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箸の使い方

 今から数年前に、ある小学校で校長を務めていたときのことだ。
 休み時間に、3年生担任の女性教諭であるA先生が、クラスのB君と一緒に校長室へやってきた。

(どうしたんだろう?)
 と思っていると、A先生がこう言った。
「B君がとっても上手に箸を使えるようになったんです。だから、校長先生にも見てもらおうと思って」

 B君は1ヶ月ほど前に東南アジアの国から来日し、この学校に入学をしてきた子だった。
 A先生は小さな皿と箸を校長室のテーブルの上に置き、B君に目配せをした。皿には炒った大豆が何粒か入っている。
 校長室の様子を聞きつけて、副校長や数名の職員たちも集まってきた。
 大人たちが見守るなかで、B君は右手に箸を持つと、皿から器用に大豆をつまんでテーブルの上に移していく。

 すべての大豆を移し終えると、見ていた大人たちから一斉に拍手が起きた。
「B君、すご〜い!」
「上手になったね〜!」
「日本人の子より上手いかも」
 私もB君とハイタッチをして喜んだ。

「毎日、特訓していたんですよ」
 そう言って少し涙ぐんでいるA先生の横で、照れくさそうに笑うB君の姿が今も心に残っている。


 ・・・心温まる出来事だったと思う。

 けれども、今になってあの光景を思い出すと、心に棘が刺さったような気分になってしまう。

 両親の都合によって日本にやってきたB君は、日本語を一から学び、日本の習慣を覚え、日本での生活に溶け込もうと努めていた。

 クラスの子どもたちや担任のA先生もB君を仲間として受け入れ、彼が新しい日本語を覚えたり、他の子と同じようにできることが増えたりすると喜び合っていた。

 やがて彼は、日本人と同じように進学し、日本人と同じように就職をして、日本人としてこの国で過ごしていくのかもしれない。

 だが、それは彼が本当に望んでいることなのだろうか?
 私たちが善意というオブラートに包んで、無理強いをしていることではないのか?
 そして、それは彼にとって幸せなことなのだろうか?

 ・・・誰も悪くはない、と思う。
 しかし、これでいいのだろうか、という気持ちは拭い切れないのだ。

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