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#0188【犬も食わぬは骨肉の争い(分裂する天皇家 、日本史通史) 】

1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。
さて、前回は困窮していく御家人、鎌倉幕府の武士たちを見ていきました。

(前回:No.187【無い袖は振れないけれど(御家人の没落と徳政令、日本史通史)】)

今回は鎌倉幕府に承久の変以降押され気味の京都朝廷の状況にフォーカスを当てたいと思います。

1221年の承久の変で後鳥羽上皇は倒幕を計画しますが、失敗。鎌倉幕府は後鳥羽の兄にあたる守貞親王の息子を天皇とします。

後堀川天皇といいますが、彼の系統は息子の四条天皇の代で途絶えてしまいます。

後鳥羽の息子のうち、反討幕派であった土御門天皇の息子が天皇となり、後嵯峨天皇となります。

後嵯峨天皇には二人の息子がいましたが、彼は弟の方を愛します。一旦は兄を後深草天皇としますが、すぐに譲位をさせて弟が亀山天皇となります。

亀山天皇は自分の息子に天皇位を譲り、後深草の系統は天皇位を継げないと思われました。

ここで後深草は「これはおかしい」とクレームを何と鎌倉幕府に持ち込んだのです。

鎌倉幕府はこれを受けて、後深草の系統と亀山の系統で交互に天皇位に継いだらどうかと「提案」します。実際には武力を背景にした命令ですが。

亀山は渋々これを受け入れ、自分の息子の後の天皇に後深草の息子(亀山からみたら甥)に天皇位を譲らせます。

後深草天皇の系統を彼の住まいから「持明院統」といい、亀山天皇の系統も彼の住まいから「大覚寺統」といいます。

ややこしくなってきたので、少し整理をします。
天皇代数の前は【持:持明院統】、【大、大覚寺統】です。

88代:後嵯峨天皇
【持】89代:後深草天皇(後嵯峨の息子)
【大】 90代:亀山天皇(後嵯峨の息子、後深草の弟)
【大】 91代:後宇多天皇(亀山の息子)
【持】 92代:伏見天皇(後深草の息子、後宇多の従兄弟)
【持】 93代:後伏見天皇(伏見の息子)
【大】 94代:後二条天皇(後宇多の息子)
【持】 95代:花園天皇(伏見の息子、後伏見の異母兄弟)

と整理してもややこしいです。

ポイントは、天皇家が事実上二つに分裂してしまったということです。

これにより、鎌倉幕府が前回見たように御家人や商人からの信望を失ったとはいえ、対抗馬となるべき京都朝廷もバラバラになってしまっていたため、鎌倉幕府はその歴史をまだ閉じることなく進むのです。

天皇家が分裂したことを両統迭立(りょうとうてつりつ)といいます。

二つの系統が並び立っているということを難しく表現しているだけで、押さえておくことは、鎌倉幕府がごたついているときに、天皇家も分裂して骨肉の争いをしていたということです。

しかし、時代はある一人の強烈な人物を表舞台へと登場させます。この人物については来月の日本史通史シリーズで取り上げます。

次回は、この頃の日本文化や経済について確認しておきたいと思います。

以上、本日の歴史小話でした!

(続き:No.189【鬼の居ぬ間に新興勢力(悪党の登場と日本経済史、日本史通史)】)

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