痛みについて

はじめに

「痛みは死より恐ろしい暴君」

とはアルベルト・シュヴァイツァーの言葉です。

我々は生きている限り、「痛み」と無縁ではいられません。いつの時代でも、世界中どこにいても痛みとの関係性は断てません。そして痛みはあらゆる人々の前に平等に現れます。決して地位や階級を選びません。

詩人の長田弘氏が新聞のコラムに「痛み」に向けて書いた空想の手紙をご紹介します。

痛みさま
 あなたほどわたしにとって親しいものはありません。けれども、あなたについてほど、わたしが何も知らないものもありません。
 わたしは、そもそもあなたが何者かすら知らないのです。あるときあなたは不意に現れますが、あなたがいつ現れるのか、そして消える時も、消えてはじめて消えたことに気づくので、あなたがいつ消えるのか、わたしにはまだ知りえずにいるのです。
 わたしはあなたにずっと苦しんできましたし、いまでも、あなたによってもたらされるものに苦しみを覚えます。

〔中略〕

 わたしがわたし自身を知るまえに、あなたはもうわたしを知っていたのでした。そのあなたを知ることによって、やがてわたしは、一人の人間としての自覚を得たというべきかもしれません。
 あなたなしの人生はこの世にありません。人間にはあなたなしの歴史はなく、文明と呼ばれるものさえも、あなたなしにはありません。いつの世のどんな人も、あなたには克てませんでした。わたしはあなたが好きではありません。しかし、人間の高慢や思い上がりを断じて許さないのが、あなたです。「痛み」があなたの名です。


出典:「外須美夫『痛みの声を聴け』克誠堂出版、2005、236-237頁」

痛みの本質を突いた内容だと思います。いつ襲ってくるのか、そしていつまで続くのか分からない。痛みに対する不安や恐怖心は、痛みを助長させます。

痛みには実体がなく、採血で数値として測定したり、画像検査で痛み自体を見ることはできません。痛みはいつも影を潜め、突如現れるのです。

目に見えないが故に自分の痛みを相手に理解してもらえない。その辛さがストレスとなりさらに痛みが強くなる。皆様はこんな負の循環に陥ったことはないでしょうか。

この得体の知れない「痛み」とは何者なのか。
"彼を知り己を知れば百戦殆からず”。
痛みというものについて少しでも皆様の理解が深まれば、痛みに対する向き合い方にも大なり小なり変化が生じるものと思い本記事を書きました。今回はまず総論として痛みの全体像についてご説明したいと思います。

痛みの定義

国際疼痛学会によると、「痛み」は下記のように定義されています。

「組織損傷が実際に起こった時あるいは起こりそうな時に付随する不快な感覚および情動体験、あるいはそれに似た不快な感覚および情動体験」
(An aversive sensory and emotional experience typically caused by, or resembling that caused by, actual or potential tissue injury.)

この定義から、痛みには情動という気持ちの要素が含まれていることが読み取れます。

つまり痛みは情動体験であり、"嫌なもの""怖いもの"という精神的な要素も大きく関わっているのです。テレビや映画で痛そうなシーンを見ると自分もなんだか痛くなってくる気がして目をそらせてしまうのもその一例だと思います。

多くの人々が痛みからの解放を待ち望んでおり、その需要に応じるように医学界では痛みの機序や治療法に対する様々な研究が進んでいます。

痛みの意義

さて痛みは不快なものですが、不要なものなのでしょうか。痛みが存在しない世界は果たして幸福なのでしょうか。

実は、

痛みは我々の生存に必要不可欠なもの

と言えます。その事について少しご説明致します。

生まれつき痛みを感じない"先天性無痛無汗症"という世界に数人いるという遺伝性の難病があります。この疾患の方は痛みを感じる神経や発汗機能が働かず、怪我や火傷、骨折を繰り返したり、虫歯が悪化しても気付かないのです。体温調節ができないため暑い日に脳症を起こし、命に関わる事もあります。また痛みという概念が持てないため、相手が感じる痛みに対しての理解が乏しくなり社会的な問題を起こしてしまうこともあるようです。そしてこの疾患を抱えた多くの方は短命だそうです。

このことから、痛みのおかげで我々は自分の身を守れ、相手が感じる痛みを理解し合いながら健全な社会生活を営むことができると言えます。

痛みは"不快"だが決してその全てが"不要"な訳ではありません。お互いの痛みが分かり合えない人々が住む世界は幸福な世界とは言えないでしょう。

しかし一方で、長期に渡り弱まることなく続く痛み、電気が走るような激痛、ジンジン灼けるような痛み、必要以上に強い痛みもあります。これらも全て我々の生存にとって必要なのでしょうか。

この問いには哲学的な要素もあり答えは簡単には出せませんが、現在のところ私は必ずしも必要なものだとは思っておりません。

ここで「必要な痛み」と「不要な痛み」について、痛みの種類を見ながら考えたいと思います。

痛みの種類

まず痛みを期間で分けると下記のものがあります。

・急性疼痛
(1ヶ月以内に良くなる)
・亜急性疼痛
(急性疼痛と慢性疼痛の間)
・慢性疼痛
(国際疼痛学会が治療に要すると期待される期間を超えて持続する痛みで一般的には3ヶ月以上持続する)

次に機序で分けた場合下記の4種類があります。

・侵害受容性疼痛
打撲、火傷、切り傷、骨折など
・神経障害性疼痛
神経の圧迫・切断など
・心因性疼痛
主に人間関係のストレスなど
・混合性疼痛
上記3つが絡んだ疼痛

この中で一般的に理解し易いのは侵害受容性疼痛で、「体のどこかをぶつけて痛い」「火傷を負って痛い」「画鋲を踏んで足の裏が痛い」といった類のものです。これは冒頭で述べた危険を警告してくれる痛み、つまり傷害から身を守るために必要な痛みです。

例えば骨折すれば、骨癒合を得るために局所(骨折部やその周囲の関節)の安静が必要です。骨折は整復後に固定をして動かさなければ痛みは落ち着き、生体の治癒機構が働くことで骨癒合に向かいます。しかし骨折部を動かそうとすれば骨癒合が遅れてしまう。そこで「動かすな。動かすと骨がつかないぞ!」と痛みが警告してくれるのです。

神経傷害性疼痛

一方、神経障害性疼痛は神経が損傷を受けたり圧迫された際に生じる痛みですが、通常の痛みと性質が異なり非常に厄介な痛みです。「電気が走る」「ジンジン灼ける」という訴えが多く、一度発生すると痛みの強さが自己増幅したり、明らかな傷害がなくても痛みが自然発生することもあります。


例えばアロディニアは "異痛症" とも呼ばれ、帯状疱疹後や片頭痛、線維筋痛症などの神経障害性疼痛を引き起こす疾患における疼痛機序として注目されています。「風が吹いただけでも痛い」というような通常では考えられない微弱な外力で痛みが発生します。

神経傷害性疼痛は必要なのか

さてこの神経傷害性疼痛は侵害受容性疼痛のように危険を教えてくれる、生存に必要な痛みなのでしょうか?

傷害の強さと痛みの強さが一致せず、どんどん増幅し、自然発生することもある。神経傷害性疼痛は傷害に対する痛みの強さの正常な関係が破綻し、もはや「危険信号としての痛み」の域を超えています。従って生存に必要な痛みとは言えないと思います。

そして厄介なのは神経傷害性疼痛の多くは治療に抵抗性で、慢性痛へと移行しやすいのです。

慢性痛と神経可塑性について

ここで慢性痛について少し記載いたします。

痛みは脊髄を経由して脳で感じます。脳で感じた痛みは不快な体験として記憶に刻まれます。これは神経の可塑性という特性によるものと考えられています。可塑性とは物に力を加えて変形を与えたとき、加えた力を除いても歪(ひず)みがそのまま残る性質をいいます。例えとしては粘土を押して変形させるとその状態のまま変形が維持されるイメージです。

つまり神経の可塑性により、「痛い」という状態がずっと保持されてしまうのです。これは慢性痛の機序の一つとして考えられています。


続いて心因性疼痛についてです。これは心理社会的疼痛とも呼ばれ、職場での人間関係抑うつ状態という精神的な要素が大きく関与しています。

精神的な要素という点から、本人はとても辛いにも関わらず他人からは「本当に痛いの?」と思われてしまうことも多々あります。しかしこのバイアスが痛みをさらに長引かせ難治化させる要因になるのです。

下行性疼痛抑制系という機能

本来我々の脳は痛みが発生した際にその痛みを抑制する機能が備わっています。これを下行性疼痛抑制系と言います。例えば自然界で動物が外敵に襲われ噛まれたりした際にどうにか逃げ切れるため本能的に備わっている機能です。

抑うつ状態になると下行性疼痛抑制系機能が低下すると言われています。従って通常よりも痛みの強さが強くなっている可能性があるのです。

心因性疼痛の治療は人間関係の改善や心のケアなどが必要であるため、短期間で除痛を図るのは難しいのが現状です。痛みの感じ方が強くなっている点も考慮して、医療者だけでなく家族や友人、同僚達の協力も必要となるでしょう。

4つ目の混合性疼痛ですが、これはこれまでの3種類の痛み全てが絡んだものです。そして最も多い種類の痛みとされています。このように様々な要素を含んでいるという点が、痛みの治療が難儀で一筋縄ではいかない理由の一つなのだと思います。

神経傷害性疼痛を "疾患" として捉える

ここまで一通り痛みの種類について簡単にご説明してまいりました。うすうす勘づかれた方もおられるかもしれませんが、神経傷害性疼痛は必要な危険信号ではなく、むしろ "疾患" として捉えた方が良いのかも知れません。それならば痛みがおさまるのをただ待つのではなく、早い段階で神経傷害性疼痛だと認識した上で、慢性痛へ移行しないよう積極的な治療の介入が必要であると考えます。実は痛みが発生した初期の段階から、慢性化する因子は出現しているとも言われています。
神経傷害性疼痛の具体的な治療については今度各論編の記事でご説明いたします。

痛みの初期治療の重要性については私の過去のツイートがあるのでご参照下さい。

終わりに

まとめに入りますが、痛みに苦しむ要因は多種多様であり、医療者は全人的なアプローチをしながら治療に臨まないとなかなか良い結果が得られないとい事が多々あります。また痛みを認める患者側においても、痛みとはどういうものなのかその種類や特性を知るのと知らないのとでは、安心感が全然違うと思います。

痛みの訴えを聴きその種類を探り、最適な治療を施す。それは医師が鎮痛薬を処方するだけではなく、医療に関わる様々な職種がチームとなり患者側に安心感を持ってもらい、個人の抱えている問題を広く見渡しながら治療に介入することで達成できるのだと思います。

最後までお読みいただきまして本当にどうも有難うございました。今回は総論をお話ししましたが、痛みの具体的なメカニズムや治療法については各論として記事にしたいと思っております😊

(私の痛みに対する過去のツイートを幾つか下にupしますので是非ご参照ください👇)


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