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迷うことと決めること

最近元職場の同僚がSNSに近況を投稿していた。
そこには先輩を交え、楽しく食事をしている写真があった。
私の退職で足りなくなった人員を補うために他病棟から移動してきた看護師のおかげで病棟の雰囲気はかなり変わったらしい。
私が働いていたころは、先輩を交えて休日に食事に行くなんて考えられない職場だった。休日どころか、仕事中でさえ先輩に一言話しかけるのに緊張していた。
元同僚の写真を見ながら、もっと雰囲気のいい職場だったら、一人でも頼れる先輩がいたら、今のような雰囲気だったらもう少し看護師を続けていたのかもしれないな、などと考えていた。

大学を卒業するとき、5年以上は看護師として病棟で勤務しようと決意していた。
看護師だと胸を張って言えるようにならなければ、と思っていた。
27歳まで看護師として経験を積んで、その後2年間途上国で経験を積む。
そのあとは大学院に行って、35歳までには結婚して、38歳までに2人目の子どもを産めば、定年を迎える前に子どもの大学の学費が払える。
大学を卒業したときの私はそんな人生設計を立てていた。
大学院に行くための資金を5年間で貯められるようにお給料や寮の家賃のことも考えて就職先を決めた。

でもすでに私の人生は3年前にたてた人生設計とは大きく違った方向に進んでいる。

希望していた病院に就職し、配属された先は第三希望の結核病棟。2交代を希望して就職先を選んでいたのにまさかの3交代の病棟だった。それまで数多くの看護師の先輩から3交代はきついと常々聞いていた。働き始めてみてその言葉の意味を痛感した。21時まで残業をして、2時間仮眠をとって、0時からの深夜勤務に出勤する。時にはそのまま12時まで働き続けることもあった。次の日は14時に出勤して1時まで準夜勤、仮眠をとって8時から日勤。不規則、不摂生の極みのような生活がはじまった。

結核病棟は閉鎖病棟だ。物理的にも閉鎖されていたが、雰囲気もとても閉鎖的だった。10年以上同じ病棟に勤務している超ベテラン看護師が半数を占め、若手は2年以上勤務している看護師が1人だけ、そのほかは2年以内でみなやめていったそうだ。同期が4人いたのが救いだったが、頼れる身近な先輩はいなかった。

そして看護師1年目のときに病気が見つかった。24時間ごと365日内服が必要だったが、休憩もまともに取れない3交代勤務では24時間ごとの定期内服が難しかった。治療を開始して半年ほどでホルモン量の多い薬に変えた。このまま不規則な生活を送っていたら、国際協力の仕事に就けなくなってしまうかもしれない、子どもが産めないカラダになってしまうかもしれない、と不安が大きくなっていった。

国際協力の仕事がしたくて看護師になった。
国際協力の仕事ができなければ看護師になった意味がない。
でもせっかく看護師になったんだから看護師として一人前になるまで経験が積みたい。
でも仕事はきついし、人間関係も悪いし、病気のこともある。

看護師1年目のころからずっと迷っていた。
いつ国際協力の道に舵を切ったらいいのか。

つらいことがあるたび、今すぐにでも辞めたいと思った。
インシデントを起こすたび、こんな迷いを抱えて無責任に仕事を続けられないと思った。

でも時には看護師の仕事にやりがいを感じることもあった。

先輩から褒められるともう少し頑張れそうだと思った。
患者さんが元気になったり、ありがとうと言ってもらえたりすると看護師であり続けたいと思った。

ずっとずっと迷っていた。
看護師は少なくとも3年は続けないと。
5年でやっと一通りの経験を積める。後輩育成までして一人前。
そう耳にたこができるほど聞かされてきた。

でも私は2年3か月で看護師をやめた。
3年前の人生設計から2年9か月早く、国際協力のフィールドに飛び出した。

いまでも時々、もっと看護師として経験を積むべきだったかもしれないと思うことがある。後輩指導をしている同期の姿、力及ばず旅立っていった患者さんのこと、新人時代の数々の失敗、看護師としてのやりがいを感じさせてくれた患者さんの言葉、それらが脳裏に浮かび、2年3か月という短い期間で看護師をやめてしまったことが正しかったのか考える。

もっと経験を積んでからここにくれば、もっとできることが多かったのかもしれない。
もっといいケアができたかもしれない。
もっと学ぶべきことがあったかもしれない。
でもアフリカに来る決断を通して、出会えたひと、感じたこと、学んだこと、気づいたことがたくさんある。それにあと3年後にアフリカに来るチャンスがあったかもわからない。看護師の仕事にやりがいを感じてアフリカに来るのをやめていたかもしれない。
病気が悪化してアフリカにくるチャンスをつかめなかったかもしれない。
家庭の事情で日本を離れがたくなっていたかもしれない。

どんなに迷っても、どんなに考えても、すべて結果論でしかない。
やってみないとわからないし、“もし”という仮定を挙げ始めたらきりがない。
それにいつだって隣の芝は青いから、自分と違う状況にあるひとのことをうらやましく思う。

なにをやっても、どんな決断をしても、なにが起こるか、いいことが起こるか悪いことが起こるかはわからない。それにどんな決断をしても、いい結果も悪い結果もついてくる。

やらなかった後悔より、やった後悔

迷ったときには常にこの言葉を思いだす。

やってしまえば、失敗してもいつかいい経験だったと言える日が来る。
失敗しても、経験が残る。
でもやらなかった後悔は、ただの後悔のまま心に残る。やらなかった後悔は、経験には変わらない。

そう思ってアフリカに来る決断をしたことを思い出していた。
看護師経験への未練は残る。だから看護師を続けている大学や職場の同期のことをすごく尊敬しているし、あこがれてしまう。
でもアフリカに来たことに後悔はない。
たとえ失敗すること、できないこと、いやな思い出、つらい記憶がたくさんあってもそれはそれで人生が面白くなっていいな、と思う。

アフリカにきて3か月が経ったいまでも、迷いは続いている。でも、すべて結果論。考えても考えても、結果は見えないし、決められない。よいも悪いも結果論。


決断するって、何度経験しても、いくつになっても得意になれない。

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