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ホラー短編小説『夜叉の涙は黄泉に流るる①』


あらすじ
 
 作家である中田陽大は、異咲波(イザナミ)と筆名を名乗る新人作家の解説原稿を依頼され、一読すると、物語のなかに、中田と同棲していた縒子との生活が描かれていることに気づき、確証はなかったが、縒子の母の治代に連絡をとり、縒子であったことを確かめた中田は、縒子の自宅に連絡もせずに会いに行く。同棲していた頃の彼女は、美貌の女性であったが、ドアからのぞいた縒子の姿は激変していた。姿をみられた縒子から呪いをかけられ、仕事の依頼も止まる。呪い返しをすると、縒子は死んでしまった。その後、いろいろな疑惑が生まれ、縒子の死の真相に迫っていく。
        (了)

①プロローグ・異様な小説

 冬眠したいと考えてしまう冬がやってきた。ぼくは子供の頃から凍える風を運んでくる冬が嫌いだった。東京の冬は雪が降り積もることは少ないが、それでも冬が苦手なことにはかわりがない。しかし、今年はずっとあたたかい部屋で執筆三昧の生活だった。去年の夏から執筆依頼が多くなり、長編が一編、短篇も十一編を書きあげねばならなかった。ぼくは本名で活動していて、ほかにもエッセイや講演、テレビ出演と、なにかと忙しい毎日を過ごしていた。それもすべて、再び、ぼくの作品が映画化されたからだ。しかも、著名な監督と人気女優や俳優が出演するということで、日本じゅうで話題になっていた。まことにありがたいことだ。これほど仕事を依頼される年など、もう二度と訪れないかもしれないという不安に襲われることもある。ジャンルとしては、ホラーや推理やラブストーリーなどのエンターティメントなのだが、いつまで今のままの感性で物語を生み出すことができるのだろうかと、ふと思うことがあるのだ。
 
 三十二歳になった今も独身だ。三年前から東京の千代田区のマンションにひとり暮らしをしている。母は、新人賞をとる一年まえに、乳癌でこの世を去り、兄と弟は結婚して家を離れた。父は故郷の神奈川県でひとり暮らしをしている。父は、趣味のカラオケや追分の師匠をしており、今は人生を謳歌していた。
 
 父は、借金の肩代わりなどをして、ぼくが専業作家になるまでは、ずっと金銭的な苦労をしてきた。だから、父がこの世を去るまでに、安らかな晩年を送ってもらいたいと、つよく思って、さまざまな賞にトライしてきた日々だった。はじめて入賞の知らせと、さまざまな確認の電話を出版社の方からいただいたとき、天にも昇る気持ちとはこのことなのかと思ったものだ。その後、蒼天社から出版されている「小説ネクスト」という雑誌で、「入賞作品・白き蟻の如く・中田陽大」という文字をみたときの歓喜はいまでも忘れられないでいる。その雑誌を母が亡くなるまえに、ぼくの入賞を告げて喜んでもらいたかったが叶わなかった。ただそれだけが今でも心残りだ。

 部屋に入り、雑誌の山を見て、ひとつため息をついた。小説雑誌の数冊は、年間講読しているので、読まないと、どんどんと増えていく。まあ、しかし、すべての雑誌をすべて読むわけじゃない。気をひいた記事や小説を数編読むだけだ。たとえば、同期の作家の作品や、懇意にしている作家などの作品や記事などだ。部屋の整理をしようとしたとき、スマホの着信音が鳴った。ぼくの担当である編集者の、田丸良雄からだった。田丸には、同年代の気安さから、プライベートなこともよく相談している、友人のような関係だ。ぼくの過去のこともある程度は知っていた。ここ数年、編集者ともメールやラインでのやりとりがメインだが、田丸とは、なぜか気が合い、一緒に飲食をすることもある仲だったから、ときおりスマホに電話をかけてくるのだ。

「中田さん、お忙しいところ悪いんだけど、同僚の編集者から頼まれていた文庫の解説原稿、書き上げていたら、メールに添付して送ってよ。締切は今日までだからね」

「あっ、ごめん。もう少し待って、今日中に送るから」

 すっかり忘れていた。確か、『闇夜の遊美』とかいうホラー小説だったはずだ。ペンネームは、異咲波と書いて、イザナミと読ませるらしい。著者については、田丸からある程度のことは聞いていた。かなり個性的な作者らしい。神話のなかでのイザナミは、『古事記』の最初のあたりにでてくる神様だ。イザナギとともに国生みをし、カグツチという火の神を産んだあと、やけどをし、それがもとで亡くなり、黄泉の国に逝ってしまう。イザナギは妻のイザナミが恋しくて、黄泉の国にいき、戻ってもらうように頼むが、イザナミは、黄泉の国を支配している者と、談判をしてくるから、それまで、私の体を見ないようにと頼むのだ。

 しかし、イザナギは、髪にさしていた櫛の歯に火を灯し、変わり果てたイザナミを見てしまう。蛆にたかられ、コロコロと太り、八つの見るもおぞましい、さまざまな雷神がイザナミの体から出現していたのだ。恥をかかされたイザナミは、逃げるイザナギを黄泉の国の醜女とともに追いかける。さまざまなものを投げ捨て、追っ手の足を止めながら、ようやく黄泉津比良坂にたどりついた。イザナミは、「あなたの国の人間を一日に千人、絞め殺してあげましょう」と呪いをかけ、イザナギは、「それなら千五百人の子を産ませよう」と返すのだ。

 幼いころ、『古事記』の物語を読んだとき、約束をやぶったイザナギも悪いのだろうが、関係のない人間が犠牲にされることに、なにか、憤るような気持ちになったものだ。しかし、神話というものは、そのまま読むのではなく、奥深い意味があるものらしい。『古事記』は、いくとおりにも読めるものだという人もいる。

 たとえば、『秀真伝』という埋もれた書物がある。史学会には認めていられないものだが、内容を一読すれば、『記紀』よりも詳細に記されており、真実の日本を描いているのではないかと、思わず手を打ちたくなるようなリアリティな描写で満ちあふれている。
『秀真伝』でのイザナミは、スサノオの乱行の罪を償う痛ましい母として描かれている。最後には、スサノオがおこした山火事を、イザナミが消そうとして焼け死んだとされている。『日本書紀』にも、「子の為に焦かれて、神退りましぬ」とある。

 いずれにせよ、著者は神道が好きな人らしい。そうでなければ、イザナミをもじった名前にするはずがない。

 さて、『闇夜の遊美』だが、作者の異咲波は、田丸のいる出版社の編集者の目にとまり、文庫本として、企画出版されることになったのだそうだ。なんでも、どうしてもぼくに解説してほしいと、作者が頼んできたらしい。聞けば、作者は女性らしいのだが、連絡はすべてメールなのだという。編集者がなんども会って話をしたいと、取材を申し込んだのだが、つよい態度で拒否され、著者の写真撮影も断られたと話していた。

 ぼくが新人賞をいただいた頃は、担当してくれた野原つくし編集者がやり手な人で、映画化のために、駆けずり回ってくれたおかげで、ぼくの作品が映画化され、観客動員数もかなりの数で、結果的には大成功だった。

 出版社によっては、新人賞をとったぐらいでは、雑誌に掲載を確約された依頼をうけることはない。ぼくの場合は、映画の大ヒットのおかげで、作品依頼も絶えることがなかった。今では担当が変わってしまったが、盆暮れには贈り物をかかしていない。彼女の尽力なくして、今のぼくはいないからだ。

 とにかく、ぼくは彼女の解説を書くべく、郵便物のなかにあったはずの、ゲラ刷りの『闇夜の遊美』を捜し出し、さっそく読みはじめた。

 一読して思わず唸った。ぼくも人のことは言えないが、文章の乱れや言葉の使い方はイマイチでも、技術うんぬんを語らせないほどの筆力がある。知らないあいだに作品のなかに引き込まれてゆく迫力があった。そして今時ではめずらしい、手書きの原稿をコピーしたものだった。この書体には見覚えがあるような気がした。
 物語はこうだ。
 
《美を追求してきた女が、どこかの家から、生まれたばかりの赤ん坊の女の子を連れ去り、自分の家の地下室で育てていた。元中学校の教師でもあった女は、女の子に勉強も教えていた。
 地下室の部屋には、醜いものばかりが置かれ、または貼られていた。食器も異形なものばかり。女は怪物のマスクをしたままで赤ん坊を育て、手作りの醜いイラスト入りの教科書で勉強も教えた。
 女は、美とは、子供のころからの環境から、美しさというものを学んでのものなのか、潜在的に感じる、感性のものなのかを知るために、醜い世界をつくりあげ、そのなかで赤ん坊を育てるのだが、その子が十一歳になったとき、突如、大地震がおき、女も死んでしまうのだ。
 十一歳の少女は、怪我をすることなく、監禁されていた地下室からでて、瓦礫と化した街をながめて、きれい……と、つぶやくのだ》
 
 発想もおぞましいが、描写が、作者が自分で体験していることを実写しているのかと思うほどにリアル感がある。とくにグロテスクな女の素顔の描写には、背筋が寒くなるほどだった。モデルのような美貌と体型をしていた女は、二十九歳のときに顔に大火傷をして以来、知り合いの映画会社に依頼して、作り物のマスクをかぶって、偽りの顔で生活していたのだ。

 しかし、読み終わったあと、どうも心に引っかかるものがあった。なんだろうとなんどか読み返しているうちに、過去に、同棲していた彼女との出来事と、よく似たことが書かれていることに気がついた。たんなる偶然なのかもしれないが、文体も彼女のものに酷似している。たとえば、体言止めが多いのも特徴だ。そしてまた、なによりも見覚えのある筆使いだ。作中のなかでは、男の回想として描かれているのだが、男が、監禁している幼児に話すさまざまな思い出話が、まさに、ぼくが同棲していた彼女に話していた内容だったのだ。ぼくが新人賞をとり、専業作家になるまでつづけていた、菓子工場での仕事内容まで、まるで、そのままを書いている。異咲波は、ひょっとすると、ぼくの彼女だった、あの佐倉縒子なのだろうか?
 しかし、なぜ、ペンネームなどをつかっているのだろう。あのころ、佐倉も小説を書いていて、本名でさまざまなところに投稿していたはずだ。姓名判断でも、本名のほうが、小説家に向いているとでていたらしく、ずっと本名で書いていくと言っていたのに。
 ぼくは、解説の原稿をメールに添付をしたあと、田丸にスマホで電話をかけ、彼女の本名や住所などを訊ね、できれば会って話がしたい、それがだめならメールでもと伝えてほしいと電話で話した。田丸は、連絡をしてみると言って、電話をきった。
 
 翌日、田丸から連絡があった。

「中田さんが、どうしても話をしたいと伝えたんだけど、ガンとして話したくないと言うんだよね。彼女は編集者ともメールでしかやりとりしていないみたいなんだ。中田さんともメールすらもやりとりしたくないそうなんだ。私が彼女と面識でもあればもっとつよくでられるんだけど。住所や本名も教えないでほしいと言われたんで、申し訳ないけど、あきらめてよ」

 だめだと言われると、なおのこと会いたくなるのが男の本能というものだ。ぼくは、縒子の実家に電話をかけた。縒子の母の治代は、ためらうことなく、著者は、自分の娘の佐倉縒子だと教えてくれた。縒子は数年前に東京の三鷹市のアパートに引っ越してひとり暮らしをしているらしい。今でも治代さんは、週にいちどは縒子のアパートに行っていると言った。縒子は誰とも会いたがらないというので、連絡せずに会うことにした。午後の八時に、彼女の住んでいるアパートで治代と待ち合わせをすることにした。

 二人の思い出を書き記し、ぼくに解説を頼んだのは、まだ、ぼくに好意をもっているのだと、勝手に解釈し、ひと目だけでも会いたいと思った。もちろん、時計を逆にまわすつもりはない。だからこそ治代と一緒に会うことにしたのだ。

 イザナミに会いにゆく、イザナギのような気分になってきた。

            (②に続く)

#創作大賞2024 #ホラー小説部門





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