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真実って、普通は複雑なもの”ジョディ・フォスターの知性“

私は今、過去にも未来にも興味がない。正確には、「過去」と「未来」に価値が感じられなくなったのではなく、それに興味を持つ余裕がないほど、「現在」を正しく理解することに集中したい、という意味だ。習得したければ、まず懸命に打ち込んでみよう。‘信じて欲しければ、まず信じよう。という風に私は、新たな物事や人間関係を受け入れ肯定するところからスタートするやり方で生きてきたのではないか、と思ったりするのだが、57年生きてきて今、その時々の「現在」を間違って理解しながら生きてきたのではないのか?と思う程、過去の想いの延長に現在が存在していないような気になっている。そんな迷いを解決する強い力が欲しいと思っているこの頃。

ここにとりわけ知的な女性がいる。女優ジョディ・フォスターだ。3歳でCMに出演したのを機に一家を支える程稼ぐ子役となった事、13歳の時に映画『タクシードライバー』で少女娼婦として注目を集めた事、熱狂的なファンが起こした大統領暗殺未遂事件、女優をしながら複数の名門大学に合格し、イェール大学を卒業した事、女優復活後20代で二度のアカデミー主演女優賞を受賞した事、レズビアンである事を公表した事、精子バンクからの体外受精を選択した事、正式に同性婚をした事。ひとつをとったらスキャンダルになるばかりの事柄を、その時々の「現在」を理解する判断力で、見事に選んで自分の歴史にしている。それは彼女が監督した作品で描かれる“普通の顔をした複雑さ”や“「感じよう」とする時とそうしようとしない時を区別して、どちらにするかを自分で決める事が自然にできた”という自身の言葉でもよくわかる。

人間とは複雑な生き物である。全く正反対の、時には矛盾する性質がひとりの中に同居している。全くベクトルの違う行動をする自分がいたり、理性では説明のつかないねじれた局面の存在を内に抱えて、それをどう捉えたら良いのかを外の世界と繋がって感じたり、考えたり、あえて見なかったり。矛盾した方が現実的とも言える程。自分ひとりの中でさえ複雑なのだから、数々の相反する存在が、それぞれフェアに居られるよう、ひとりひとりの複雑な真実は全部正解の社会へと導く力のひとつでありたい。

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