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連載小説【夢幻世界へ】 3−12 蠍

【3−12】


 
 …それからのわたしたちは、悪や暴力、否定、かと思うと愛、存在、無と有などに関する対話が永遠のように繰り返され、無限の時間が過ぎ去りました。わたしは途中から全身に聖なる光を纏うようになり(聖なるって言っちゃうのね、自分で)、世界の深いところ(もしくは高いところ)に変化しながら移動して、更に眩しく輝き出しました。


 大爺やセラフィタさん、ハンナさんはよく一緒にいてくれたわ。たまに来る日本人やイスラムの人、インドの人、ギリシアの人、ドイツの人もいたし、どこから来たのかわからない人も大勢いました。みなさん穏やかに、冷静に、楽しくおしゃべりが続き、ずっとこのままでもいいかなあなんて思ったときもあったわ。幸福とは、『いつまで続くかわからないこと』を考えないほど楽しいときのこと、をいうのね、きっと。


 ある夜、光に小さな影ができたの。それは手のひらほどのさそりだった。蠍は、可愛かったの。蠍には蠍の意志があり、その意志は弱々しくわたしに言った。

「きりさきたい」

 それは自分の手にしている鋏を使いたい、ということなの。自分を動かし、自分本来の能力を発揮したい、ということ。なんて可愛いのかしら、と私は思ったわ。

「いいわ、きりさいてごらん、いとしいわたしの蠍ちゃん」

 すでにその頃、わたしは人間でありながら人間ではない世界に到達していた。アニマの四段階ね。「複眼の士」の合格免許も戴き、シニアソムリエでも受けようかしら、と考えていたぐらいよ。蠍ちゃんは弱々しく、はさみで切り裂いたわ。この時空間を。


 すると、冷気がやってきた。切り裂かれた時空間の向こう側は、想像通り、『無』の世界。冷たいだけの時間が長く流れ、ほったらかしにしていると、自発的に、というか無自覚的に「冷えたシステム」が産まれ出したわ。それは、邪悪なものを育みだす。わたしのなかでは、不安や怖れ、といった感情はもうすでになく、邪悪なものの行く末を目を凝らして見るだけだったわ。邪悪なものは意思を持ち、自分を作り出す。まず「名」を生み、身体を作り出していったの。まだ、こっちも余裕があったわ。自分の作り出したものは自分で操作できると信じていたから。でも、そういうわけではなかったの。「邪悪なもの」たちは「他者」と密約を結んで、わたしたちに戦いを挑んできたわ。わたしたちの存在を脅かしに来たの。困ったちゃんよね、まったく」


「彼らは自分たちのことを『神の手先』と呼んでいたわ。他者を依り代に鏡面的自己を肥やし、次々と顕在化していく。蠍ちゃんなんて、もうどこを見渡してもいないようになってしまったの。『邪悪なもの』たちはわたしに似せたものをたくさん創造し、わたしたちに挑みかかってきた。申し訳なかったのは大爺達。せっかくのバシュラール先生の世界が彼ら邪悪なもの達によって破壊されることとなってしまったの。破壊の前夜、大爺は、わたしを呼んでこう言ったわ。



 貞子さんや、儂は感謝しておるのじゃ。あんたが儂の、最後の願いを成就してくれたんじゃ。儂の、生きていた時の、最後の願い、それは生きているときには成し遂げられなかったこと。それは『アニマのほのおを創ることじゃ。言ってしまえばそれだけかと言われそうじゃが、そいつはな、なかなか手強かったのでな、生きてるうちに、自らのものにはできず、やっとここに来て、その創る術を見つけた。それがあんたの召喚じゃ。宗玄の助けも借りて、あんたを呼び込んだ。あんたはよく、応えてくれた。ほんとに感謝しとるんじゃよ。


 儂たちは、自分が人工知能データから現出された仮想意識であることを知っておる。だから儂は儂であって儂でない。そしてこの仮想空間もどこかサーバー内の電子ニューロンが煌めいてるにすぎないことも知っておる。それでもここは儂にとってはほんとうの世界なのじゃ。ここに現れた、過去・未来の哲人たちも人工知能に蓄積された思念データにすぎない。儂も彼らも、生きているか死んでいるかといえばその垣根は限りなく低い。生も死も、万物も集う、それこそ最良の世界と言っていい。そしてこの世界を破壊するのは、儂が育てた貞子さん、あんたじゃ。それも必然。だが、このあと、どうなるかは儂にもわからない。悲劇的な結末が貞子さんを待っているようにも思う。最後まで、見届けることができずにすまん。

 さあ、外部からの攻撃がくるぞ。



 そう言って大爺は消えていった。わたしも、大爺も、宗玄さんもセラフィタさんもハンナさんも、みんなただのデータにすぎないってことなんだけど、そう聞いてもあまり心は揺れなかったの。まあ、それは現世で持ち合わせていた『貞子』の個別データが剥ぎ取られ、感情を無くして無個性な人格に定義づけられる過程があったとしても、別に現実世界も似たようなものじゃない、というのが私の感想。所詮わたしたちは無限の差異化、分節化のなかでジツゾンもできてるし、そのヴァリエントと考えればどうってことないもの。わたしも楽観的になったものよね、あ、もともとですが。


 もんだいは、蠍ちゃんたちをどうするかってこと。なぜ、戦いを挑まなければならないかって?それは「絶対超越的他者=神」の座に敵対することの必然性を、わたしたちが欲しているから。その破壊性が必要だからなの。変なこと言ってるように思われるでしょうけど、これはそうなの。夢をイメージしてみて。夢は覚めるべき。それは世界の破壊であり、違う世界への跳躍。それなしにはひとは生きていけない。ふふん、ちょっとかっこいいこと言っちゃった… 蠍ちゃんは鏡面的自己、虚構の自己であり、私でもある。そこには裏も表もある。主体も客体もある。ふたつはひとつ、なんだなあ。


 というわけで、わたしももう「貞子」ですらなくなります。これからはわたしのことは「彼女1」と呼んでね。この世界の隅々に広く行き渡っているから。偏在、します。そして、いつの日か、「自律的自己」を獲得できたとき、わたしの旅は終わる、はず。


 貞子は揚棄し、彼女1は偏在した。


 22が現れる。彼女1とそっくりな風貌をした22が現れる。






 「彼」はそれを夢見ている。



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