親ガチャ子ガチャ

養老孟司先生の「ものがわかるということ」では、「都市化した現代社会においては、社会的経済的な価値のないものは「ないもの」として扱われる。だから子供でさえも、将来の社会的価値が予測不可能であるということから、幼児期というのは必要悪になってしまっている。」と述べられている。
親ガチャという言葉は、本来虐待やネグレクトなどを受けた子どもの親に向かってハズレだというためのものだと私は認識しているのだが、現在ではもはや一般に当たり前の言葉として浸透し、より軽く浅い次元で親ガチャという言葉が飛び交っている。
養老先生の言うように、現代の子どもは将来の社会的経済的価値の期待値を引き上げるために「早く大人になれ」と言われ、中学、ひいては小学校入学から受験勉強をし、習い事を行い、大学に入学する頃には就職活動やインターンが始まるなんてことになっている。このような家庭内の教育のあり方は、子どもを社会的経済的な価値が期待できるものとして捉えていることをよく表していて、これこそが子ガチャとも呼べるのではないか。
つまり、このような子ガチャとも呼べる親子の関係が先行していた社会で、その当事者である子どもからそのアンチテーゼとして親ガチャという言葉がより広義に、共感を得るような言葉として一般化してしまったのではないだろうか。
2/4 2024

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