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「怒る」と「叱る」の違いとは?!  〜Bさんの頭の中〜

夫婦の価値観

「夫婦の価値観の違い」は、これまでもこれからもずっと取り沙汰される永遠のテーマの一つかと思います。

価値観に優劣はありませんが、異なれば異なる人ほど、理解し合うことは難しいでしょう。

結婚している時点である程度の価値観のすり合わせはできているとは思いますが、子供ができたり環境の変化によって、個人も価値観そのものも変化していくもの。

夫婦となり子をもうけたからには、独身の頃ほど簡単に離れることは出来ませんが、自分へはともかく子供への対応が不適切に感じられることが積み重なると、だんだん見て見ぬフリは出来なくなります。

私がそのように感じたエピソードの一つに、掲題の通り、夫と私の「怒る」と「叱る」の認識の違いがありました。


学校は私立か公立か。
習い事は文化系か運動系か。

といった教育方針が夫婦で違う場合は、子供を起点にベストな最適解を2人ですり合わせていけば良いと思いますが、それよりずっと手前の
「そもそも子供に人権はあるか
というような問いに
「ない」
という答えを相手が持ち合わせている場合、こちらも同じスタンスで足並みを揃えるのはただただ子供が不幸になるだけだと思っています。

子供へのイライラ

子育てをしていると、本当にイライラしてしまうことがあります。

子供の年齢や性格によって差はあるものの、幼い子どもが何度も同じことを繰り返す時は、まるでこちらの忍耐を試されているかのように感じます。

あまりにしつこかったりすると、
「そろそろいい加減にしてよー、、、(ため息)」
という気持ちになるもの。

私も息子が幼かった頃に何度か
「もう、本当にやめてって言ってるでしょ!」
と強く言ってしまったこと、あります。

なるべく怒らない自分ではいたいとは思っているのですが。


「怒り」は感情に任せて言ってしまうこと。
怒っても、子どもは親が怒っていることは理解出来ますが、自分の行いと親の怒りは結び付きません

諭すように、何をやめて欲しかったのかを理由と共に忍耐強く、子どもがわかるまで伝えることが大切です。

頭ではわかっていても親だって人間。

感情に任せて怒ってしまって、子どもの寝顔を見ながら
「ごめんね」
と謝ったことは、子どものいる方なら一度は経験したことがあるのではないでしょうか。

エピソード

夫は、機嫌がいい時は好んで息子に構っていました。

ある夜、夕飯中の夫に、息子が横に座りながらパンチを仕掛けていきました。
息子が4歳くらいの頃の話です。

その頃夫が子供用のグローブを買ってきて2人でパンチ練習をしたりしていたので、その延長で息子は遊びたくてちょっかいを出したのだと思います。

私は台所で用事をしていました。

最初は
「今ご飯中だからやめて。あとで」
と言っていた夫。

しかし息子は楽しそうに、何回かパンチを繰り出します。

次第に夫の顔が曇りだし、私は内心「やば、、」と思いながら声をかけようか迷っていると。

「ハァ〜」
夫はどこかを見つめて箸を皿の上に置き、食事を一旦中断します。

「てめぇな。」
と息子に顔を向けます。

「おんなじこと大人になってやってみろ。
刑務所いきだぞ。
なぁ?
刑務所いったらどうなるか知ってんのか?」

息子は驚いて黙り、顔からふっと表情が消えました。

「なー、知ってんのか?」
不安そうな顔になって首を横に振る息子。

「誰にも会えなくなるんだよ。
1人で。
何年も。
お前な、そんな風になりたいのか?!」

喧嘩で相手を威嚇するような目つき、顔つきで息子を言葉通り「脅して」いました。
パンチを繰り出していた時の楽しそうな表情はあっという間になくなりました。

私は思わず、
「刑務所なんか行かないよ!」
と言いながら息子のそばに駆け寄りました。

息子は、夫の剣幕と刑務所の言葉にびっくりしたんだと思います。
私にしがみつきながら、苦しそうに嗚咽をもらして泣き出しました。

「ほんと?
ほんとにいかない?
刑務所いかない?」
と、泣きながら何度も聞いてきます。

夫は面倒くさそうに舌打ちをしながら、
「泣くくらいなら最初からすんな!」
と一蹴。

いきなり突き放された物言いをされた息子は、すごくすごく怖かっただろうと思います。

夫の言い分

自分のことには大概鈍っていた私の感覚も、小さな息子の体を抱きしめながらこの一連の夫の息子への声かけは絶対に正しくないと感じていました。

その夜、私から話をする前に、夫から
「自分が(息子に)話しているときに横から口出しするのはやめてくれ
と言われました。

横から私が口を挟んでその場が収束すると、自分の立場がなくなる
息子が普段私の言うことの方を聞いて、夫のいうことになかなか従わないのはそう言う理由もあるのだ、と。

夫と息子の会話に口出しが不要な場合はもちろん口出しをしないし、普段息子は四六時中私と過ごしているのだから、いつもはしないことをたまに夫がしてもいいと言われたら私にも確認するのはごく自然なことじゃないだろうかと思いながら、

「『刑務所』などと言う言葉は怯えさせることでしかない。
イライラすることもあるけど、『こう言う理由があるから今はしないで』と伝えないと、あれでは何が悪かったのかわからず子どもは混乱する
正直大人の私でも子どものパンチと刑務所の関連付けはよくわからなかった」

と伝えたところ。

これに対して返ってきた夫の持論が、衝撃でした。

夫曰く、

「教育には『脅し』や『怒鳴ること』も必要」
だとのこと。
当たり前という風に続けるので、最初っからびっくり。

夫の言い分はこうです。

ーーーーーーーーー
何度もパンチをしてくるのは、こいつ(親)にはどこまでやっていいのか(息子が)試しているから。
つまり、舐められている状態。

人間舐められたらおしまいなんだよ。
最初が肝心。

理屈で理解できなくても、主従関係は作るべき
無条件でこいつ(父親)には逆らったらダメだと(息子に)分からせる必要がある。
ーーーーーーーーー

少年漫画に出てきそうなどこぞの高校の闘争模様のような持論を真顔で打ち明けられて、心底面食らいました。

「叱るvs怒る」
どころか、これじゃ
「叱るvs脅す」
です。


最適解は何だろう

私は自分の子育て論が絶対などとは思っていません。
でも、少なくとも夫の考えには賛同できなかったことは確かです。
もしかしたら男親なら、理解できるという方もいるのかもしれません。
女は甘い生き物だと。
男社会の厳しさは、男同士だから教えられるのだと。

親子は少なからず主従関係が出来やすい構造ではあると思いますが、親の意見を聞く根本が「尊敬」ではなく「恐怖」が先に作られてしまったら、その先に構築されていくのは子供が本音を言えない「仮面親子」だと私は思うのです。

学校含め社会にはたくさんの理不尽もありますが、納得するまで相談できる親子関係があるからこそ、気持ちをリセットしてまた元気に社会に出ていけるんじゃないかと思うんです。

訳のわからないことをわからないままシャットダウンされたら、子どもはもう思考停止で「ただ従う」になってしまいます。
私にはどうしても、子どもの健やかな成長にふさわしい声かけには思えなくて。

「息子はただ怖くなっただけで、訳がわからなかったのでは?
納得できないと次の学びにもならないよ」
と伝えましたが、

「別に納得なんて必要ない
という返答。

ゴールへの道は一つではなく、どういうアプローチが最適なのかは誰にもわからない。
目的はゴール(この場合はパンチをやめさせること)に辿り着くことで、そこで取る方法お互いに違う。

夫:絶対服従
私:諭す(悪いことは怒らず叱る)

私が息子に接している時は邪魔をしないので、夫が息子に接しているときも今回のように邪魔をするのはやめてくれ。

まとめるとこのような内容でした。

「私のやり方も尊重するから自分のやり方も尊重してくれ」
という夫の説得方法は一見公平にも見えますが、やっぱり納得できません。
子どもを力ずくで思い通りにさせるのはある種虐待なんじゃないかと、この時は必死であれこれ訴えましたが、夫の考えは到底変わることはないこともわかりました。

夫が私に向けて発する言葉の毒には思考停止で受け流すことも増えていましたが、息子となると話は別です。
小さなエピソードに思えますが、小さな積み重ねが後々息子の人格形成にも大きく影響するのではないかという懸念が、このくらいから徐々に大きくなっていきました。

人間は慣れる生き物。
今感じている息子への危機感も、段々と思考停止になっていくんじゃないか、という自分への不安も同時に感じました。

息子を通じて、Bさんの本当の顔の片鱗を見たような気がしました

あなたは、子育てに脅しは必要だと思いますか?

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