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"考えるひと"になりたくて

私は、付き合いの長い友達にこう言われたことがある。

「すいみんちゃんって、考えてそうで、あんまり考えてないよね」

…良い方にも、悪い方にもとれる一言。
あれはどちらかというと、悪い方のトーンだったと思う。

言われた私は、「あはは、たしかに」
と力なく笑うしかなかった。

この一言は、
私が「変わりたい」と強く願うきっかけでもあり、「考えを言葉にしよう」と思うきっかけにもなった。

なぜなら、私は、良くも悪くも"考えないひと"だったから。

🖋

◎正直、図星だった

小さい頃から、目の前にあることだけをとにかくやってきた。

勉強も、習いごとのピアノも、ダンスも、友達付き合いも、頭であれこれ考えるよりは、己の直感でこなしてきたというか。
"考えないひと"ではあったけど、成績や出来栄えはそこそこによかった。

ただ、どこかふわふわしている自分がいた。


頭を使ってない自分。
目の前に集中しすぎて周りのことがよく見えていない自分。


そのことには薄々気づいていたけど、その事実に真正面から向き合うことはしなかった。

「考えてそうで、あんまり考えてないよね」

友達が言ってくれたこの言葉は、
私のモヤモヤをズバリと言い当ててきた気がして、深く突き刺さった。

そして、自分と向き合うきっかけをくれた。

◎考えないことも大事だけど、考えることも同じくらい大事

なんにも考えず、自分の感覚だけを信じて突き進んでいた頃の自分も、その時なりに一生懸命にやってきたと思っているから、否定はしない。

それに、その都度 自分のベストは尽くしてきたからこそ、私を近くで見てきた友達はあえて「考えてそうで」という表現をしてくれたのかなと思う。

実際、あれこれ深く考えなくても感覚的に物事をこなせる人も居るし、感覚に頼った方が上手くいく物事もある。

だけど私はこう思った。

なんでも感覚だけでやりすぎてた。
「考えればもっと上手くできること」があったはず。
うっわぁ〜〜勿体ねぇ〜!!
もっと脳みそ使いてぇ〜!!

このことに気づいた時は結構ショックだったし、
今までの自分何してたんだ…と頭を抱えたくなることもあった。

…でも、いくら感覚だけで生きてきたと言っても、頭の中に何かしらの考えはあったのでは?

ただ、私は頭の中の考えの存在に目を向けられていなかった。
浮かんでは泡のように一瞬で消えてしまって、
言葉に、形に出来なかっただけなんじゃないか。

じゃあもっと、自分の声を聞こう。

✓今、何を考えてる?
✓これから、何がしたい?
✓どうしたら、もっと良くなる?

そうやって、自分に問いかけながら、
ひとつひとつ言葉にして、
自分自身を把握しよう。

そうすれば、元々持ち合わせてる
「感覚で物事をこなす力」と、
「論理的に物事を考えられる力」
を使い分けれられるんじゃないか。


それってもっと、毎日が楽しくなるんじゃないか――


この仮説を証明するため、こうして私はnoteに自分の考えを綴っている。

書くことは、考えることだと思うから。

書くことを通して 考える力 をもっと養って、
"考えるひと"に近づけたらいいなぁなんて
思ってます。

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