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1日1分歴史小話(無料メルマガ)

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2017年12月の記事一覧

#0150【決断と信仰の生涯(旧約聖書、アブラハムの死と埋葬)】

1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。 前回【149:イサクとリベカの結婚】の続きです。 <>内は旧約聖書からの引用を基に記述。 <アブラハムの生涯は175年であった。> サラは127年、アブラハムは175年。 時間の長さ、尺度については異論があると思いますし、アタマから信じる必要はありません。 生まれ故郷を離れ、苦労をしながらも財産と子宝と長寿に恵まれた。 その理由は、神の祝福(幸運)に助けられた点があったとしても、そもそもアブラハム自身が一大決心、決断

#0149【アイデンティティを保つために(旧約聖書、イサクとリベカの結婚)】

1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。 前回【148:サラの死と埋葬】の続きです。 <>内は旧約聖書からの引用を基に記述。 <(筆者注:サラの死後も)神はアブラハムに祝福をお与えになった。> やがて年老いたアブラハムは、イサクに迎えるべき妻を考えるようになりました。 <アブラハムは自分の財産を任せている信頼できる僕(しもべ)を呼んで話をします。 アブラハム「私の生まれ故郷に行ってイサクの妻を探してきなさい」 僕「その娘が、こっちに来たくないと言ったらイサクさ

#0148【共に生きた軌跡(旧約聖書、サラの死と埋葬)】

1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。 今週は、旧約聖書の物語シリーズをお送りします。 前回は【0135:ソドムの滅亡】ですが、時系列としては【0133:イサクの献納】の続きとなります。 <>内は旧約聖書からの引用を基に記述。 <サラの生涯は127年であった。これがサラの生きた年数である。> 年数の真偽はさておき、聖書に伝わる彼女が駆けた生涯はまさに激動といえるものでした。 元々、メソポタミア流域で平穏に暮らしていたのに、夫アブラハムが突然「引っ越しするぞ」

#0147【復讐の果てに(伍子胥、史記の世界)】

1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。 今回の史記の人物シリーズ最後は、伍子胥(ごししょ)を取り上げて締めくくりたいと思います。 時代は前後しますが、彼は中国南部の楚に生まれます。一族は代々楚の重臣でしたが、伍子胥たちは敵対派に貶められてしまいます。 伍子胥の父が囚われの身となり、楚の君主から「父の命が惜しくば首都に出頭せよ。」と命令が届きます。 伍子胥には、兄がいました。伍子胥は、「これは罠です。行ったところで父も救われない。犬死です。国外に亡命して復讐を目

#0146【名戦略家の身の処し方(楽毅、史記の世界)】

1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。 史記の人物特集第二弾は、楽毅(がっき)という人物を取り上げます。 前回の管仲と同じく、三国志の諸葛孔明が尊敬する人物として挙げている人物です。 楽毅は、部類の戦略家、戦術家として知られています。 生まれは中国中央部だったと言われていますが、活躍の場は現在の北京周辺にあった燕(えん)という国です。 楽毅が燕に仕える前に、燕は一時期斉の属国となっていました。新しく君主となった人物の父は斉に殺害されており、何とか復讐を果たし

#0145【衣食足りて礼節を知る(管仲、史記の世界)】

1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。 今週の歴史小話は中国最初の正史と位置付けられている史記から特徴ある人をご紹介したいと思います。 第一回の今回は管仲(かんちゅう)です。 彼は中国東方の現山東省(山東半島周辺)にあった斉(せい)という国の宰相として、活躍した人物です。 彼には一人の親友・理解者がいました。 鮑叔(ほうしゅく)といいます。 ちなみに中国には伯仲叔季(はく・ちゅう・しゅく・き)というものがあり、長男を伯、次男を仲、三男を叔といい、末っ子を季

#0144【北条泰時と御成敗式目(日本史通史シリーズ)】

1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。 承久の変の後、京都以西にも鎌倉幕府の支配力が高まりました。 特に占領行政を預かった北条泰時は、強硬姿勢を振舞うだけでなく、道理にかなった政治に努めました。 公家社会とも交流を大切にし、文化・教養面でも鎌倉幕府最高権力者の長男として申し分のないものとなっていきました。 結果的に見ると、承久の変によって幕府の支配力が広がっただけでなく、その長男が見識・見分を広げるための留学を果たすことにもなりました。 京都での生活に慣れた1

#0143【後鳥羽上皇と承久の変(日本史通史シリーズ)】

1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。 1219年に実朝が暗殺されたことにより、源氏将軍は三代で滅んでしまいましたが、鎌倉幕府の征夷大将軍には京都から派遣された九条三寅が成年後に就任する予定となっていました。 後鳥羽上皇は、長男の土御門(つちみかど)を一度天皇にしましたが、覇気のある順徳に位を譲らせていました。父に従順な土御門は黙って従いました。 1220年になると後鳥羽は順徳に対して、天皇位を順徳の息子に譲らせました。順徳も上皇となることにより、天皇としての責

#0142【御家人の争いと源氏将軍の断絶(日本史通史シリーズ)】

1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。 月初の日本史通史シリーズです。前回の同シリーズNo.132は源頼朝が1192年に征夷大将軍に就任したところまででした。今週はその後、武家政治と天皇家・貴族社会がどのような関係性を築いていったのかを取り上げていきます。 まず、幕府政治の内部を覗いてみましょう。 源頼朝は1199年に死去すると、息子の頼家が跡を継いで二代目将軍となります。頼家の母は北条政子です。 頼家は、頼朝以来の有力武士である御家人(ごけにん)を無視し、将

#0141【お市の方と柴田勝家(日本、16世紀後半)】

1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。 悲劇の美女特集の最後は日本から「お市の方」を取り上げます。 戦国時代の英雄、織田信長の妹であり絶世の美女と言われています。1547年の生まれと記録されています。 岐阜城を確保した信長は京への道を確保すべく、琵琶湖周辺の勢力との関係構築に腐心しました。南の方は敵対的態度を改めませんでしたが、北方の浅井長政(No.121で取り上げた人物)は信長との友好関係を結ぶことを決めます。信長は長政との関係を強化するために、お市の方を輿入れ