おせちをひっぱらない食卓


北陸の新年のごちそうは「ブリ」
一日も早い復興を祈ってます🍀

おせちは「日本の食文化の象徴」作り続けて食べて“受け継いでいくこと”は大切な食育だと思います。わが家も毎年少しは用意していただいています。
私が育った家は自営業で母が忙しく、祖母に「家庭の食事の主導権」があり、年末のおせち準備といったらそれはそれは盛大なものでした。新年はわが家に親戚が集まることや大晦日まで家業が忙しいため、おせち準備はかなり逆算して進めなければならなかったと思います。(家業は手打ちうどん屋。地域には年越しのうどんを食べる習慣のある家も多く、除夜の鐘寸前まで商売をした時代がありました)。
何よりも“大晦日まで働いたから、三が日はおせちを食べられれば休める”という考えがあったのだと思います。
祖母の手作りするおせちは、日持ちを考えた味の濃いおせちでした。地域性もあると思いますが、どれも茶色を通り越して黒っぽかったです。買ったおせち料理も含めて少なくとも三が日は本当に「おせちとお雑煮」の食生活でした。子どもの頃はお餅がたくさん食べられれば満足していたのでそんな食卓がそれほど気にならなかったのですが、年末の忙しさや特に大晦日の食事が家業の忙しさで淋しいものだったので自分が料理をするような年ごろになると「シチューからカレーのはしご」という献立が年中行事のようになりました。どちらの献立も一度にたくさん作れるので“作っておけばいい料理”だったからです。(母もご飯を炊いておくか、パンを用意しておけばいいから助かると言ってくれていました)。

結婚して実家を出てかなり長い時間が経ちました。実家の「年末のおせち準備騒動」も、祖母が料理できなくなりとっくの昔に自然消滅しました。新婚当初こそ実家で修行したおせち料理を夫に披露するべく、数種類だけは手作りしていました。

転機は出産して息子が成長した頃のこと。おせちへの考えが変わりました。
息子がじつにおせちを喜ばなかったのです。子どもでも「喜びそうな料理」でも、3日“出し続けることが出来なかった”のです。当初“美味しく作れなかったからかな?”と思ったりしたのですが、そもそも息子は「白いご飯と味噌汁」が大好き。冷たいおかずがイヤだと言うのです。お雑煮もイマイチ喜びません。お餅は「磯部焼きかおしるこ」がいちばんだそう…。

そんなわけで、この数年は「おせちを出来る限り少ない回数で食べ終わる」ことが“わが家のスタイル”に定着しています。私は毎年「少量のおせち探し」と新年の野菜不足に備えて、なます作りや筑前煮作りに専念しています。

今年は元日の夕食から“ほぼ通常の食事”にたどり着きました。(一部かまぼこや昆布巻きなどの「少量でも一日では食べきれないお品」がまだ少しあります)。北陸生まれの夫は“正月はブリ!”なので、今年もブリの照り焼きを作りました。

新年の晩ごはんから「いつもの献立」。今年も「家庭料理を楽しんで、可能な限り大切に向き合うこと」をやっていこうと思います。自宅のキッチンに落ち着いて立てる時間は楽しんで…どうしようもなく忙しいときは“それなりに”…。
「わが家に・私に合った家庭のごはん」元日の夕食からやってみました。
今年もマイペースで心をこめて綴っていけたらと思います。どうぞよろしくお願いいたします。

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