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「まことの詩人」 樋口一葉『たけくらべ』など 【青空文庫を読む】

 不忍池の桜が満開です(カバー写真)。池の蓮も綺麗に刈られて、春の息吹を待っているようです。

 さて、前回紹介した二葉亭四迷は、三遊亭圓朝の落語の速記本を参考にして、言文一致の文体=口語体で『浮雲』を書きました。
 青空文庫にある圓朝の落語は、読みやすさとしては、同じく青空文庫にある吉川英治さんや山本周五郎さんの小説と同程度だと思います。今の小説と同じとはいきませんが、読みづらくはない。吉川さんも山本さんも、新潮文庫の現役作家ですからね。
 なので、圓朝を参考にした二葉亭四迷の小説も、明治時代の小説とは思えないほど読みやすいです。
 二葉亭四迷の後に続く作家が彼を真似して口語体を使ってくれれば、後世の私たちは助かったと思うのですが、残念ながら、『浮雲』の後もしばらく文語体(擬古文)の小説が続きます。

 口語体小説が広まる前に活躍した作家の一人が樋口一葉(1872〜96)です。
 彼女も高校の授業で取り上げられることの多い作家ではないでしょうか。私の教科書には、日記の抜粋が載っていました。同じ擬古文でも、森鷗外の『舞姫』よりも更に読みづらかった記憶があります。
 だから、今回青空文庫の小説を読むにあたって、「樋口一葉はパスしようかな。苦労して読んでも楽しくないし」と考えたのですが、一葉の代表作『たけくらべ』を賞賛した森鷗外の文章を読んで、気が変わりました。

われはたとへ世の人に一葉崇拝の嘲りを受けんまでも、此人にまことの詩人といふ称をおくることを惜まざるなり

『三人冗語』より

 まだ辛口の批評家だった時期の鷗外に、「まことの詩人」とまで言わせた作家だったのです。

 樋口一葉の父親は、慶応3年に御家人株を買って幕臣になりました。一瞬「あと一年で幕府が終わるのに、そんな時期に幕臣になるなんて気の毒に」と思ってしまいますが、実はそうでもないんですね。江戸の街の実務を担っていた下級の幕臣たちは、そのまま新政府に雇われたからです。町奉行所の同心だった一葉の父親は、東京府の役人になることができたのです。

 ですから、一葉は現・千代田区内にあった官舎で生まれていますし、幼児期を過ごしたのも、現・東大の赤門の前あたりという、家賃の高そうな場所でした。
 ところが、長男が亡くなり、素行の悪い次男は家を追い出され、父は退職金を注ぎ込んだ事業に失敗した後で亡くなる…と樋口家には不幸が続きます。戸主である一葉は、母と妹を養わなければならなくなるのです。

 落魄した武士の娘の運命としてよく聞くのは、身売り(芸者・娼婦・妾などになる)です。就ける仕事がほとんどなかったのでしょうか。一葉は小説を書いて稼ごうとしますが、苦しい生活が続きます。雑誌『文藝倶楽部』に転載された『たけくらべ』が鷗外に賞賛された時には、既に結核に冒されており、数ヶ月後に二十四歳で亡くなりました。

 貧しく、苦労の絶えなかった人生。一葉は、自分と同じ世界に暮らす人びとを小説に登場させました。貧困や世のしきたりに苦しみながらも誇りを忘れない、彼女自身の分身であるかのような人たちを。彼らの暮らしを、美しく、格調高い文章で世に知らしめたのだと思います。

 青空文庫には樋口一葉の短編小説が27篇収録されていますが、発表年代順にいくつかピックアップしてみます。
 
『大つごもり』
 大つごもりとは、大晦日のこと。伯父のために金を手に入れようとしたお峰は、ふと魔が差してしまい…。悪事が露見した時には死ぬしかないと思い詰めるお峰の心理が、商家の様子と共に描かれます。

『たけくらべ』
 吉原の遊女を姉に持つ美貌の少女・美登里と彼女の友人たちの日常が、東京の下町を舞台に描かれます。遊女になることを運命づけられた少女の心理を私たちが理解するのは困難ですが、皆を操るリーダーとして君臨しながらも、どこか気まぐれな美登里の美しさとはかなさが心に残りました。

『うつせみ』
 他の小説とは雰囲気が違う作品です。一人の娘の心の病いを描いた作品なのですが、現代に移し替えても通用するような、普遍的な話でした。自分のせいではなくても、身近な人がどん底に落ちるのを見て、心を病むことは今でもよく聞く話ですよね。自分が違う行動をとっていたら? 何かしてあげられることはあったのでは? などと心の優しい人ほど自分を責めてしまいそうです。貧困とはまた別の意味で、これもままならぬ人生だなと読んでいて苦しくなりました。

『にごりえ』
 にごりえ=濁り江は、水の濁った川のこと。水の濁った川が流れる街に住む人たちを描いた作品、ということでしょうか。
 『たけくらべ』は吉原遊郭の周辺が舞台ですが、『にごりえ』では、丸山福山町にあった銘酒屋(表向きは酒場、実は売春宿)が舞台になっています。
 個人的には、最も感動した作品でした。
 売れっ子娼婦のお力は、売春宿から足抜けさせてくれそうな客と想い合うようになったというのに、自暴自棄になってしまう気持ちと折り合うことができません。あまりに壮絶な日々を送ってきたせいで、幸せと向き合えないのか。とてもリアルな描写なのに、詩的で美しくもある作品でした。

『十三夜』
 これも、美しく、哀しい作品。『にごりえ』のお力とは性格も境遇も違うが、お力同様、安らぎのない、孤独な世界に生きる主人公が登場します。九月の十三夜にお月見をするという風習に心惹かれていると、実はそれが重要な舞台装置になっているという、技巧の凝らされた作品です。一葉にもう少し時間が与えられていればと思いたくなる完成度でした。
 一葉自身も、本意ではない人生を生きていると感じていたのでしょうか。苦しみの中で、もがきながら自分の道を見つけようとする女たちをこれほどあざやかに描写することができたのですから。


 一葉の小説で最も有名なのは『たけくらべ』だと思いますが、他の作品よりやや長く、登場人物も多いので、読むのが大変でした。
 『にごりえ』や『十三夜』を先に読んで、一葉の文章に馴染んだ方がいいかもしれません。
 または、現代語訳でもいいかも。色んな文学者が訳していらっしゃるんですね。伊藤比呂美さんの『にごりえ』が気になります。


 作家の方々のよる現代語訳。


伊藤比呂美さんの訳があるもの。


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