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無職、そして思い出す事など。

しばらく更新していなかった。
この間いろいろな出来事があり、落ち着いて文章を書く余裕が無かった。

端的にいうと会社を辞めた。

3月下旬に最終出社し、4月は有休消化(4/30を以て退職)、そして今月、無職である。

退職に伴い引っ越しも行った。前の部屋は会社の借り上げ社宅だったためだ。有休消化期間に急いで部屋を探し、なんとか引っ越すことができた。結構ギリギリの日程であった。

引っ越し、転職活動を通じていかに前職の会社員という立場が社会的に信用される立場であるか、また、前職がいかに恵まれた給料、福利厚生を備えているかを実感した。

もちろんそれらは在職中から認識していたものである(現に、退職願を出すまでの間に最後の最後まで私の意志を遮っていたのはそれらを手離すことへの恐怖であった)。

実際に手離してみて、やはり落差に失望を感じたことは否めない。

まさか自分の人生に“転職”そして“無職”という二文字が刻まれるとは思ってもいなかった。が、私的にはそれらが起こることや、今その状況にあることを“悪しき事”とは思っていない。
誤解していただきたくないのは、無理に「これは悪いことではない!むしろ私にとって大切なものを気づかせてくれるきっかけだ!感謝!」といった類のクソポジティブではないということである。

「あぁ、こういう状況になっているのだな」という受け入れの感覚である。

最近は、というかここ1年で「何かに抗う」というよりも「受け入れる」「引き受ける」という心構えが身に付いてきている。

かといって不動の心で悟りを開いたかというとそういうわけではない。

ぶり返したかのように、週末は感情が揺れた。昨年、背負いすぎて身動きが取れない状況に陥っていたことに気づき、この背負いすぎたモノたちを下ろしてもいいのではないか?と思ったこと。
結構頑張ってきたじゃん、という赦し。

幾分荷物は下ろせた気はするが、もっと違う下ろし方への憧れもあるらしい。けれどもそれは何かへの依存になると思うと踏み込めない。

過去に深く付き合ったモノに対する関わり方、関心度合いの変化とそれへの対応。

一旦蹴りをつけたつもりであったが、ふとした瞬間に思い起こされる。


今月は無職だが、幸い6月から仕事を得ることができた。
大学で専門に学んだこと、前職の知見を活かすことができるものである。しかしその仕事は有期雇用であり、来年の3月にはまた転職しなければならない。

無期雇用の正社員で仕事を探すこともできたが、現時点ではなんとなく気持ちが整理しきれていない気もしており、今すぐどこかの会社にコミットするという働き方はなんとなく選べなかった。

自分の場合かなり極端ではあるが、完全に自分を無にして淡々と業務をこなす系か、あるいは全人格を投入して行う系かのいずれかの向き合い方がよいのではないかという気もしている。

一旦溶け込んでしまったものと自分とを切り離すことが困難であるため、まったく溶け込まないものかあるいは完全に溶け込んで一体化するようなものか。全く器用ではなく褒められたものではないが、このような生き方がしっくりくるような気がする。世の中の人たちはここまで思い詰めることなく仕事を選んでいるかもしれないし、また、適応力も高いのかもしれない。

地球は人間のためにあるわけでもなく、ましてや生命至上主義でもない。

何の目的もなく、ただそこに在る、生まれては消え生まれては消えという営みの繰り返しがただそこに在るだけにも関わらず、宿命を求めてしまう。

約1年間の猶予期間、また自分に向き合うことになる。

いや、ずっと向き合ってきたけれども、さらにまた向き合う宿命を得た。

何故こんなに重い思考回路になってしまったのか。それを問うことは無意味であり、引き受けるしかないのだろう。


夏目漱石『私の個人主義ほか』(中公クラシックス) を読んでおり、彼のイギリスでの葛藤、病、たどり着いた境地に感銘を受けている。

近代の根無し草第1世代といってもいいであろう漱石。
幕末に生まれた彼や彼らは、明治維新という急進的な社会変革により、本来は型となり、生き方となり、寄りかかるべき過去(江戸時代までの歴史、習慣、伝統)から完全に切り離された状態である。本来は参照すべき江戸の様式は旧いもの、非近代的なものとされ放棄されているからだ。


漱石の場合は英文学を、英語圏の人たちと同じように解釈できないことと葛藤した。そこから自分の立ち位置を再構築を試み、様々な文芸作品などに昇華させていく。

過去は捨て去るものではなく、やはりその延長線上にいる自分というものを認識して初めて個人が立つ、と私は思っている。

寄りかかるべき過去を失った個人は、現代、そして未来をも生きることはできない。福田恆存は過去から切り離された個人、ひいては国家は迷妄するということを述べている。

話はそれるが、面白いことに、漱石も福田も英文学を専攻しており、英語と深くかかわった彼らが行きつくのは母国語、すなわち日本語の土壌を豊かにすべきという方向である。なんちゃってエリートが「これからはグローバル化の時代であり、英語を話せることを当たり前にしなくてはならない!」などとは真逆の考え方である。(私もそう思っている。手段として英語を学ぶのは自由にやればいいと思うが、自己の内面を洗い出すような複雑な思考は、母国語でないと不可能に近い。貧困な思想は言葉の貧困から生じる。)


病床の漱石が、本来は四方の同情者めいめいに向けて礼状を出すべきところを「思い出す事など」という題で文芸欄の一隅に載せている状況をこのように記している。

余のごときもののために時と心を使われたありがたい人々にわが近況を知らせるためである。

このnoteは誰が見ているわけでもないのだが、漱石の手記「思い出す事など」に触れて久々にそんな文章を書いてみたい欲求が沸き上がったため書いた次第である。

意識重い系の世界にようこそ。エゴイズムは型におさめるもの。