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7/26 ”価値を決める”という体験こそが価値

各所で話題になっている雑誌「広告」(少なくとも業界内では話題)。

▼目次
 ・1円雑誌が話題だ
 ・1円の感覚
  -手触りによる1円感覚
  -コミュニケーションとしての1円感覚
  -比較軸としての1円感覚
 ・”価値を決める”という体験こそが価値
 ・”価値”を理解するということ

話題になる理由は3つだろう。

①料金が1円
②表紙デザインは電通のアートディレクターが担当
③”価値”についての投げかけ

①料金が1円 

最近の書籍・雑誌業界は話題が豊富なのでそこまで驚くことではない。

というのも、CASHを運営している光本勇介氏が0円で著書「実験思考」を販売し、自分が感じた価値だけ支払ってもらったら1億円以上集まり、ホリエモンが著書「ハッタリの流儀」を1,500円で販売、それ以上の価値を感じてくれたら投げ銭的にお金を支払ってもらい1億円以上を集める。そんなことが起きているからだ。

どっちが先に企画していたのかは分からないが、先にそんな事例が出たためにちょっと霞んでしまったのは可哀想な気もする。

②表紙デザインは電通アートディレクターが担当

雑誌「広告」は博報堂が発行する雑誌だ。だから、競合である電通のADに表紙デザインを任せるというのは異例かもしれない。それも今回のテーマが「価値」であることを思えば、上西氏のデザインにこそ価値があったという判断なのだろう。

まだ読み切れていないが、ボリュームは多い(680ページ)。カラーページもある。背表紙はツルツル。しかし、表紙がペラペラ笑。そんなところからも1円のという価格を意識できる。これが手触りによる1円の感覚。

③”価値”についての投げかけ

我々は何に価値をおくか?

ものの価値の感じ方は、しばしば価格によって左右されます。価値によって価格が決まることはあっても、その逆はないはずなのに。この雑誌と1円を交換する体験は、「ものの価値」について考える入り口です。Amazonでも販売していますが、1円のレシートを貰えるので、お店での購入がおすすめです。 ※雑誌「広告」編集長・小野さんの文章より引用

そこまで部数刷っていないだろうし、販売店も限定(公開されている)されている。誰もが予想するだろうが、転売ヤーが出てくる。

やはりだ。

売れている。

昔ほどそういった傾向はないと思うが、未だに「高いものは良いもの」という意識が根付いていると思う。その考えからすると、1円の価値で良いモノという判断をする人は多くないだろう。

なにより、タダで配布するのではなく、敢えて1円を支払わせるという行為を挟んだことにこの雑誌の価値があったと思う。

レジの液晶に「1」と表示されるのを見たのは初めてだし。お金を載せるトレイに1円をそっと載せたのも初めてだ(手渡しすれば良かった)。何より、1円のレシートを見たのも初めてだ。店員さんの口から「1円です」と言わせるのは非常にシュールなコミュニケーションだった。コミュニケーションとしての1円感覚。

そして1円について考えてみた。

・1円では何も買えない。しかし、この雑誌は買えた。
・道端に1円が落ちてても無関心だが、雑誌の為に書店に朝イチ直行。
・1円を丁寧に扱わないが、この雑誌はビニールを取るのも躊躇するくらい
 丁寧に扱った。

同じようなことを考えているかたがいらっしゃった↓

これまでに私が認識し取り扱っていた1円と、この雑誌の価値は等価なのであるが、それを手に入れるまでの労力、雑誌に対する期待、稀少性など諸々のことを自分なりに価値として換算することで、この雑誌は1円以上の価値を持つのだと思う。比較体験としての1円感覚。

”価値を決める”という体験こそが価値

一方で、同様のことを他人は思わない可能性がある。

ビットコインはじめ仮想通貨がそうであるように、皆がそれに価値があるということを認めない限り価値が発生することはない。つまり、それは何を信じるかということと同義でもあり、私がこの雑誌に信じたことと同様の価値を、他の人が同様に感じることは無いだろう。

例えば、メルカリに既にいくつも出品されていてだいたいが1,500円とかだったりする訳ですが(写真参照)、普通に売っていたらこれくらいの値段なんじゃね?的なプライシングな訳です。

それには、ちょっと腹が立ちますね。

どうせなら、お前が感じた価値で値付けして売れや!と思ってしまう訳です。もうちょっと、編者の意図感じろや!とね。

まぁ、それは置いといて。

雑誌は定期的に刊行される媒体なのでフロー的性質の情報ですが、ある意味で価値はストック的に考え方のほうが向いている気がします。だから、この取り組みについては一時的にバズったということよりも、何か月後なのか何年後なのか、ここに書かれた情報の価値を「10万だ」という人が出てくるかもしれないし、「500円くらいだったね」とか言う訳です。時間も価値の証明を手助けしてくれると思うのです。

また、ちょっと大仰に話すとですね、現代はコンテンツの価値を理解している人と理解していない人がクッキリ分かれてしまっています。

【コンテンツの価値を理解した人】は、ネット上にオープンに流したところで、届いて欲しい人には届かないし、ゴミみたいな情報と同列に比較されることを嫌がる。だからオープンプラットフォームの理念とは逆行するけど、一転クローズドなコミュニティ内で価値を分かってくれる人に向けて丁寧にコンテンツを作るという方向に向かっています。

【コンテンツの価値を理解していない人】は、未だにネットの情報は無料だ!とか言いつつ、ゴミのような情報の山に手を突っ込んではフェイクニュースに騙されたり、炎上の片棒を担いだりするようになる。

インターネットが普及したことによって、コンテンツの価値ということに真剣に向き合うシチュエーションが増えました。もはや、情報はタダではありません。

その人が何に価値を見出すかというのは即ち、世界とどう向き合うかということの出発点であり、そう考えれば考えるほど、この雑誌「広告」の価値が見えてくると思います。

それは雑誌自体に価値があるのではなくて、コンテンツを読むという体験と、それを自分なりに評価するという体験に価値があるのだと思う。他者に評価軸を委ねがちな現代であるからこそ、そういった問題提起は非常に重要であると思います。

雑誌は斜陽産業と言われて久しいが、未だに手を変え品を変え生き残っている。雑誌の可能性は無限大!明るいみらい!



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