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【創作】ある日のテネシー・ワルツ #シロクマ文芸部

 風薫る五月と思える日は、最近の東京にはあまりない。春が終わるとすぐ、湿気混じりの蒸し暑い五月になってしまう。だけど、今夜は、爽やかな風が吹き、どこかで花咲く藤の香りさえ漂う気がする。
 そんな心地良さに誘われて、アークヒルズで食事をした後、永田町まで歩くことにした。その途中、山王坂を過ぎたあたりで、初老の男性とすれ違った。ほろ酔い加減なのか、男性は英語の歌を低くハミングするように口ずさんでいた。

「さっきの曲、知ってる?」
 
 しばらくして、娘の朱莉あかりが訊ねた。曲名を知りたくなるのもわかる。男性も、口ずさむ曲も、映画のワンシーンになりそうなほど、洒脱な雰囲気だった。よくある酔っ払いがつまらぬ歌をがなり立てる図ではなかった。
 一瞬、元夫を思い出した。元夫も、映画から抜け出してきたような男だった。駿の姿が目の前に浮かび、苛立ちが込み上げる。

「何だったかな」気持ちを今この時に引き戻す。「聞き覚えがあるけど、曲名を思い出せない」

「Googleに訊いてみよっか。iPhoneじゃなくGoogleに!」

 娘が少しはしゃいだ声になったのは、私の旧友・永島瑞樹の話を思い出したせいだろう。三度も繰り返し歌ったのに、iPhoneのミュージック検索に「曲が見つかりません」と言われたという話を。こんなにはっきり歌っているのに認識されないなんて、私って音痴だったの? と凹んだそうだが、後で調べると、iPhoneはデジタル化された音源を検索するだけだった。どれだけうまく歌っても、生の声は認識しない。生歌を認識してくれるのは、Googleの検索だ。

――例えば、ポール・マッカートニー本人が〈イエスタデイ〉を歌っても、認識しないのかな? デジタル音源とそっくりに歌っても?

 瑞樹は莫迦なことを言っていた。自分が作った曲を「この曲、なに?」で検索するというシチュエーションが間抜けすぎる。間抜けといえば、瑞樹が三度歌ったのは淡谷のり子の〈別れのブルース〉だ。菊地凛子が淡谷のり子を演じたと聞き、「窓を開けたら~って曲は知ってるけど、あの曲のタイトルは何だろう?」と思ったという。歌詞がわかるなら、普通に検索すればいいのに。
 
 娘は、我が子ながら感心してしまう再現力で、さっきの曲をハミングした。サビの部分しかわからないのが心もとないが、Googleなら、きっと見つけてくれるはず。

    *

 男が歌っていたのは〈テネシー・ワルツ〉だとGoogleが教えてくれた。タイトルがわかると、そうだったと思い出せた。昔、紅白で誰かが歌っていたし、カラオケで聴いた覚えもある。AppleMusicにはいくつかのバージョンが入っていたが、江利チエミの〈テネシー・ワルツ〉を聴かせてと頼んだ。

「瑞樹が言ってたけど、日本では〈テネシー・ワルツ〉といえば、江利チエミという時期があったみたい」

 私は娘に教えた。ラジオの番組の途中で突然、〈テネシー・ワルツ〉の冒頭が流れるのを聴いて、瑞樹の母親は「えっ、江利チエミ亡くなったんか」とつぶやいたという。そうつぶやいた母親があまりにも動揺していたので、当時幼稚園児だった瑞樹のお兄さんの記憶に刻み込まれ、後に、妹の瑞樹にも共有された。この曲が発売されたのは50年代の初めだから、レコード発売時に赤ん坊だった女が動揺するだけのパワーが江利チエミと〈テネシー・ワルツ〉にはあったんだよと瑞樹は力説したものだ。
 その話を思い出したので、海外アーティストの名前が並ぶ中で、敢えて江利チエミ版を選んでみた。

    *

 私と娘はイヤホンを分け合って、地下鉄の中で江利チエミの〈テネシー・ワルツ〉を聴いた。力強く、時にこぶしを効かせる歌い方。英語の原詩と日本語の歌詞が混じるのは今聴くと不思議に思えるが、戦後すぐの頃には十分お洒落だったのだろう。

「江利チエミさんって、45歳で亡くなったんだ。かわいそうに」

 娘がウィキの情報を教えてくれる。45歳といえば、私と同世代だ。瑞樹の母親の反応を思うと、急死だったに違いない。

「お姉さんに騙されて、多額の借金を背負ったと書いてある。そのお金を全部自分で返した……」

 最後の方は小声になる。江利チエミの生涯を知っていれば、彼女のバージョンは聴かなかったのに。

 娘は今、間違いなく父親のことを思い出している。借金を残して逃げた男。金融機関だけでなく、自分の友人や親しい取引先、私の父親に借りた金も踏み倒して逃げた。「坂脇君も私も光留ひかるにならお金を貸すけど、細木さんには貸せない。返ってこなくてもいいとは思えないから」と瑞樹が強い言葉で宣言しなければ、私は金と住まいと夫だけでなく、大事な友達も失うことになったはずだ。夫を信じ切っていた私は、親友の瑞樹や元カレの坂脇君にまで金を借りようとしたのだ。

 信じた人、愛した人が作った膨大な借金を返す日々。騙された自分を呪い、騙した相手を呪う日々。金額は違っても、私と江利チエミは同じ地獄を見た同志だ。

 娘が珍しく、私の腕に優しく触れた。

「いい曲だね、江利チエミさんの〈テネシー・ワルツ〉」

 父親を思い出したはずなのに、それには触れない娘の横顔を私は見た。

「哀しい歌だけど」

 こんなにも哀しい歌がはやって、その後も歌い継がれて。さっきの男性も、歌いながら哀しみを洗い流していたのだろうか。
 娘の髪に触れる。
 たまには、こうして二人で哀しい歌を聴くのも悪くないね。


語り手の光留ひかると瑞樹の学生時代の話

娘の朱莉が登場する話


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