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神童→悪童→ヲタク→ナンパ師を経て起業家へ(30代・男性)


1. 幼少期

・1991年7月5日にサラリーマンと専業主婦の息子として生を受ける。3つ年上の姉がいる。3億円の豪邸で、1Fに父方のおばあちゃんが一人、2Fに家族4人で住んでいた。おじいちゃんは父親が大学生の時に癌で死亡。
・幼稚園のときから塾(算数・国語)、水泳、体操を習い事として通っており、年長(5歳)で掛け算、割り算ができており、算数は全国模試で全国1位をよくとっていたが、国語は下位10%だった。
・幼稚園の年少から「さーくん」と仲が良く、小学校2年くらいまでよく遊んでいた。
・戦隊もの(ダイレンジャー)、仮面ライダーやアニメ(スレイヤーズ、ドラゴンボールなど)、ゲーム(ポケモン)が好きで、ウルトラマンや電車には興味がなかった。
・ゴーストバスターズ、ロボコップ、バックトゥザフューチャー、スターウォーズ、ハリーポッターなどの洋画や21時からのドラマ(一つ屋根の下、ロングバケーションなど)を家族でよく見ていた。
・特にジャッキーチェンが好きでカンフーなどの中国拳法が好きだった。
・NHKの「作って遊ぼう」が好きでよく工作をしていた。

2. 小学校時代

小学校1~2年生

・小学校1~2年では体格や背も小さく、力も弱く寡黙なタイプだったが、マット運動系の身体能力は高かった。
・忍者屋敷が好きで、仕掛けの構造などに興味があった。駄菓子屋にある知恵の輪やパズルをよく買ってもらい、解くのが好きだった。
・小学校1~2年生での学校の休み時間は鬼ごっこ、コマが多かった。
・水泳が嫌いで小学校2年生で辞めた。体操は好きだったが、なぜか水泳と一緒に辞めた。たぶん理由を聞かれて説明がうまくできなくて、めんどくさくなって全部辞めたいと言った気がする。
・その勢いで幼稚園年少~小学校2年まで通った塾(日本教育スクール)も辞めて、母親ともめたあげく、すぐに小3から日能研に通わされることになる。
・父親は基本的に終電で休みの日はずっと寝ていたため、日常的に会話することがほとんどなかった。旅行の時にちょっとしゃべる程度だったが、年に2回は旅行しており、毎年1回はアメリカ旅行だった。
・姉の交友関係が深く、姉の友達と遊ぶことが多く、自分の友達は少なかった。ゲーム(ポケモン)で遊ぶことが多かった。

小学校3~4年生

・小学校3年から日能研に通い、算数、理科は常に模試でトップクラス、国語と社会は常にビリクラスだった。
・学校ではクラスが変わり、新しい友達ができ、塾でも友達ができた。遊戯王、ベイブレードをよくしていた。姉の友達とは遊ばなくなっていった。
・小学校4年では合わない友達と喧嘩することも増え、ストレスが多かった。
・宿題をやる意味を感じられず、ほとんどやらないか答えを写すことが多かった。
・メダロット(アニメ・ゲーム)が好きでロボット博士になりたいと思うようになった。学校にメダロット友達もいた。

小学校5~6年生

・小学校5年生になるとクラス替えがあり、新しい友達と仲良くなった。この時の友達とは今でも連絡を取っている。
・運動神経抜群で成績も優秀でちょっと悪めな学年のボス的なやつが友達で、自分がNo2的な立ち位置だった。
・悪戯が好きで、爆竹事件やピンポンダッシュをよくしていた。
・学校ではイジメがよく発生していたが、加害者側のグループに所属はしていたものの、あまり加担していなく、裏で被害者側から助けを頼まれることがよくあった。ポジションも高かったため、うまく仲裁していた感じだった。
・学校の休み時間の遊びはドッジボールが多く、放課後は鬼ごっこをしていた。
・好きな子も塾と学校にそれぞれいて、好きな子としゃべるのは苦手だった。
・幼稚園で仲良かった「さーくん」と放課後の後に家に帰る途中の空き地で日が暮れるまで情報交換するのが日課だった。情報の内容は「〇〇が誰々を好き」といった内容で裏工作をするときに脅しで使っていた。
・小学校6年ではほぼ全員が受験だったので、受験校の比較や成績レベルでヒエラルキーも分かれてきた。ほぼ毎日塾通いだった。塾での新しい友達も増え、後に同じ中学で仲良くなる友達もできた。

3. 中学校時代

中学校1年生

・私学の進学校に入り、バスケ部に入部して、体力がすごくついた。
・またも運動神経抜群で成績も優秀でちょっと悪めな学年のボス的なやつが友達で、自分がNo2的な立ち位置だった。
・ウォーターサーバーを壊したり、ほうきを折ったりした悪戯をよくしていた。
・小学校6年生のメンバーの集まりの幹事をよくしていた。
・初めの席の隣の女の子が好きで仲が良かった。
・成績が学年1の子と仲が良く、ルービックキューブを一緒にやるようになった。1分で全面揃えられるようになった。
・強制的に週1で英語塾に通い始めた。

中学校2年生

・1年次の仲が良かったメンバーが全員バラバラにされた。
・バスケ部で家が同じ方向の子と同じクラスになり、その子とよく遊んでいた。アニメヲタクで深夜アニメの話をよくしていた。自分も深夜アニメをよく見るようになった。ここからヲタロードを進むことになる。
・PCを買ってもらい、小学校の日能研時代の友達「たつや」が同じ中学校で扱い方を教えてもらっていた。夜中3時までアニメを見て、朝5時までPCでチャットをし、日中の授業はほぼ寝て、バスケをして帰る生活だった。
・2回/週くらい遅刻しており、遅刻の時は3時間目からや午後から授業を受けていた。

中学校3年生

・成績は変わらず、理数系はトップクラスで文系はビリだった。英語は上位だった。
・クラスは教師陣の都合で仲の良かった友達は一人も一緒にされず、クラスになじめなかった。担任からは「君は影響力が強いから、行動に気を付ける」ようによく言われていた。
・バスケ部での交友関係が最も深かった。
・高校はエスカレーター式でほぼ全員一緒だったが、PCを教えてくれていた「たつや」は家庭環境の問題で不登校になり、別の高校へ行った。
・好きだった女の子とはあまり話さなくなっていた。

4. 高校時代

高校1年生

・バスケ部がきつすぎて、毎日帰ってすぐに寝ていた。それ以外あまり覚えていなく、1年生の終わりごろにバスケ部を辞めた。
・母とおばあちゃんが喧嘩して、家を引っ越し、おばあちゃんと別居することになった。別居後すぐに父が東京へ単身赴任となった。
・母親と喧嘩ばかりとなり、そのうちしゃべらなくなった。
・姉が大学生になり、友達を連れてきて、一緒に酒を飲むようになった。

高校2年生

・バスケ部を辞めて以来、体力がありあまり、放課後はボーリング、夜中はアニメとチャットの毎日に戻った。
・麻雀を覚えてアニヲタ友達や「たつや」に教えていった。みんなでタバコを吸うようになった。
・GWや夏休みは日中は寝て、夜中~朝方まで近所の悪友とファミレスで毎日たむろするのが日課だった。
・得意だった理数系の成績が落ちてきて学年1位はたまにしか取れなくなってきた。歴史系は常に学年ビリだった。

高校3年生

・受験を意識し始め、高校が一緒だったが全然クラスが違い、あまり仲良くないが家が近かった友達「しゅうくん」と、駿台予備校に通うことにした。今でも連絡を取るほど仲良くなった。
・中学バスケ部時代からの友達「出口」がいじめに合い、不登校になった。毎日電話をして学校へ来るように言っていた。
・受験ストレス、友達の不登校ケアに明け暮れる自分、大学生活を謳歌する姉、おばあちゃんと喧嘩する母、単身赴任で知らんふりをする父で対立が生まれ、家庭環境が悪化し、崩壊の危機を迎える。
・人生を振り返り、今後の人生をどうしようか真剣に悩み、大学の進路を考え、人生設計を詳細に作りこむ。
・やりたいことは語学や心理学、教育、タレントだったので、芸能事務所のオーディションも考えたが、現実を考え、得意科目が活かせる機械系か化学系にした。
・英語は偏差値50くらいまで落ち、国語と社会は絶望的だったので、私学理系で受験に挑んだが、家庭環境ケア、友達の不登校ケア、ストレス発散のカラオケで結局ほとんど勉強せずに受験となった。
・最終的に機械と化学の両方受かり、最も得意だった化学が仕事で活かせ、稼ぐことができる確率が高いと考え、化学の道に進むことにした。
・6年間の恋は実らずに終わり、いろいろ疲れてあきらめた。

5.大学時代

大学1年生

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