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読書ノート 「日本国憲法を読み直す」 井上ひさし 樋口陽一

 


プロローグ 憲法の前に剣法の話をちょっと

宮本武蔵の「五輪書」を引き、「真の武芸家とは、戦うことを巧みに避ける者の事を言う」とし、「つまり、(強い・弱い)、(勝つ・負ける)という次元から離れて、さらにもう一つの次元(戦う・戦わない)へ到達し、一心に戦わずにすむ方策を練ること、それが一流の武芸家たちの修行だった」

「こういった武芸家たちの逸話が、例えば講談といった親しみやすい話法で、庶民の間に語り継がれてきたというところが実は大事な勘どころなのじゃないかと思う。鈴木大拙『移し植えられたというものの縁を借りて、もとからその土地にあった種苗がーあるいは霊性が働き始めたというように見たいのである。外から来たと言われるものに重点を置くよりも、内にあったものが主体となるという考えの方が事実の真相に徹するのではなかろうか』(『日本的霊性』)

 天台にせよ華厳にせよまた禅にせよ、それどころか漢字にせよ何にせよ、すべて外来のものに縁を借りて、もとからその土地にあった霊性が働き始めたのだ、もちろん日本国憲法に盛り込まれた人権思想も武器放棄という考え方もまたしかり、外からのものに触発されて、日本人の内に在ったものが生き生きと働き始めたのだ」


「日本国憲法」は世界史の傑作

憲法前文の持つ「防御装置」

・「防御装置」をはずせば、あとは何をやってもいいという議論も理論的にはあり得る。しかしそう理解する人にとっても、少なくとも二つの手間(憲法改正手続き、憲法96条のくだりをなくす)がかかる。

・憲法のアイデンティティ、これがなくなったら日本国憲法ではないよというような基本的な性格。それが主権在民、平和主義、人権尊重。

・「八月革命説」日本国憲法は形の上では旧憲法の改正であるが、実質的には帝国憲法を全面的に否定したもの(宮沢俊義が提唱)

・三本柱を束ねる遡った価値として「個人の尊重」がある。


誰が誰に押し付けられた憲法か

・見合い結婚は?ペリーの黒船による近代化は?

・戦争に負けて押し付けられた?その通り。

・人権思想は誰が考えた?客観的に西洋が生み出した思想。

・日本流のやり方、たとえば個人の尊厳より和が大事だ、といった主張、ある面では確かにそう。ここが曖昧。個人の尊厳という人類普遍の原理を日本人は意識的に選び取ったということをはっきりさせるべき。

・国それぞれで文化の多様性があるとしても、それよりずっと手前の問題では人類みんな同じというところがある。文化の多様性と人間であるというものをどう両立させるか。このふたつはどうあっても両立させなくてはならない。

・四つの八九年

  1689年 イギリス「権利章典」

  1789年 フランス「人権宣言」

  1889年 大日本帝国憲法

  1989年 ベルリンの壁崩壊


政治権力と司法の対立

・憲法(コンスティチューション)を持っていれば、司法や検察を政治家が勝手に左右できない。

・コンスティチューション、社会の基本構造そのもの、といった感覚を、我々日本人はそう思っていないところがある。

・アメリカ、フランスとも、憲法が国を作ったという認識。国があって憲法があるのではなく、憲法があって国ができた。


アウン・サン将軍が残した教訓

・ミャンマーのアウン・サン・スーチーの父親のアウン・サン将軍、日本で軍事訓練を受け、国に戻って独立運動を起こした人物。最初は日本を頼みにしながらイギリス勢力を駆逐していくが、途中から日本を信用しなくなる。理由は、日本がイギリスよりももっと自分たちを圧迫してくることに気づいたから。大東亜秩序なるものが、じつは建前で、本年は西洋列強に変わって日本が支配者の座につこうとしているだけだと見抜いた。


憲法はデモクラシーさえも制限する

・イギリスに限らず、西洋人は「コンスティチューション」という言葉を聞いて、必ず「権力の制限」ということを思い浮かべる。つまり、憲法とは、権力が勝手なことをできないようにするルールなんだということ。だから、ときとしてデモクラシーにも歯止めをかけることになる。憲法があるから、デモス(民衆)は勝手なことをしてはいけない、デモスによって選ばれた人民の代表といえども手をつけてはいけない社会の骨組みがある。

・そもそも人権というのは、封建制を壊すことから生まれてきた。西欧で一番身近な封建制はギルド(同業組合)だが、この法人を壊すことで個人が初めて自由を獲得する。だから法人の人権ではなくて、法人からの人権こそが大事。


改めて「戦後とは何だったのか」

・国土防衛隊を作る。地球防衛隊でもいい。


「憲法九条」をめぐる改憲論のまやかし

・軍事を持つのが「普通の国」というまやかし

・九条は、第一項は戦争をしない、第二項は軍隊を持たないということ。

・二項冒頭の「前項の目的を達するため」をめぐって議論が分かれる。

・第一項解釈を「侵略戦争だけをやめるのだ」ということであることを前提として、そういう「前項の目的」と折り合いがつけば戦力を持ってもいいというもの。

・芦田修正は謀略理論といわれるのはこのような理由がある。占領軍がいなくなれば言えるようになるであろうという思惑がある。

・しかしこの芦田解釈は無理があり、現行憲法にひとことも軍隊のことは出てこない。それは「軍隊を持ってはいけない」という読みが正しい。

・西洋との違いは「はじめに言葉ありき」か「はじめに腹ありき」か。

・禅宗「不立文字」真に大切なことは言葉では伝わらないといっていたものが、逆に恐るべき量の言葉を持っている。伝えられないからこそ言葉でせめて説明しようという努力を日本人はいつの間にか忘れてしまった。

・憲法の問題は法律以外にも、それぞれの国の文化の問題とも大きく関わってくる。

・司馬遼太郎の「異胎」

・ワイマール憲法とヒトラー。ワイマール憲法は言論の自由を制限しなかったために、ナチスというトロイの木馬が憲法の体内に入ってくるのを許してしまい、城そのものをつぶされたという説。

・対応には難しいパラドックスが。ドイツは反社会的な言動は厳しく取り締まり、フランスは反憲法的な言動含め制裁を課さない道を選ぶ。どちらも厳しい選択であるが、日本はここまで真面目に考えないで来た。

・「外圧」はたいてい「内圧」。無限に多様な「外」があり、無限に多様な「国際」があるのに、それを「内」の都合に合わせてつまみ食いをしてきた。


取り締まり論のトリック

・個人の問題を国家にすり替える。


「フィクションとしての国家」を見定める

・反省したり自己点検するのは生身の人間しかできない。

・国民国家(ネーションステート)を作った西洋近代は国家がフィクションだということを自覚している。このネーションは自然の所与としての「民族」そのものではなかった。だからこそ、社会契約論などでお互いの約束事をはっきりさせなければ成り立たなかった。うそということを自覚した国家が、社会を切り盛りする。

・それがだんだん自己目的化し、フィクション同士の戦い(戦争)に向かう。

・日本国憲法によってこの国に参加したいか、したくないかを、日本国民に少しきつく問わなければいけない。


エピローグ 「憲法」という言葉を鞣す(なめす)

・憲(おきて)の中の法(おきて)。

・この厳しい鉄甲語を日常で使えるように柔らかく鞣してみたい。

・英語、フランス語で憲法は同じ綴りの

              the Constitution

              la   Constitution

であり、「構成」「秩序」「組織」「本質」といったところで共通している。

 ・司馬遼太郎の「この国のかたち」

 ・憲法を(掟の中の掟)と解さずに、(この国のかたち)に読み替えること。「改憲論」を(この国のかたちをどうするかについての議論)と言う具合に読み替えれば、わたしたちにも肝心なところがたやすく見えてくるのではないだろうか。




 読書ノートではなく、メモになってしまっているが、それだけ重要なことばが並んでいるということでご勘弁いただきたい。


 また、ここに書いてあること、そっくりそのまま賛成しているわけではない。実際は更に突き詰めて考えたり、検証し直すべき内容もある。とはいえ、「井上ひさし」「樋口陽一」からみた、戦争を知って、戦争から脱け出してきた世代が真剣に考えたとき、この様になる、という一例である。

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