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ホラー短編小説『夜叉の涙は黄泉に流るる②』

② 縒子の野心

 縒子と出逢ったのは八年前の春。まだぼくの故郷の神奈川県にある、家電を製作する会社のみつ葉電機で、商品開発の仕事をしていた。その会社に縒子が新卒で入社してきたのだ。ミスあやめに選ばれた経歴があると、誰かが噂をしているのを聞いた。

 縒子は、有名な女優似の美人だった。手のはやいやつは、その日のうちからアタックしていたが、選ばれたのはぼくだった。ぼくは仕事を縒子に教える役割だったが、縒子ほど素敵な人が、ぼくなんかに惚れるわけがないと、頭から決めていたので、誘うことなどなかった。いや、反対にぼくが縒子に誘われて交際するようになったのが真相だった。

「なぜ、ぼくなんかとつきあおうと思ったんだい?」

 ぼくが訊くと、

「ずっと男の人からちやほやされてきたでしょう。あなたみたいに、私に無関心な人になんだかひかれてしまうのよ」

 縒子は、さもあたりまえのように答えた。
 縒子と別れてから、彼女と親しかった女性友達から聞くところによると、縒子が大学にいるときに、妻子のあるおなじ大学の教授と不倫関係になり、男の妻がその事実を知り、彼女の実家の近所にまで不倫をした女だとふれまわり、卒業してすぐに地元を離れたのだという。

 実家のことや、地元のことを一切話すことがなかった理由がそのときはじめてわかった。最初は、自宅と縒子のアパートを往復していたが、ぼくが実家に帰ろうとするといつも泣き顔になる。ひとりになることがとても心細く思えるのだろう。

 つきあいはじめたころ、縒子はサングラスをかけてでかけていた。人目を忍んで生活をしているようにみえた。人が恐くて仕方がないのだと、ときおり話していた。自分のことは、ほとんど話さない人だったから、縒子のことが、よくわからないところがよくあった。繊細すぎる心で、人生の細いロープの上を、おびえながら歩いてきたように、ぼくには感じられ、いつのまにか、縒子とおなじ部屋で暮らすようになっていた。

 おなじ課内だが、仕事内容が多少異なるので、帰宅する時間もちがう。たいていは縒子が先に帰っていることが多かった。玄関に明かりが灯っていると、なぜかうれしくなるものだ。

 二階建ての小さなアパートだった。二部屋があり、外側が茶の間で、となりの部屋が寝室だった。女性の部屋に入ったのは、はじめてだった。人から聞いた話のように、テレビで観るような部屋で、花やキャラクター人形で埋もれている、清潔感のある部屋だった。かわいい人形たちが、あちこち転がっていて、新しい住人になったぼくを、品定めしているように、ぼくをみつめているような気がしていた。

「お帰りなさい」

 縒子の笑顔がまぶしくみえた。「ごはんの支度ができてるから」
 ふたりでテレビをみながら、食事をした。
 実家では、母がずっと入院をし、父が仕事を辞め、ひとりでずっとつきそっていたし、兄はすでに、他郷で所帯をもっていた。弟も仕事柄、不規則で、食事は各自、ひとりきりで食事をしていた。母が発病するまで、あたりまえだと思っていた家族の団欒というものが、これほどすばらしいものだったとは、失ってしまうまで気づけなかった。ひとりで食べる味気なさにくらべたら、誰かと食事するだけで、同じ食物でもよりおいしく感じられた。
 風呂に入り、ベッドではなく、布団を敷いて寝た。

 毎夜のように、グラマラスな縒子を抱いた。明るい場所での行為を縒子は嫌った。いつも暗いなかで愛をかわした。弾力のある肌に、ぼくの手が吸いついていく。のけぞり、あえぎ声をあげながら、ぼくの背中をやんわりとつかむ縒子がいとおしく思えた。津波のように高まった欲望がさざ波に変わると、ぼくは縒子の頭を腕に乗せて、そのまま深い眠りに落ちていった。

 いつも、かるいキスをして仕事にでかけた。さまざまなところにもでかけた。山や海、水族館。買物もいつも一緒だった。彼女依存症だと友人から茶化されたこともあるが、縒子と一時でも離れていると、なぜか息苦しくなり、イライラし、落ち着かなくなった。

 縒子は、とても人気があり、誰に対しても愛想がよかった。だから、いつ新しい恋人が現われて、ふられてしまうんじゃないか、そんなことばかり思ってしまい、安らかな気分からは、遠く離れた精神状態だった。

 執着と愛はちがうものだ。縒子のことは好きだったが、そばにいても、心が満たされることはなかった。

 あのころにはわからなかったが、今思うと、縒子に心から愛されているという手応えがなかったからだと思う。それとも、縒子の心に広がる空虚な世界を、満たしきれないもどかしさを感じていたからなのかもしれない。

 そうした日々を過ごしながら、結婚はしていないが、たぶん、これが、結婚生活なんだろうなと、ふと思うことがあった。

 だけど、ぼくが政治の腐敗をテーマにした推理小説で新人賞をとったあたりから、なんとなく心がすれちがうようになった。縒子はぼくを最大のライバルと思っていたから、先を越されておもしろくなかったのだろう。ぼくもいちばん喜んでもらえると思っていた相手に冷たくされて、とても傷ついていた。

 縒子は、もともと神社仏閣の参拝が好きで、ぼくもなんどかつきあわされた。オカルトにものめりこんでいたようだ。いくつかの心霊スポットにも、取材だと言ってでかけるようになってから、日増しに情緒が不安定になっていくようだった。

「どうしても、私も賞をとりたいの」

 縒子の執念と焦りが、きわどい取材すらもさせるようになったのだろう。
 ある日、白い家の幽霊屋敷にいくからつきあってと頼まれた。
 縒子に出逢うまえから、神社や神道、神秘的なものにはずっと関心があり、数多くの本を読み、参拝にもでかけていた。

 ぼくの家系は、霊感のある者が多くいるらしく、ぼくもその例にもれず、不思議な体験は日常茶飯事だった。友人から頼まれると、自己流のお祓いもするものだから、心霊ボディガードとして、ついていくことにしたのだ。

 ぼくは、心霊スポットにいくことは、命知らずなことだと思っている。遊び半分ででかけて、精神病院に入院してしまった友人もいる。ホラー小説や、映画で楽しむだけにしておくことだ。迷っている霊というやつは、貪欲なまでに救いを求めているものだ。相手が誰であろうとかまわない。霊に関心のある者がやってくると、すっととり憑いて、その後の人生を狂わしてしまうのだ。いちばんの予防は、一切関心をもたないこと。霊を信じない者には、そう簡単には憑けないものだ。

 しかし、縒子のたってのお願いだ。怒ってそのままひとりでいかれては大変だと思い、明日も休みだしと、しぶしぶ承諾してしまった。

 七里ヶ浜の海近くの家が、噂の白い幽霊屋敷だった。屋根から壁までが、白で統一されている家。もともとは、資産家の別荘だったらしいが、バブル倒産をして、別荘で親子四人、無理心中をしたらしい。小学生の姉妹が首を絞められ、両親は首吊り自殺をしたのだと、その当時、テレビでも報道されていた。

 家の窓をのぞくと、親子の霊たちが、部屋のなかから無表情でこちらを見ているという噂が広まり、撮影にきたテレビ局のスタッフに、原因不明の病死や事故があいついだと、雑誌がとりあげていた心霊スポットだった。
 ぼくはもともと嫌な予感がしていた。

 夜の九時。ふたりで七里ヶ浜に向かった。
 七里ヶ浜は、見た目は砂浜だが、海のなかは岩場で、子供の頃に海水浴をしたさい、膝を切ったことがあった。夏を過ぎた今ころは、人影もみあたらなかった。

「私、『白い家』というタイトルで、ホラー小説を書くつもりなの。絶対に賞をとってみせるんだから」

 気のすすまないぼくとはちがって、縒子はやる気まんまんだった。
 浜辺近くの駐車場に車を停め、細い路地を歩いてゆくと、小高い丘のあたりに、噂の白い家がみえた。

「あれよあれよ」

 縒子は指をさし、早足で歩いた。
 誰も住もうとしないのだから、当然、明かりも灯っていなかった。
 家の周囲も荒れ放題で、雑草が生い茂り、壁には落書され、窓ガラスはすべて割られていた。

 ぼくはずっと耳鳴りがして、背中が寒くてぶるぶる震えていた。
 あらゆるところから、じっとみつめられているような気がした。
 縒子は、懐中電灯で家の周囲を観察しながら、懸命にメモをとっていた。

「よし、それじゃなかに入るわよ」

「おいおい、無断で入ったらまずいだろ」

 縒子は、ふんっと、鼻を鳴らし、

「なにを言ってんのよ、なかに入らなきゃ、取材にならないでしょう」

 ぼくは縒子に腕をつかまれ、窓のあたりまで引っ張られた。

「さあ、私を持ち上げて」

 言われたとおり、ぼくは縒子を持ち上げて、割れたガラス窓から部屋のなかに入れた。

 ぼくもすぐに、窓のなかから部屋に入った。部屋中からパキッパチッっと、ラップ音がつづけて鳴った。霊が自分の存在を知らしめるために鳴らす音だとされている。なにか体が重い。意識が少しぼうっとしてきた。

「わあっ、なんか腐れたような匂いがする」

 縒子は、ぼくにかまうことなく、部屋じゅうを懐中電灯で照らした。

「ああっ、きゃぁ!」

 悲鳴をあげたあたりには、腐敗したねずみが数匹転がっていた。蛆と蝿が無数にたかり、その姿はまるで、哀れなイザナミの姿をイメージさせた。
 いちど縒子はかぶりを振って、つぎの部屋のドアをあけた。家族が自殺したという部屋だった。

「ここね、問題の部屋は」

「なあ、もう帰ろうよ。なにか嫌な予感がする」

「それでも男なの、まったく、だらしないわね」

 そう生意気な口をきいたあと、縒子は突然、耳をふさぎたくなるような、叫び声をあげた。

「誰かいる! 私の背中に誰かが入ってくる! やめてー!」

 縒子はこ汚い床を転げ回った。耳をふさぎ、ひたすら叫んでいた。

「縒子、大丈夫か?」

 ぼくは縒子を抱き締め、髪についたゴミを払った。
 暗い部屋のなかで、懐中電灯を縒子の顔にあてると、舌なめずりをしながら、目だけをきょろきょろとみまわす、まるで別人のようにみえる縒子がそこにいた。

「なんだ、きさまはなにをしにきたのか! 帰れ! 帰れ! 帰れ!」

 声が縒子とちがう。まるで男のような声だ。まずい。異常な環境で、一時的に精神が錯乱しているのか? それとも? 

「わかっているぞ。おまえ、この女とは潮時なのだと思っているのだろう。新人賞もとり、未来も有望だ。うるさい女など、邪魔なだけだものな」

「縒子、なにを言うんだ!」

「わしは縒子ではない!」

 まるで般若のような形相だった。そして、縒子は、ううっと呻き、泣き崩れた。

「本当なの? この人の言ったことは本当なの?」

「縒子、馬鹿を言うんじゃない。そんなこと、思っているはずがないだろ」

 本当にそんなこと、少しも思っていなかった。未来が有望どころか、不安でいっぱいというのが本当の気持ちだった。
 ぼくは縒子を背おって、窓まで歩き、外にゆっくりと降ろした。ぼくは一瞬、この家を燃やしてしまいたい激情にかられた。
 翌日から一週間、縒子は仕事を休んだ。高熱と下痢がつづき、とても仕事どころではなかったのだ。

 毎夜、ねずみが天井を走るたびに、縒子は恐れおののいた。体を震わせ、布団を抱き締めながら、おろおろと周囲をみまわしているのだ。朝はまだ、正気を保っているのだが、夜になると、

「あの人がみえる。こっちをにらんでる」

 と、泣き叫び。少し落ち着いてくると、

「あなた、私と別れたがってる。みんなわかってるんだから。会社の昌子でしょ、今日もあなたにちょっかいをかけてた」

 まるでみてきたようなことを言う。確かに、その日は、なんどか昌子と話をした。とくにたわいのない話ばかりだ。なんだかぞっとしてきた。本当に、何ものかの霊が憑いてしまったのかもしれないと思った。
 ぼくは、とにかく自己流のお祓いをすることにした。
 いちど、自宅に帰り、部屋の神棚に供え、十分に祈りを捧げたあとの粗塩と、日本酒を、アパートの風呂にふりまき、残った粗塩を、縒子の痩せこけた体にたんねんにこすりつけた。それだけで、縒子はかなり落ち着いてきた。
 しかし、夜中に縒子は目をさまし、

「恐かった、恐かった、すごく恐かった」

 と、なんどもくりかえし言いながら、ぼくに抱きついてきた。縒子の背中をさすりながら、

「大丈夫、もう心配しないで」

 本当に大丈夫で、心配なければいいと心から願った。
 それからも、縒子の忌まわしい行為は止むことがなかった。夜中に息苦しくて目をさますと、縒子がぼくの首を絞めていた。縒子の頬をなんども叩くと、縒子は正気をとりもどし、

「私じゃない、私がやったんじゃない」

 と、言って泣きじゃくった。
 翌朝、縒子に昨夜のことを訊くと、自分の意識はあり、なにをしているのか自覚はあるそうだが、自分で自分の行動を抑えられないのだと言った。ときには、灰皿を投げつけられた。縒子の夢想じみた話を無視していると、ナイフを手にして、私にナイフを突きつけることもあった。それでも縒子は、痩せこけた顔に化粧をすることなく、なんとか仕事にでかけていった。
 繊細で、やさしかった縒子の性格も、時とともに変わっていった。

 工場の生産がまにあわなくなり、私は、商品開発から、臨時で、商品を梱包する夜勤の仕事へとまわされた。躁鬱の激しい縒子が案じられたが、仕事を休むことはできなかった。
 そんなある日、夜勤から帰ったぼくが部屋でみたものは、知らない男と寝ている縒子だった。角刈り頭の人相の悪そうな男。テーブルのうえには、高価そうな金のブレスレットが転がっていた。
 ふたりを起こさぬように、部屋をでた。海岸まで車をとばし、仮眠をとった。

 日が暮れたころ、ぼくはアパートにいき、ふたりがいないことを確認したあと、荷物をまとめ、縒子のアパートをでたのだ。
 それから六年、縒子に連絡をとることもなく、縒子からも電話ひとつこなかった。

           ③に続く


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