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だるまのかい

この話をするのは本当は嫌なんです。以前に別所で音声にて語ったこともあるかもしれません。つまらない話です。もしかして気分の悪くなる方がいたら申し訳ないので、心配な方は読むのはここまでとしてください。

自己責任でお願いします。




明晰夢

私は幼いころから明晰夢を見ることが出来ました。夢自体を操れるというよりも「これは夢だ」と夢の中で気付くというもの。

気付くことに成功した後は、右に行くのも左に行くのも自由意志によって夢の世界で動けます。壁抜けや、透明になることも可能。残念ながら空は自由には飛べず、ゆっくりふんわり落ちていく程度。そこは想像力が足りなかったせいでしょう。でもその浮遊感というか、直下的に落下しない安心感が好きで、目に見える一番高い建物に上り、そこから飛び降りてあそぶ。ということをやっていました。幼稚園でしょうか、小学校低学年でしょうか、遊びたい盛りの私は夢の中でも元気に遊びまわっていたのです。

夢の中で夢だと気づけるようになったきっかけは、
何回も同じ夢を見るなぁと思い始めてからでした。

同じ夢というのは

場面も登場人物も違うのに、
何故か共通点があることでした。

それは  だるま  です。

最初に違和感に気づきます。なんだか嫌な感じが、嫌な空気が漂い始め「あっ、コレは…」と気づいたころには、奥(?)から真っ赤なだるまが私をめがけて飛んできます。

ちょうどお腹あたりに飛んできて、だるまには手がないはずなのに、ゴツゴツした指で腹を弄られるようなニブイ痛み。くすぐられている。とは違う、力強いおじさんの指でグリグリと抉られるように逃げようのない苦しさ

なんとか悪夢から覚めると汗はびっしょり、腹筋を20回やったような微妙なお腹の疲れ。夢の場面はバラバラ。ある時は自宅の居間で、ある時は友人宅で、ある時は見知らぬ場所で。周りには家族だったり友人だったり、知らない人だったり、場面も人物も共通してないのに話の途中で、


奴が出てくる。

毎度つらくなってくる夢に対して、幼いころの私は子どもながらに仏壇にお願いしてみたりしました。なもあみだぶぅと唱えてみたり、なんみょほれんげっきょといってみたりしました。もちろん夢の中でも。しかし何も効果はなかったです。今でも真っ赤で立派な髭面が書かれた達磨は苦手です。

数年前に漫画原作で実写映画化もされた「〇〇の言うとおり」という作品に恐怖の達磨が登場した時は、子どもたちの手前「ふーん」とした顔をしていましたが、内心は嫌で嫌でたまらなかったです。
よりによって、何故作者はピンポイントでダルマをチョイスしたのだろうか。

世界にはピエロが怖いという人もいます。coulrophobia ピエロ(クラウン)恐怖症

本来は道化師として、コミカルな演技を見せてくれるピエロが恐怖の対象となってしまう。では、本来は魔除けや縁起物として扱われる達磨が、恐怖の対象となってしまってもおかしくない。

話はこれで終わりです。
後日談も、夢の暗示も、誰かの不幸もありません。
結末の無い夢の話でしたが、ある時を境にパッタリと見なくなりました。

それは両親が離婚し、母と私たちが
家を出たタイミングと合致していました。

私が幼少期を過ごした父方の家は、当時で考えても古い建物でした。日本昔ばなしに出てくる大きなお屋敷ほどです。それとだるまとの関係は分かりません。

商いをしていたわけではないので、繁盛や祈願のダルマが家に置いてあったわけではありません。幼い私がどこでダルマを見たのか、なぜ恐怖の対象となったのか、全くわからないのです。

かなり可愛く描いたつもりです。

あまり関係のない話だとは思いますが
幼少期はお腹が緩い子どもでした。
大きくなるにつれ改善しましたが
はたして
ダルマが治療してくれたのか
ダルマが悪さをしていたのか

確かめようのない夢の話でした。


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