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ハッカーとしての生き方を考えてみた

会社の上層部と揉めていて自宅待機が1ヶ月以上続いている。
今日も人事部長と電話で話をしたが、「会社の秩序を乱した」ことは許し難く、降格と今とは関係ない部門への異動以外は考えられないと言われている。

大きな組織が腐敗することについては以前に書いた。それに対する対処法と僕がいる部署への適応方法についても考えた。色々伝えたいことはあるのだけれど、はじめから悪者扱いされるのは流石に苦痛だ。

先日買った電子書籍版の「ハードウェアハッカー」を読もうと思ったが、どうにも気持ちがそちらに向かない。

冒頭にエドワード・スノーデンの文章があったことから、録画して観るのを忘れていた2016年の映画「スノーデン」を観てみることにした。

ストーリーは軍隊での訓練中に脚を複雑骨折したスノーデンが国に貢献できる他の方法を模索した結果、コンピュータの扱い(プログラミング)が抜群に上手い特性を活かし、CIAに入るところから話は始まる。

インターネットを活用した「監視行為」は誰にとって必要なのか、国民を守るためと伝えながら、国家権力に逆らうものは全て排除するという行為は「正義」なのか、話の流れは想像通りのものであったが、日本を含む世界中を飛び回り、罪なき市民を監視する行為を強要されていたスノーデンが内部告発を香港で行い、ロシアに逃げ込むまでを描いたドキュメンタリーはやはり緊張感に満ちていた。

彼のTwitterを覗いてみると、今も国家権力との闘いを継続していることがよく解る。

『ハッカー』という肩書きについて、多くの日本人はまだ「情報を盗む悪いヤツ」との認識を変えられないのだろうと推測する。
しかし前述の書籍にある通り、『ハッカー』≒『メイカー』であり、『ハッカー』は情報がどこに集まり、誰が何のために活用するのかなどの仕組みを考え紐解き構築できる人のことなので、「悪いヤツ」とは限らないのだ。

映画のラストは、スノーデンが「自分の良心、心の声」に従い勇気を出して亡命し、スクリーンを通して多くの聴衆の前でスピーチするシーンとなっている。個人の所属的欲求や安心よりも、多くの人々の疑問を解消し、戦争をコントロールしようとする米国から抜け出した彼は現代のヒーローに違いない。実際彼の行為の影響は大きくて、米国は様々な法律の修正を余儀なくされた。

そんなスノーデンは日本についても心配している。日本政府は相変わらずマイナンバーとか、共謀罪とか明らかに市民ではなく「政府」のためとしか考えられない法整備に余念がないし、国内の情報を米国に今でも流し続けているからだ。

人間というものは「矜持」を持ったり「良心に従おう」とすると何だか生きにくい生き物だ。それは解るが僕もスノーデンの様な人でありたい。

#スノーデン #ハードウェアハッカー #映画 #エッセイ

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