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ピンクコンプレックス

コンプレックスの話をしよう。

小さい頃はナルミヤブランドが大好きな女の子だった。今の若い人にはなじみのない言葉かもしれないが、エンジェルブルーを中心にメゾピアノとかポンポネットとかがあった。要は少しお高めのキッズ服ブランドで、多分今もあるんだけど、規模は絶対に小さくなっている。15年ぐらい前の小中学生は絶対誰しもが憧れて、誕生日にそれをねだった。

私は小さい頃から背が高くてひょろ長くて、何故だがピンクがどうしようもなく似合わなかった。いつもピンクのメゾピアノに憧れては、大人しく隣の水色のポンポネットを手に取って、母にねだった。

メゾピアノを分かりやすく説明するなら、少し前のリズリサとかいまでいうジルスチュアートとかメゾンドフルールのピンクが最上位みたいなブランドのことだ。ここでいうピンクはふんわりとした砂糖菓子でコーティングされたみたいなピンクのことだ。少しはイメージがわくだろうか?

結論から言えば、自分の持っている狂気じみた内面とやや派手で男顔な外見と好む服がまったく違うというわけだ。あの頃の私はふわふわのピンクの似合う肌の白い女の子になりたかった。


ピンクに憧れたけどダメだった。似合わなかった。で話が終わればいいのだが、話はここで終わらない。めちゃくちゃに拗れていく。

私は私服の女子校に進学し、「スカート似合わない」「ピンク似合わないね、黒が似合う」という言葉を受けた。本物のピンクの似合う女の子たちに囲まれたから、アイデンティティ確立のためか途中からベリーショートのパンツスタイルを極め始めた。

腰がないからうまく着こなせないものもあって、へこむこともあったけれど、長身故かパンツスタイルはなかなか受けが良かったのもあって長く続いた。同性にはまあまあモテた。女性専用車でめちゃくちゃにらまれた。そして10代の間は「ピンクなんて興味ない」みたいな顔をして本当に興味もなくなって過ごした。

20前後で放浪の旅に出た時も、別にピンクは求めていなかった。生きるのに必死であまり服の記憶はないけれど、時々リズリサのピンクじゃない服を着た。ピンクはぞれぐらい私にとって鬼門だった。

25を過ぎたあたりで自分の着たい服を買い始めた時に、また可愛いものに目覚め始めた。骨格診断でウェーブだったのもあって、甘いふりふりとレースが意外と似合うということに気が付いたことと自由なお金があったことが私のピンクへの渇望を加速させた。

それからピンクのメイク用品をジルスチュアートで買いあさった。自分の外見に似合っていないことは分かっていたから、最初はプレゼント用の体を装っていたけれど、最近は堂々としたものだ。意外といける。大学生の女の子たちよりお金を落とす人として認識され始めているのかもしれない。まあいい。

でもやっぱりピンクの服は殆ど買わなかった。淡いピンクが欲しいと思っても似合わない鏡の中の自分に絶望するからだ。パーソナルカラー的にど派手な原色のピンク(フューシャピンクとか)ならいけることが分かって、折衷案として買った。派手な色が似合うことが分かって、派手さで欲求を解消しようと試みた。

私のファッションとメイクは「モテ」や異性の目を意識して変えるということは一度もなかったのだけれど、常に何かに抑圧はされてきた。少女願望のようなピンクに対する執着はピンクコンプレックスなんだと25を過ぎてやっと気が付いた。あの時思い切って1枚でもメゾピアノを着ておけばこんなことにならなかったのかもしれない。

去年の27歳の誕生日、友人たちからピンクのふりふりのリボンのついたお弁当を入れるようなサブバッグをもらった。好きすぎて一層自分で買ってしまおうかと思っていた色よりもワントーン淡いピンクのバックを見た時に、私は日常でピンクを貰えるような女の子になりたかったのだと気が付いた。

「もはや自分で買いそうな気配もあったけど、落ち着いた色にしそうだから」

そういってやや笑いながら選んでくれたバックは自分が持つと可愛くなくなることも含めてめちゃくちゃ大切にしている。私が一番わかっている、ピンクが似合わないことなんて。でも似合わないけど欲しいと口にする私の欲求を沈めてくれたのは、他人からピンクを貰うことだった。

私が服を選ぶときに、「はーい始まった、ピンクの人」という感じで貶しもせずに受け入れてくれる友人たちが、「他人からもらったら流石に似合わないとか言わずに使うでしょ」といって私にピンクを送ってくれたことはめちゃくちゃ感謝している。

以降ピンクコンプレックスは大分鳴りを潜めている。本当に買いたい時が来たら買えばいいか。そんな気楽な気持ちである。

グミを食べながら書いています。書くことを続けるためのグミ代に使わせていただきます。