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雷命の造娘:~第三章~ありがとう Chapter.1

 黒天のいきどおりは続く!
 唸りは現世の魔界を威嚇いかくし、発散の臨界を堪える白が城影に鼓動を刻ませた!
 ごうに呪われし栄華〈フランケンシュタイン城〉──サン・ジェルマン卿にいざなわれ、ブリュンヒルドとヘルは城内へと足を踏み入れた。
 卿が肩に抱える巨躯きょくに手を貸し、その荷重を噛み締めるかのように進む。
 大きな螺旋にうねる石造りの階段を登ると、黒鉄の枠組みに補強された樫戸が待ち構えていた。
 その向こうが〈〉の生まれた部屋だ。
 乱雑な放置ぶりがいろどる。
 幾つもの卓上には雑多な実験器具が転がり、塵埃ちりぼこりを被った書物が積み重なっていた。
「此処が……彼女・・が生まれた場所?」
 物珍しさに室内を見渡すブリュンヒルド。
 科学的な充実を賑わした部屋など初めて見る。
 とりわけ部屋の片隅に陣取る機械設備群は、異彩な存在感を強烈に印象付けた。
 壁際には粗雑な木板が寝台と据えられ、それを囲うかのように大掛かりな機械や計器類が全容を隠している。のぞけば寝台にはいかつい鉄枷てつかせがいかがわしい印象をかもしており、周囲の機器類から生えた電気コードのつたつながっていた。
 それらが暗に示しているのは、何かしらの猟奇的実験である事は想像にかたくない──ブリュンヒルドは察する。
 そして、それ・・が何なのかも薄々と……。
「こっちだ! 手伝ってくれ!」
 サン・ジェルマン卿の呼び掛けに従う。
 寝台に巨躯きょくが寝かされると、創造主は〈ドルター〉の四肢を鉄枷てつかせでしっかりと拘束した。
 その光景を見ると隷属れいぞくの瞬間に立ち会ったようにも思え、ブリュンヒルドは軽く不快感をいだきさえする。
 が、当のサン・ジェルマン卿にしてみれば関係無い。
 ただ〈ドルター〉の再生・・に神経をそそぐだけだ。
 彼女の頸動脈けいどうみゃく付近から引き出した丸頭ボルトを、一際ひときわ太目の配線とつないだ。
「それは?」
 ブリュンヒルドのい掛けに、作業の手を休めずに答える。
「〈超高圧変電装置ハイヴォルトコンプレッサー〉だよ。城塔の避雷針と直結している。これによって落雷の高電圧を彼女の体内へと流し込み、数ヵ月分にもおよぶ活動力を一気蓄電させる事が出来るのさ」
成程なるほど、確かに今宵こよいは雷雨──かてには事欠かさぬか」
 ヘルの見解にピクリと止まった。
「そんな単純な話では済まない……。現状いまの〈かのじょ〉は死んでいる・・・・・のだ。〈死〉というから〈生〉というを導き出すという難業なんぎょうは、もはや〈奇跡〉だ。言うなれば、今回の挑戦は最初に生み出した経緯・・・・・・・・・・と同等の難易度になるだろう」
「やはり貴方あなただったのですね……彼女・・を造り出したのは…………」
 言葉のはしを拾い、ブリュンヒルドは納得へと至った。
 その抑揚は哀しく、その表情は憐れみにうれい……。
「軽蔑するかね? 神に反逆した謀反者むほんものと……」
 穏やかに首を振る。
「それは、彼女・・の存在を否定するという事……。現在いまの私は、到底そんな事をくちに出来ません。愛すべき親友を否定する事など……」慈しみに冷たく眠る頬を撫でた。「ですが、理由を知りたい……何故、彼女・・を生み出したのか……彼女・・のような悲しい存在を…………」
 返す言葉に詰まるサン・ジェルマン卿。
 憂慮に虚空を仰ぎ、紡ぐ主張を模索した。
 意外な事に彼を組み敷いたのは、暴力でも脅威でもない──誠実なる博愛だ。
 立ち尽くす黙想が想いを探り触れる。
 雷光が轟いた。
 幾度目のいかずちが〈かのじょ〉にを息吹かせるのか──それは誰にも分からない。
 果たして、天のみぞ知る・・・・・・のであろうか。


 街外れにもうけられたゴミ集積所は、勇気さえ出せば〝宝の山〟へと変わる。
 そして、欲望は無謀な勇気・・・・・の源泉だ。
 飲んだくれの宿無しにはそれ・・が備わっている。
 彼──〝アイゴール〟には。
 背ムシの男である。背中が妊娠しているかのようなこぶに盛り上っていた。
 顔はいやしさにつぶれ、左右不揃ふぞろいな目と豚鼻が生理的嫌悪感を誘発する。薄い髪は溺死体できしたいかのような不気味な印象を演出したが、今宵こよいは濡れているから殊更ことさらだ。くちを開けば乱杭歯らんくいばのぞき、とりわけ笑った時の印象は〝邪悪な者ニック〟にしか映らない。実際、そのくちから吐き出されるのは、世をうと罵詈ばりしあわねた呪詛じゅそしかないが……。
 生まれながらにして背負う障害は、親が捨てるに充分な口実こうじつと機能した。
 以後、など無い。
 ただ残された権利〝生〟を守るために、闇暦あんれきの世を彷徨ほうこうするだけだ。
 此処〝ダルムシュタッド〟へも、そうした経緯で流れ着いたに過ぎない。滞在して一年強というのは、彼にしても長い方だろう。
 泥濘ぬかるむゴミ溜めをあさる。
 金属や機械部品は、すでに〈完璧なる軍隊フォルコメン・アルメーコーア〉によって回収済みだ。どうやら廃材であっても、彼等には需要があるらしい。
 しかしながら、どうでもいい。
 目的は、それ・・ではない。
「へへっ……あったあった」
 ブツを見つける。
 嬉々と発掘したのは、からとなった酒瓶であった。
 飲み干したとはいえ、内側に付着したしずくは時間経過で再度溜まっていく。
 そのしのぎだが無いよりはマシだ。
 酔いへの渇望にえる方がつらい。
 安い誤魔化しにあおった。
「……クソッタレ!」
 予想通りだが、飲む・・と言える量ではない。
 だから、瓶底を叩いて呼び込んだ。
 不快に顔面を濡らす鬱陶うっとうしさが、意のままにならない苛立いらだちを助長する。目が合う黒月こくげつすら腹立たしい。
 雀の涙が尽きると、飽きて放り捨てた。
 そして、新たな残り酒を探す。
 これを幾度いくど繰り返したであろうか──ふと視野のすみに変化を捕らえた。
 地平曇らせる煙雨えんうの中を、悠然と進み来る人影。ずぶ濡れになりながらも、迷いなくを刻んで来る。
「おかしな野郎だぜ? わざわざ、こんな雨の中を歩いて来るなんざ?」
 とはいえ、して気にも留めなかった。
 他人には興味など無い。
 が、少々違和感を覚え、アイゴールは改めて見入る。
「待てよ? アッチ・・・にゃ〈完璧なる軍隊フォルコメン・アルメーコーア〉の城塞基地フォートレスが在るだけ……じゃあアイツ、どっから来た?」
 その風采ふうさいを観察する限り、到底〈完璧なる軍隊フォルコメン・アルメーコーア〉とは思えない。
 一瞬、嫌な発想がよぎった。
 街と城塞の間には、広大な岩盤が続いている。
 基地を中核とした六〇〇平方メートル範囲は、演習目的にひらかれた岸壁囲いの盆地だ。
 それら──街周辺を含む──領域は強固な有刺鉄線網で囲われ、魔気ダークエーテル死体デッドの侵入対策として徹底されていたが……この激しい豪雨にさらされては、どうなのだ?
 仮に何らかのほころびが生じた場合は?
 地盤が泥濘ぬかるんだ事で支柱が倒れていたら?
 あるいは、落雷で焼け落ちたら?
 そこから〈デッド〉がまぎれ込んだとしたら、基地からの監視体制はちゃんと機能するのであろうか?
 途端とたん、ゾッとする。
 慌ててゴミ山へと身を潜め、気配を殺した。
 手近に武器を探したが、金属類は回収されている。鉄パイプすら無い。
「コイツぐらいか」
 仕方なく角棒形状の木材を手にした。
 気休め程度の武装でも、何も無いよりは良い。
 深い一呼吸ひとこきゅうを吐いて精神を落ち着かせると、改めて不審な人影を観察する。
 彼のような忌避きひの化身がひとりで生き延びられたのは、こうした慎重さを欠かない性格に起因する部分も大きい。
「違うな……〈デッド〉じゃねえ……足取り……そして、体幹が、しっかりしてやがる。じゃあ、何者だ? 何だって、こんな奇妙な方角から来訪してやがる?」
 胸元開きに着こなした紺色の革ジャン。
 後ろへと流した蒼い長髪。
 全体的に細身にも見える長身は、れど引き締まった筋肉を印象の飾りといろどる。
 視認情報から漠然と受ける印象は、全体的に粗暴だ。
「どちらにせよ……るか?」
 武器を握り締める。
 らぬ道理はない。
 人間ひとであろうがなかろうが、メリットは大きい。
 仮に〈デッド〉なら、命の危機を除外できる。
 仮に〝人間〟ならば、迫害へとさらされる前に排斥できる。
 仮に〝無害な人間・・・・・〟ならば……所持品を強奪できる!
 獲物が間合いに入った瞬間を見計らい、アイゴールは角材を振り上げて躍り掛かった!
「くたばれ!」
 渾身のちからが頭部を直撃し、角棒の先端が折れ飛ぶ!
 つんのめる上体を好機チャンスとし、さらに殴打した!
「くたばれ! くたばれ! くたばれ! イヒヒヒヒ……くたばれ! くたばれ! くたばれ!」
 殴る!
 殴るッ!
 殴るッッッ!
 暴力はアドレナリンを分泌し、彼は陶酔的な高揚におぼれた!
 と──「……オイ」──静かなる凄みを含んだ声が、卑俗ガキ稚戯あそびを握り止める。
 睨み返してくる眼差まなざしは、自分とは比較にならない殺意に意気を呑み潰した。
「ひっ?」
 無様な尻餅に転げるアイゴール。
 体勢を保ち直した長身の男は、怒気どきはらむ立ち構えで無礼者を威圧する。
「テメェ、を相手に遊んで・・・やがる?」
 格の差であった。
 悪神かみ破落戸ゴロツキとの……。
 轟く雷光を背にしたシルエットは、無慈悲な苛立ちを発散していた。
 掌中しょうちゅうに集約される憤慨ふんがい白光びゃっこう
「ひぃぃ!」
 完全に畏怖へと呑み込まれ、アイゴールは身をすくめた!
 制裁の光が〈神力しんりょく〉だとは悟れなかったものの、これだけははっきりと自覚できた──噛みついてはいけない相手に噛みついたのだ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・と。
「御許しを! 御許しを!」
 直訴を泣き叫ぶ!
 その脅えきった哀願は、滑稽こっけいにも〝熱烈な信仰信者〟であるかのようにも映った。
 と、まぶた越しのまぶしさが収束していく。
 死刑は執行の気配が失せていった。
 違和感をいだいて恐る恐る目を開くと、相手の男は強い好奇心を自分へとそそいでいるではないか。
「……プッ、醜いなぁ? テメェ?」
「え? ハ……ハイ」
「テメェ〈怪物〉か?」
「ハ……ハイ!」
 御機嫌取りに大嘘を飾る。
 如何いかに醜い容姿をしていても、彼は〝人間・・〟だ。取り立てて〈魔力〉だの〈妖力〉だのといった〈異能〉は無い。
 だが、だからどうした?
 この窮地きゅうちがやり過ごせるならば、神にも悪魔にも嘘をつこう!
 どうせ闇暦あんれき世界では、美徳や道徳などクソの役にも立たない。悪徳と不誠実こそが通行手形だ。
 彼は、そうして生きてきた。
 眼前の矮小を品定めに眺め、やがてロキは打算を弾き出す。
「オマエ、俺の手足となれ」
「は……はい? と、申しますと?」
 ロキは煙雨霞む街並みを睨み据えた。
「こんな街は、一瞬で灰に出来るがよぉ……それじゃ面白くねぇ。何よりアイツら・・・・に一泡吹かせなけりゃ腹の虫が収まらねぇ」
「アイツら?」
 怪訝けげんそうに視線を追い眺める。
 先の咆哮への畏縮は何処へやらで、街は就寝のとばりに鎮まり返っていた。
 何処・・に向けられた遺恨かは知らないが、この男には〝平温〟というものが気に入らないらしい。
 それは日々迫害にさらされてきたアイゴールにとっても、居心地のいい共感であった。

 炎を踊らせる暖炉。
 その熱になぐめられるがままに、サン・ジェルマン卿は樫椅子かしいすへと腰掛けた。
 雨に奪われた体温を取り戻そうとブランデーをそそいだものの、グラスは手付かずで卓上を飾る。
 先刻まで作業没頭に居た場所を見遣みやった。
 機械の領域テリトリーにぎわう部屋の片隅だ。
 一顧いっこに観察する〈ドルター〉に、再生の兆候はうかがえない。
 考え得るだけの処置はほどこした。
 落雷も幾度いくどとなく浴びている。
 そのたび巨躯きょくの女体は痙攣けいれんを波打ったが、ガルバーニュ電流の生体反応に過ぎないものだ。
 生命再生には程遠ほどとおい。
(それだけ、ロキ戦のダメージは深いという事か……)
 無理からぬ。
 相手は〈北欧神界アースガルズ〉きっての悪神だ。
 して、その直前には〈神魔狼フェンリル〉との一戦もある。
強敵フェンリルとの死力戦にて疲弊ひへいしきった状態で、悪神ロキからなぶり倒されたのだ……圧倒的な〈神力しんりょく〉をもって! 五体がのこっていただけでも奇跡と考えるべきか……)
 疲労から目頭を押さえ、虚空を仰いだ。
 最早、すべき手は無い。
 運を天に──いな黒天こくてんにゆだねる以外には……。
 それは、つまり〈黒月こくげつ〉に命運を預けるという事であろうか……。
 何とも皮肉な理不尽さに、自然と乾いた自嘲がこぼれる。
「ハリー・クラーヴァル──いえ、サン・ジェルマン伯爵……」
 ずとした美声から不意に呼び掛けられ、彼の意識は現実へと返った。
 ブリュンヒルドだ。
「……何かね?」
貴方あなたが、彼女・・創造主ちちおやという事は分かりました。ですが何故、彼女・・のような存在を造り出したのか──して、人造生命の受難を我が身と知る貴方あなたが──その経緯を御聞かせ願えませんか?」
「……聞いて、どうしようと?」
 疲労からか……卿の声音は冷めていた。
 それでも、ブリュンヒルドは心穏やかに受け止める。
「分かりません。分かりませんが……聞いておかねばならぬ気がするのです。彼女の親友・・・・・で在り続けるには……」
「忌まわしき悪魔の所業……それを知ってしまう覚悟はあるのかね? ともすれば、人間・・への果てぬ嫌悪を萌芽するやもしれないが?」
 自責の吐露にも似た忠告に、れどブリュンヒルドは穏やかなうれいで首を振った。
「目をらしたくはありません」
 しばし、黙して交わす瞳。
 やがて、サン・ジェルマン卿は深い嘆息たんそくに決心を固めた。
「……冥女帝ヘルも呼びたまえ。君達には、総てを語り聞かせよう」


 不死身の男〝サン・ジェンマン伯爵〟が初めてダルムシュタットの街を訪れたのは、旧暦中世末期にまでさかのぼる。
 生憎あいにくと、彼自身も明確な年代は忘れた──そこ・・キモではない。
 肝心なのは、那由多なゆたときすらも彷徨うつろう彼が、この地にいて生涯忘れ得ぬ体験をしたという事実の方だ。
 木漏れ日が穏やかに顔を撫でる。
 まぶたを柔らかく白が刺激し、黒にたゆとう意識は再活動した。
「……寝入っていたか。それなりに疲れていたな」
 大樹の根本で目を醒ます。
 緑萌える丘陵だ。
 小鳥のさえずりが、長い旅路の疲労感をいやすにいとしい。
 半身を起こせば、眼下には広い湖面が光の反射を小波に刻んでいた。
「ダルムシュタッド……いい所だな。だが今度・・は、どれほど居れたものか」
 淡く自嘲を含む。
 異端としてさすらう仮初かりそめの居場所──幾度いくど経験しても虚しいものであった。
 懐中ふところに忍ばせた手帳へと手を当て、感慨かんがいを噛み締める。
 永き歳月に探究した〈生命の神秘〉をまとめあげた手記だ。
 創造・・ためではない。
 死ぬ・・ためだ。
 『Fの書』──彼自身は、そう命名した。
 すなわち『神への重罪フェロニー・オブ・スピリットの書』の略だ。
 そう、コレ・・は〝命を絶つための書〟……。
 彼自身の命・・・・・を…………。
 だが──「まだまだ足りない……か」──目的・・を果たすには、さらなる研究を要した。
「果たして、この地では如何いかほどの進展が望めるだろうか?」
 そんな憂慮ゆうりょを眺める自然へと投げ掛けた直後であった!
「どいてくれ! すまない! どいてくれーーっ!」
 必死な喧騒が近付いてくる!
 何事かと振り向けば、青年の乗った馬が一心不乱に駈けて来るではないか!
 いや、乗っている・・・・・という表現は正しくないかもしれない。
 乗せられている・・・・・・・のだ。
 手綱たずなこそ握っているものの、それは機能していないのだから。
 馬は興奮のままに暴れ狂い、前屈体勢の青年はやっとの事で背中へとしがみついている状況だ。
 卿は動じる事もなく、数歩の後退で進路をゆずった。
 一挙駆け登る荒くれ馬!
 涼やかな傍観視の横を擦り抜ける……瞬間!
「とあっ!」
 予備動作の無い跳躍に、サン・ジェルマン卿はくらへと跳び乗った!
 青年の後ろだ!
 すかさず背後から手綱たづなを握ると、荒れる気性に主導権をいる!
「ドウッ! ドウッドウッ!」
 次第に鎮まる野生。
 ほどなくして完全に従順へと返った馬を、卿はおのが足のように扱いきっていた。
 面喰らったのは、くだんの青年だ。
 無理からぬ。
 数秒の間に信じられない事象のオンパレードであったのだから。
「あ……ありがとう」
「馬は初めてかね?」
「あ、いや……そうだな。そろそろ年齢相応に慣れようと挑戦したんですが……この様で」
 ばつ悪そうに砕けた苦笑いを浮かべる。
 自然と敬語になっていたのは、この精悍な顔立ちの紳士が歳上だと察したからであろうか。
 それとも静かなる威風に祝福されていたからであろうか。
 サン・ジェルマン卿は、その人好きのする笑顔を黙想に観察する。
 年齢は二〇歳後半ぐらいか。
 ともすれば警戒心が薄過ぎるかのようにも見える好感は、れど彼の人柄が裏表のない誠実さを内包している証明と言えるだろう。
 さりながら、興味をほどの人材ではない。
 脈絡と続く流浪旅では、何処どこであろうと何時いつであろうと見てきた凡百だ。
 つまりは〝お人好し〟と呼ばれる存在である。
 卿にしてみれば草木と同じ──嫌いも好きも無い。

 萌える丘陵にて象徴的に繁る一本の巨木オーク──その木陰で休憩し、二人はしばし余韻を処理していた。先の暴れ馬は心を入れ換えたかのようにおとなしくなり、近場の草をみ続けている。
「それにしてもスゴいですね? ハリー・クラーヴァル? さっきの一幕には驚嘆しました!」
 サン・ジェルマン伯爵は、またも偽名をかたった。
 これより先──このダルムシュタッドに滞在する限りにいて、彼は〝ハリー・クラーヴァル〟である。
「長い事、旅をしてきた中で、馬には多少慣れているのでね」
「いえ、それよりも、あの身のこなしですよ。それに反射神経や跳躍力も……」
 その指摘に、卿は弁解を探した。
 彼の運動神経は〝常人〟ではない事に起因するものだ。
 取り立てて〈超人〉として生まれたわけではないが、それを磨くに時間は有り余っている。自然と蓄積される経験も多い。
 そして、それを実践できるだけの勇気・・は──を恐れていないからだ。
 いなそれ・・を切望に受け入れる姿勢がせるわざであろう。
 無茶・・というヤツである。
「何にせよ、貴方あなたは命の恩人だ。こんなつまらない事で大怪我をしていたら、ボクの生涯を賭けた研究に支障が出る。それは〝人類にとって大きな損失〟ですからね」
「研究?」
「ええ、つまり『生命神秘への探究』──俗っぽい言い方をすれば『不老不死の研究』ですよ」
「──ッ!」
 むべき命題を突き付けられ、思わず息を呑んだ!
 それ・・が生み出す悲劇は、此処に居る・・・・・
「……やめたまえ。明るい前途を奈落に落としたくなければ」
「奈落ですって? とんでもない! これが実れば、万病すら克服できる! 何せ死なない・・・・のだから! そうなれば、万人に輝かしい祝福が約束されるでしょう!」
 揚々と力説する青年の瞳は、一点の曇りすら無かった。
 若さゆえ視野しやせまき夢想だ。
 その希望は危なっかしく、そしてもろい。
(……目を離すべきではないか)
 心静かに決意した卿は、緑の座間から立ち上がった。
きみ、名前は?」
 仰ぎ眺める好青年に手を差し伸べる。
 それを受け取り、青年は引かれるままに起き上がった。
「フォン──フォン・フランケンシュタインです」
 これが生涯の友となる若者との出会いであった。


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