何も考えてない男の帰り道

こんにちは。久々にnoteに参上。というのは、ちょっと風邪を引いたみたいで声が出ないんで、友達ともまともに話せないからである。今回は、今日あった帰り道での実際の出来事である。

12:00
大学の授業が随分と早く終わったもんで、友達と昼飯を食べる。久々に食べたからなのか、ラーメンが美味い。

12:30
外は暑いから、ついでにアイスまで買っちゃった。ここで友達とはお別れ。一人日陰でのんびりアイスを食べる。すると急に横から、
「(本名)くんですかー??」

え?

なんで俺の本名知ってるの??

ってか誰???

と、頭がパニックになったのも束の間、見覚えのある顔。

あ、この顔、小学校の頃の同級生だ。

半年ぶりの再会である。小学校以外は学校も違うのだが、どうやら彼は俺の大学の近くに住んでいるらしい。せっかくなので途中まで歩いていく。

12:45
友達とまた会う約束をし、解散。そういえば家帰るんだった。というのも、今日は16時からバイト。授業が早く終わったから一旦帰れる余裕がある。ラッキー♪なんて考えていたら、電車は12:51発。

あ、時間ないじゃん!!

小走りで駅へと向かう。意外と近くて助かった。まだ2~3分余裕がある。改札を通り、ホームへと向かう階段を下りる。半分くらいまで下がった途端、

ブーーーーーーーーーーーーーーー


あーあ。鳴っちゃったよ。非常停止ボタン。たまにあるんだよなぁ…と憂鬱な気持ちに。どーせ荷物落としたとか、線路に支障物があるとかなんだろうなぁ…とか考えながら、とりあえずホームへ向かう。すると、

女性が線路で倒れているではないか。





え…?ちょっと待って…?は?????

意味わからんて。慌てて救出に向かうおじいちゃん。泣き叫ぶ女性。それを見つめるホーム上の客。はっきり言ってカオスである。俺はというと、

早く帰りたいなぁ…

としか考えてなかった。授業早く終わって、バイトまでの時間家でゆっくりしたいのだ。そのためにも、1秒でも早く家に帰りたい。

でもこうなった以上それは無理だ。勝手にイラつく。この時の時刻は、本来なら電車が発車する12:51。女性が線路に降りるのがあと1分遅かったら大騒ぎになっていただろう。話を遠くから聞く限り、自殺しようとしていたみたいだ。

なんでこんな辺鄙な駅でやるんだろう?残念ながら俺は、赤の他人の死に全く興味が無いので、「どーせなら都会の駅で飛び込めばいいのに…」とか、「電車が来る前に線路に降りるなんて、死ぬ気ねーじゃん」「かまちょかよ」と、心の中でひたすらその女性を恨む。だって帰る時間遅くなったんだもん。


もちろん、こんなことを考える余裕があるのは救出に向かったおじいちゃんをはじめ、非常停止ボタンを押してくれた人、確認に来た保線作業員、駅員がいるからであり、この方々には感謝しかない。自分しかいなかったらとりあえず非常停止ボタンを押し、ホーム上でできる限り女性を安全な場所に誘導するのが1番だろう。(こんな場面に出会いたくないが)

その後、パトカー、救急車、消防車の、緊急車両オールスターが駅前に集結。とりあえず電車の運行は再開されることになった。

13:05
電車到着。10分遅れなので混雑&重い雰囲気である。自分もその一人。このことがなければあと10分早く家に帰れたのに…はぁ…。とため息をつきながら仮眠をとる。乗り継ぎの駅でも、時間がいつもより短いせいで全力疾走。風邪ひいている身にはキツい。

14:25
家到着。昼までは良かったのに、帰り道が最悪なせいで今日の気分もダダ下がりである。

その後は時刻通りバイトに行き、帰宅したあと、今こうしてnoteを書いている。

身近な人(特に関わりの深い人)に対しての考えは別だが、赤の他人に対しては、自殺なんて勝手にすればいいと思っている。ただ、それは迷惑になる場所でやってはいけないという条件付きで。

人生に満足or絶望して、この先これを超える幸せはないだろうと確信したのなら死んでも良いんじゃないか。改めてだが、他人の人生なんて興味ないし、どうでもいいんで。
ただ、最後死ぬ瞬間くらいは注目されたいというのは納得できない。ここまでひっそりと生きてきたんだから、最期までそうしろよ、と考えてしまう。その人にとっては注目されることが現世での幸せだったのかな?なんて。

この考えは自分の人生にも通じている。自分の人生に満足したら死んでもいいと思うし、その方が幸せな気がするのだ。今は十分楽しいし幸せである。だが、自分の人生にはもっと幸せになる出来事があると思って、当面の間は生きているつもりだ。どんなに早く見切りをつけても60代だろう。

これくらい柔軟で良い。死のうとしたとき、一旦適当に考えてみてほしい。そこで出た結論がどっちであろうと、それはあなたの人生なので僕は知らん顔だが。

適当な人間の座右の銘は、「多分、何とかなる」である。多分俺はこの先もこのスタンスでやっていくはず。ノリで生きよう。

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