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ご当地文豪@文京区 鷗外、一葉、啄木など

 関西出身で、地理に興味もないので、東京周辺には知らない市町村が多いです(何も、張り切って書くようなことでもないですが)。

 埼玉県の羽生市も、最近知った地名です。田山花袋の『田舎教師』に出てきたので、ネットで調べると、「田山花袋の小説『田舎教師』の舞台となったまち」と市のHPに出ていました。田舎教師が売りみたい。「田舎教師像前」というコミュニティーバスの停留所までありました。近所に住んでいたら、遊びに来る友達に「田舎教師像前で降りてね」と説明するのでしょうか。それはちょっといやだけど、ご当地小説があるのは羨ましい。私の郷里は楠木正行と三好長慶、二人の大物武将ゆかりの地ですが、ご当地文豪やご当地小説は聞いたことがありません。

 勤務先がある文京区は、森鷗外を推しています。去年は鷗外没後百年で盛り上がっていましたし、鷗外が生まれた津和野町とも関係が深いです。
 以前は、文京区の鷗外推しを不思議に思っていました。私の中では、鷗外と結びつく場所といえば、『雁』に登場する不忍池や無縁坂(どちらも台東区)だったので。どちらかといえば、夏目漱石の方が、東大周辺を舞台にした『三四郎』や伝通院のそばに先生の家がある『こころ』等、文京区とのつながりが深いように思えました。
 今では鷗外について詳しくなったので、文京区の鷗外推しは、鷗外の旧邸跡に文京区立の森鷗外記念館があるから、とわかりますが。

文京区立森鷗外記念館。千駄木に近い団子坂にある。

 他の地域ではどうなのかわかりませんが、東京都では、文豪が最後に住んだ家の跡地に記念館が建ち、記念館のある自治体がその文豪を推すというパターンが多いようです。
 新宿区の漱石山房記念館、北区の芥川龍之介記念館(建設予定)、区立ではないですが、根岸の正岡子規旧邸跡には子規庵もあります。先日訪問した三鷹市の太宰治文学サロン、豊島区の立教大学の中にある江戸川乱歩旧邸。世田谷区の蘆花恒春園は徳冨蘆花の邸宅を遺族が東京市に寄贈したものです。
 文豪ではないけど、墨田区には葛飾北斎記念館もありますよね、と書いた後で調べたところ、本所=今の墨田区で暮らしていたイメージの強い北斎ですが、終焉の地は台東区の浅草にあるみたい(全国的に見れば、北斎といえば岩松院の天井絵のある長野県小布施町かな)。

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 文京区に話を戻すと、文京区ーー戦前の小石川区と本郷区に居住経験のある文豪は非常に多いです。
 東大の周辺、本郷にあった旅館やホテルに長期滞在していた文学者も少なくありません。旅館といっても、小説内の描写を読むと、賄い付きの下宿と同じだったようです。

本郷菊富士ホテル跡。

 本郷三丁目の駅から徒歩数分の場所にある本郷菊富士ホテル跡の碑には、長期滞在した文化人の名前が横書きで並んでいます。これまで私がnoteで取り上げた作家では、谷崎潤一郎・正宗白鳥・中條(宮本)百合子がここに滞在したようです。大杉栄と伊藤野枝が住んでいた頃は、憲兵が張り込みをしていたのでしょうか。

 菊富士ホテルのすぐそばには、石川啄木が下宿した赤心館もあります。ここに下宿していた金田一京助を頼って上京したものの、下宿代が払えなくなって、今の本郷六丁目にあった蓋平館別荘に移りました。その後、家族を呼び寄せて、東大の反対側にある理髪店「喜之床」に移り、そこから更に小石川五丁目に移るという…結核で亡くなる前の三年間で、文京区内を転々としているんですね。

左上は赤心館跡にある銘板、右上は蓋平館別荘跡にある石碑。左下は、喜之床跡に建つ理髪店。右下は、明治村に移設された喜之床。
終焉の地には、石川啄木顕彰室がある。

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 樋口一葉も文京区内で引っ越しを繰り返しました。一葉記念館があるのは、台東区の竜泉ですが。一葉が竜泉で暮らしたのは十ヶ月ほどなのですが、代表作である『たけくらべ』が竜泉(吉原遊郭の隣町)を舞台にしているため、一葉といえば台東区のイメージが強いのでしょうか。
 文京区にある一葉の住居跡、一つ目は東大赤門の前にあります。

 お寺の境内に一葉の像が二体建っています。ここは一葉が四〜九歳の間暮らした場所です。高級住宅街である本郷台地の真ん中、当時の樋口家に余裕があったことをうかがわせる場所です。
 台東区御徒町での九年間の生活を経て、移って来たのが本郷菊坂町。菊坂町は崖の下にある、今も下町の雰囲気を色濃く残す場所なんですね。

 その後、竜泉での暮らしを挟んで、一葉の最後の住まいとなったのは、丸山福山町。『にごりえ』の舞台となった銘酒屋(表向きは酒屋、実は売春宿)があるのと同じ町です。ここもまた険しい崖の下で、一葉が亡くなった後に、彼女の家が土砂崩れで壊れたという話もあり…日の当たらないこの場所で、一葉は肺を病んで死んでいったのだなぁと思うと、気の毒で仕方ありません。
 文京区ゆかりの文豪たち、森鷗外にしても、夏目漱石にしても、また菊富士ホテルの文豪たちも、坂の上や南斜面の日当たりの良い場所で暮らしています。一葉は彼らとは違う世界に暮らしていたのだと感じます。
 もちろん、下町で暮らす庶民を知ったことで、一葉の作家としての幅が大きく広がったことも確かなのですが。

上と左下は、一葉終焉の地にある碑。石碑には、日記の一部が彫られている。右下は、菊坂に残る一葉が使った井戸。


 文豪ゆかりの地を訪ねると、彼らの作品を読んでみたくなります。都内でも地味なエリアですが、東京ドームに野球観戦orライブ鑑賞にいらした折にでも、立ち寄ってみて下さい。
 


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