中に、素敵なもの、かわいいものはたくさんあるけれど、心からの対話をして選んだものと暮らすとき、個人にとっての「美しい暮らし」が実現できるのかもしれない、そう思いました。



7. おわりに

民藝旅のEpisode 0、長いこと時間がかかってしまいました。後悔や、発見、いろんなことのあった時間でした。春から始まる予定の産地巡りでは、きっと、もっと沢山の発見があるのだろうな。そして、自分の価値観や、物との向き合い方、人への接し方も変わっていくのだろうな。そんな予感を感じる旅となりました。長い文章でしたが、ここまでお読みくださって、ありがとうございます。

次回は、現在読んでいる「民藝四十年」のレビューをお届けする予定です。日本民藝館でおススメいただいた本、正直初心者キラーの難しい本で苦戦しております(滝汗)まだ半分しか読めていないので、今しばらくお待ちください。

それでは、また、次回。

東堂


▷ 一部構成を変更しました。 2019.3.3 20:38








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