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松下幸之助と『経営の技法』#364

2/13 こわさを感じる

~親、世間、神、自分自身といったものに、こわさを感じる姿勢が必要である。~

 子供は親や教師にこわさを感じるでしょう。店員は主人がこわいし、社員は社長がこわい。また会社で最高の地位にいる社長にしても世間がこわいというように、人はそれぞれこわいものをもっているわけです。また、他人がこわいというだけでなく、自分自身がこわいという場合もあります。ともすれば自分はつい怠けがちになるが、この怠け心がこわい、あるいは他人に対して傲慢になりがちな自分の性格がこわいということもあると思います。何か事をなすにあたって、自分の勇気のなさ、信念のなさがこわいということもあるでしょう。また神がこわいとか、自分の運命がこわいということもあるかもしれません。そういうただ単に犬にかまれるのがこわいといったこわさとは違った、もっと精神的な意味でのこわさというものを常に感ずることが必要ではないかと思うのです。
 なぜなら、お互い人間にとっては、何ものかにこわさを感じて、それを恐れつつ、身を慎んでゆくことが大切なのであって、もし、そういうこわさというものが何もないならば、自分の思うようにふるまうことはできても、結局は、自分をダメにしてしまうことが少なくないからです。
(出展:『運命を生かす』~[改訂新版]松下幸之助 成功の金言365~/松下幸之助[著]/PHP研究所[編刊]/2018年9月)

2つの会社組織論の図

 松下幸之助氏の言葉は、人間としての在り方や生き方に関する面を重視されることが多いようですが、ここでは、繰り返しそうしているように、それぞれの言葉の裏にあるであろう、経営者としての経験や見識について掘り下げようと思います。

1.ガバナンス(上の逆三角形)の問題
 まず、ガバナンス上の問題を検討しましょう。
 投資家である株主と経営者の関係で見た場合、経営者は投資先です。しっかりと儲けてもらわなければ困りますが、投資家も、経営者の資質を見極めなければなりません。
 その場合、ここでの松下幸之助氏の言葉のように、世間がこわいと思うことが、経営者に求められる資質になります。これには、企業の社会的責任のような意味として、会社は市場に受け入れられるからこそ事業を継続できるのだから、社会に嫌われないか、いつもこわがっていなければいけません。
 この背景には、経営者が株主に対して「儲ける」責任を負っていること、「儲ける」ためには、商売が社会で評価されること、の2つの要素があります。後者が企業の社会的責任ですが、前者は経営者の受託者責任です。まさに、上の逆三角形の関係があるからこそ、ここでの言葉が生まれます。
 つまり、経営者は株主をこわいと思っているからこそ、社会もこわい、という構図です。
 このことから考えると、例えば、株主がこわくないオーナー経営者の場合には、株主のように睨みつけてくる存在がありませんから、純粋に何がなくても社会がこわい、と感じるようにならなければなりません。社会に嫌われたら、会社もおしまいだ、ということを常に感じていられるかどうか、という問題です。オーナーなので、自分の財産が無くなってしまう、という意味ではこわさを感じるかもしれませんが、他人に対してこわい、というのとは違う背景での問題となります。
 他方、公開会社のように株主が別にいる場合には、株主に対するこわさが生まれます。もちろん、オーナー経営者と異なり、自分の財産が無くなることのこわさはありませんが、しかし、経営者という地位や収入が無くなることのこわさはあります。結局、この場合の経営者は「チーママ」「雇われマダム」であり、自営業者ではありません。自営業者も大変ですが、「チーママ」「雇われマダム」は、常にオーナーの顔色をうかがって、期待される「儲け」を出さなければならないというプレッシャーを受けています。どちらのプレッシャーが効果的かというと、一般論としては、後者でしょう。自営業者であれば、自分の判断で、この部分は諦めよう、という判断や開き直りができますが、「チーママ」「雇われマダム」の場合は、諦めや開き直りすら、自分で自由にできないからです。
 このように、「チーママ」「雇われマダム」のように経営者をこわがらせ、プレッシャーを与え続ける社会的な仕組みのことを、「ガバナンス」と言います。ガバナンスの効果をいかに高め、株主の睨みを利かせるか、という工夫が、ガバナンス論の中心的な課題となっており、この株主からの睨みを、受け止める側の経営者から見た場合の言葉が、「こわいと感じる」状況なのです。

2.内部統制(下の正三角形)の問題
 次に、社長が率いる会社の内部の問題を考えましょう。
 上司や社長に対するこわさのメインは、人事権です。せっかくこの会社に入ったのに、辞めさせられるかもしれない、十分な機会や処遇を与えられないかもしれない、ということです。
 そして、このプレッシャーがあるからこそ乗り越えようと頑張り、成果を出し、自分自身も成長していこう、というのが、経営側の描くストーリーです。人事権でこわい思いをするからこそ成長する、だから会社従業員で良かったね、というような、各自の独立志向を潰すような話にもつながりかねない話です。
 けれども、ここでのポイントは少し違います。
 というのも、松下幸之助氏の経営モデルは、従業員にどんどん権限移譲していくモデルであり、そのために従業員の多様性や自立が強く求められます。いつまでもびくびくしながら人の言いなりに働くイメージの従業員ではありません。
 すなわち、経営者に替わる者となってもらうためにこわいと思って欲しいのであり、支配されるためにこわいと思って欲しいのではありません。
 このような背景を見誤ると、松下幸之助氏も従業員を支配しようとしていたのだ、という誤解を生みかねないのです。

3.おわりに
 こわさが委縮につながってしまっては、意味がありません。あくまでも、「自分の思うようにふるまう」「自分をダメにしてしまう」ことを避けるための抑制であり、リミッターです。
 どう思いますか?

※ 『経営の技法』の観点から、一日一言、日めくりカレンダーのように松下幸之助氏の言葉を読み解きながら、『法と経営学』を学びます。
 冒頭の松下幸之助氏の言葉の引用は、①『運命を生かす』から忠実に引用して出展を明示すること、②引用以外の部分が質量共にこの記事の主要な要素であること、③芦原一郎が一切の文責を負うこと、を条件に了解いただきました。

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