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1日1分歴史小話(無料メルマガ)

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#日本史通史

#0243【足利義満政治の否定・反動(日本史通史)】

1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。 今週は月初の日本史通史シリーズです。 前回:No.242【金閣寺と足利義満の野望(日本史通史)】 志半ばで死去した足利義満の跡は、長男の足利義持が主導権を握ります。父から征夷大将軍の地位は受け継いでいたものの、父の愛は弟の足利義嗣に注がれていました。 天皇が北山第(金閣寺一帯)に訪れた際に、義満は義嗣を侍らせ、義持には周囲の警護の任務を与えました。 父の死後、二人の対立は頂点へと達します。これに加えて、室町幕府は当初より

#0242【金閣寺と足利義満の野望(日本史通史)】

1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。 今週は月初の日本史通史シリーズです。 前回:No.241【花の御所と足利義満の野望(日本史通史)】 元征夷大将軍としての武家に対する権威と、元太政大臣としての貴族に対する権威、さらに出家して寺院に対しても特別な地位を得た義満は、いよいよ天皇家に対してもマウンティングを開始します。 実は時の天皇と義満は、母を介して従兄弟だったのです。そして亜流とはいえ源氏ですので、父方を遡れば天皇家に辿り着きます(源氏は皇族から臣籍降下した

#0241【花の御所と足利義満の野望(日本史通史)】

1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。 今週は月初の日本史通史シリーズです。 前回:No.228【南北合一と足利義満(日本史通史)】 今回は金閣寺を築いたことでも有名な室町(足利)幕府三代将軍、足利義満の野望を中心に話を進めていきます。 日本の歴史上には三つの幕府が存在しました。一つ目は鎌倉幕府です。本拠地を鎌倉に置いたことからこう呼ばれています。幕府のトップは征夷大将軍と呼ばれる役職の人物です。 鎌倉幕府では当初、源氏の棟梁(一族のトップ)である源頼朝が征夷

#0228【南北合一と足利義満(日本史通史)】

1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。 日本史は、鎌倉幕府の崩壊から建武新政の誕生と瓦解、そして南北朝の動乱目まぐるしい時代を迎えてきました。 (前回:No.227【妥協の産物、室町幕府(日本史通史)】) 背景には、武士と貴族の対立だけでなく実力主義の横行による権威やモラルの瓦解といったものも大きかったと感じます。 南朝と北朝それぞれ、自分たちに都合の良い天皇を担ぎ上げることで正統性を担保していました。そのため、実力者たちは権威は自分たちで作り上げることができ

#0227【妥協の産物、室町幕府(日本史通史)】

1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。 月初の通史シリーズですが、しばらく主役を張っていた後醍醐天皇が1339年に吉野で死去します。 (前回:No.226【南北朝時代、凋落する権威とモラル(日本史通史)】) 息子に天皇位を譲ったのは死の前日。 死にあたっては、左手に法華経第五巻、右手に剣を持ち「玉骨(天皇の遺体、ここでは後醍醐をさす)はたとえ南山の苔に埋るとも魂魄は常に北闕(ほっけつ、北方の宮城、ここでは京都のこと)天を望みたい」と遺言を残しました。 (太平記の

#0226【南北朝時代、凋落する権威とモラル(日本史通史)】

1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。 今週は月初の通史シリーズです。 遂に後醍醐天皇を中心とした建武政権は、崩壊します。足利尊氏が京の都に攻め込んだことで、後醍醐天皇は比叡山へと逃れます。 (前回No.216【理念先行・現実無視の結果(建武新政の崩壊、日本史通史)】) 尊氏が京都を占領したものの、当時の京都は日本を代表する都市であり、人口密集地。生産拠点ではなく消費地であるため、大勢の軍隊を養うだけの食べ物がありません。 京都は盆地であるため、包囲されてしま

#0216【理念先行・現実無視の結果(建武新政の崩壊、日本史通史)】

1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。 月初の日本史通史シリーズ。鎌倉幕府崩壊後の後醍醐天皇による後醍醐天皇(とその側近達)のための政治は大きく綻びを見せました。 (前回:No.215【自分勝手は滅びの元(建武新政の綻び)】) 京都が遠い陸奥(東北地方)と鎌倉(関東地方)に将軍府をつくり、後醍醐天皇の息子たちがそれぞれ将軍として赴任していました。 しかし、行き当たりばったりのその場しのぎの政策ばかりを実施する京都の政権に対して各地の不満が頂点に達します。 そん

#0215【自分勝手は滅びの元(建武新政の綻び、日本史通史)】

1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。 月初の日本史通史シリーズです。 意気揚々と天皇中心の政治を志した後醍醐天皇でしたが、彼のやりたかった政治は、厳しい言い方をすれば「天皇中心」の政治というよりも、「自分のワガママを貫きたい」政治と言えると思います。 (前回:No.214【言行不一致が不信感へ(建武新政の不安定な門出)】) 行きあたりばったりの政策、寵臣・寵妃(お気に入り)たちへの過度な恩賞。好き嫌いで物事を決めてしまう点などは、完全に自己コントロールを失った

#0214【言行不一致が不信感へ(建武新政の不安定な門出、日本史通史)】

1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。 今週は月初の通史シリーズです。前回、不屈の傑物である後醍醐天皇の号令によって鎌倉幕府が滅ぼされたところまで叙述しました。 (前回:No.204【得意満面の悲願達成(後醍醐天皇と鎌倉幕府の滅亡)】) 隠岐の島に流された後醍醐天皇でしたが、意気揚々と京の都へと舞い戻ります。 後醍醐天皇は自分が島流しされていた間に鎌倉幕府の手によって擁立された光厳天皇の即位を否定。光厳が署名した詔書や光厳が与えた官位の無効を宣言します。 さら

#0204【得意満面の悲願達成(後醍醐天皇と鎌倉幕府の滅亡、日本史通史)】

1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。 月初の日本史通史シリーズ。最初の武士による武士のための政治機構、鎌倉幕府が滅んでしまいます。 (前回:No.203【燃え広がる倒幕の火(後醍醐天皇と楠木正成)】) 1331年に元弘の乱が起きますが、首謀者である後醍醐天皇は虜囚の身となり、1332年には隠岐の島に流されます。 しかし、鎌倉幕府に対する不満は既に日本全国に充満しており、一度ついた倒幕の火が消えることはありませんでした。 悪党、不満を持つ御家人、寺社勢力が各地

#0203【燃え広がる倒幕の火(後醍醐天皇と楠木正成、 日本史通史 )】

1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。 月初の日本史通史シリーズです。 鎌倉幕府を倒すことに執念を燃やす後醍醐天皇に、幕府側も堪忍袋の緒が切れました。後醍醐天皇を退位させる方向に動き始めます。 (前回:No.202【我こそが真の王者なり(後醍醐天皇と朱子学、日本史通史)】) この動きを察知した後醍醐天皇は、逆に再度の倒幕計画を立てます。この動きに危険を感じた側近が幕府側に密告をします。 失敗する確率が高いとみて、後醍醐天皇の処遇を少しでも良くしようとしての判断

#0202【我こそが真の王者なり(後醍醐天皇と朱子学、日本史通史)】

1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。 今週は月初の日本史通史シリーズです。 前回4月には、 No.187【無い袖は振れないけれど(御家人の没落と徳政令)】 No.188【犬も食わぬは骨肉の争い(分裂する天皇家) 】 No.189【鬼の居ぬ間に新興勢力(悪党の登場と日本経済史)】を取り上げました。 元寇という未曽有の国難を鎌倉幕府は退けることに成功しました。しかし、相手から賠償金や領土を奪ったわけではなく、日本のために戦った武士に報いる手段を鎌倉幕府は持っていませ

#0189【鬼の居ぬ間に新興勢力(悪党の登場と日本経済史、日本史通史)】

1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。 月初の日本史通史シリーズですが、前回までで鎌倉幕府と京都朝廷のどちらも疲弊或いは対立している組織だということを確認しました。 (前回:No.188【犬も食わぬは骨肉の争い(分裂する天皇家 、日本史通史) 】) 一方で庶民たちの暮らしはどうだったのでしょうか。 御家人(鎌倉幕府に仕える武士)や京都の天皇家や公家たちといった体制側に属さない人々がいました。 彼らのことを悪党・海賊といいます。 単に道徳的な意味合いでの「悪

#0188【犬も食わぬは骨肉の争い(分裂する天皇家 、日本史通史) 】

1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。 さて、前回は困窮していく御家人、鎌倉幕府の武士たちを見ていきました。 (前回:No.187【無い袖は振れないけれど(御家人の没落と徳政令、日本史通史)】) 今回は鎌倉幕府に承久の変以降押され気味の京都朝廷の状況にフォーカスを当てたいと思います。 1221年の承久の変で後鳥羽上皇は倒幕を計画しますが、失敗。鎌倉幕府は後鳥羽の兄にあたる守貞親王の息子を天皇とします。 後堀川天皇といいますが、彼の系統は息子の四条天皇の代で途絶