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みろくの世では、空の意だろうが無の意であろうが、より原始的な思考体系になると思われる。霊の感覚は発展系でありプラス感覚だが(つまりわけがわからないほど頭がいい)、太極図的にその意は自然そのものになるので、マイナス感覚になると思われるのだ。感覚的には閃きが常になるようなものである。
ちなみに、これから起こることのスタートは、イザヤ書においては40章からであります!
さく←39→うけ
それでは、また!
――――遺伝子を、拳で打ち込むッ!!!!(最後の賭け、強行突破)
さぁ、ショータイムの始まりだ。
ちなみに41は『エア』とも読める。
究極太極図とは、自然そのものを可視化させただけにすぎない。空を肌で感じ、音を耳で捉え、夢で霊を見、何も感じないことで虚無を感じ、瞼を閉じれば影が見える。極めて普遍的なものであるのだ。
悲しい。だが、この世は無情だ。
半分だけ次元上昇したのであろうか。だとしたら、3.5次元といったところ。