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2023年10月読書記録 青空文庫篇 プロ文と転向文学 

 去年の10月から青空文庫を読んでいます。長年海外の小説ばかり読んでいて、日本の近代文学といえば谷崎と芥川、あとは夏目漱石ぐらいしか読んでこなかったのですが、読んでみると面白い。自分の国の話なので、時代背景や地理もわかりやすいですし。海外文学と比べると、コンパクトな作品が多いのもいいですね。
 年代順に読んで、今は昭和初期のプロレタリア文学と転向文学を読み終えたところです。

宮本百合子『道標』

 『伸子』『二つの庭』から続く自伝小説の三作目です。伸子がパートナーである素子と二人でモスクワに留学するところから話が始まります。
 前二作では、伸子と母親の葛藤が書かれていました。母親のもとから離れたくて、勝手に結婚→母の干渉で夫との関係も余計にこじれる→素子と母親の関係も険悪…というように、常に伸子の苛立ちの種だった母親ですが、モスクワと東京に離れていても、母からの手紙にいちいち傷ついてしまいます。
 更に、次男の保が自殺したことで、伸子と母親はお互いに、保の死が相手のせいだと考えるんですね。伸子の方は保への接し方について母に苦言も呈していましたし、「一緒に暮らしていたのに、どうして母は保の様子に気付けなかったのだ」と責めてしまうのも、やむを得ないことなのかもしれません。現実の話としては、お母さんは数年後に亡くなるので、母娘は和解できずに終わったのでしょうか…。

 伸子と素子の関係も、複雑です。素子のモデルになった湯浅芳子側の話でも「二人の関係では、宮本百合子は肉体的な満足を得られなかった」と書いてあったので、精神的には良きパートナーであっても、同性愛者である素子と、そうではない伸子の関係は常に緊張をはらんでいたのでしょう。日本人男性が現れるたび、素子は伸子とその男性の仲を疑ってしまうし、伸子の方も疑われるだけの揺らぎがある。お互いのすれ違う心が苦しい恋愛小説としても読める話でした。

 ただ、伸子はソ連で出会った労働者たちの姿に感動するあまり、大のソ連贔屓になってしまうんですね。1929年の話なので、まだソ連の化けの皮が剥がれていない時期ですが、現代の何でも斜めに見てしまう私からすると、ソ連礼賛の文章はきつい。日本の農民たちの貧しさをよく知っている百合子だからこそ、彼らを救う答えがソ連にあると考えたのはわかるのですが…。
 その部分を除けば、とても読みごたえのある作品でした。

黒島伝治『渦巻ける鳥の群』『豚群』『二銭銅貨』

 名前も知らなかった作家ですが、三作ともとても良かったです。小説としての読みやすさや完成度は有名な小林多喜二や葉山嘉樹より上だと思います。
 『渦巻ける〜』はシベリア出兵の話。出兵といっても絶えず戦争をしているわけではないので、現地の人たちとの交流もあったみたいですね。チェーホフの短編のような、笑いと悲しみが混じった作品でした。
 『豚群』は、小作人たちと地主の闘争の話。といっても、豚が小道具に使われているだけあって、シリアスな雰囲気ではなく、小作人たちのたくましさが感じられる楽しい話でした。
 『二銭銅貨』は、母親が貧しさゆえに息子に買い与えるおもちゃをケチることから始まる悲劇。貧しい庶民の姿が書かれているという意味でプロ文なのかもしれませんが、ツイッターで紹介したところ、自分の経験に引きつけた感想をもらいました。実は私も「うちも、文房具やら何やらケチられて、辛い思いをしたな」と子どもの頃を思い出してしまいました。うちの場合は貧乏ゆえではなく、単に母親の性分なんですけどね。修学旅行用のボストンバッグを買ってもらえず、「父の汚いリュックを持たなきゃならないなら、旅行に行かない」と泣いたのを思い出します。やれやれ。

 ウィキには「プロレタリア文学とは、1920年代から1930年代前半にかけて流行した文学で、虐げられた労働者の直面する厳しい現実を描いたもの」とあります。しかし、時代の変化でプロ文作家たちは弾圧を受け、政治性や思想性を放棄する作家もいました。文学史では、彼らのことを転向作家と呼ぶようです。

高見順『如何なる星の下に』

 確か教科書に載っていたので、高見順の詩は読んだことがありますが、小説も書いていたんですね。高見恭子さんのお父さん、永井荷風のいとこにあたる方です。
 この小説は、太宰治や織田作之助に似た無頼風の作品でした。主人公が政治的な挫折を経験したといった背景は書いてないので、知らずに読めば、人生から距離を置いてしまう男の、投げやりですさんだ生活をえがいた作品としか思わなかったでしょう。浅草の歓楽街をうろつき、踊り子に惚れながらも、インテリとしての自意識が残っているので、その生活にも入り込めない。
 文体や話の内容は全く違うのですが、村上春樹さんの初期作品を思い出しました。村上さんの小説も背景があまり書かれていませんが、学生運動の挫折のせいで、人生にコミットできない男たちの話という読み方もできるようです。
 私の場合、政治に興味がなく、政治の時代に生きたこともないので、「政治的な挫折」というものがなかなか理解できないのですが、戦前の転向者たちにしろ、村上さんたちの世代にしろ、その挫折のせいで、人生のよりどころを失ってしまったのでしょうか。頭ではわかっても、気持ち的には理解しにくい感覚です。

島木健作『生活の探究』

 作者は農民運動に加わって投獄され、転向したようですが、小説の主人公は、弾圧された世代よりも年下という設定です。先輩たちの様子を見て、学問に意義を見出せなくなり、金銭的にとても苦労して入った大学をやめてしまう。自分の土地もあるが小作もやっている父の後を継ごうと決めるのです。
 政治的な挫折→帰農というのは、ありがちな話に思えますが(学生運動後に農業を始めた方々の話もよく聞きます)、戦前の農業について全く知らないので、興味深く読むことができました。自分たちで作った作物なのに、多くを地主に取られてしまうって、考えたら、残酷な話ですよね。敗戦後の変化について批判する意見もありますが、農地改革(小作人が自分の土地を持てるようになった)を批判する人はほぼいないのではないでしょうか。戦前の小作人たちの運動が、農地改革に結びついたのだと思います。
 と言いつつ、戦後に育った私の父は、農業が嫌でさっさと東京に逃げ出したわけですが。家業を押し付けたお兄さんには、長年罪悪感を持っていたようです。お兄さん(私の伯父)も農業が嫌で酒に逃げ、若くして亡くなってしまいました。父にしても、伯父にしても、農業が嫌というよりは農村のしがらみや暗黙の掟が嫌だったみたい。そのあたりのことも、この小説には詳しく書かれていて、伯父が背負っていたものに思いを馳せることができました。
 

 


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