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#0189【鬼の居ぬ間に新興勢力(悪党の登場と日本経済史、日本史通史)】

1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。

月初の日本史通史シリーズですが、前回までで鎌倉幕府と京都朝廷のどちらも疲弊或いは対立している組織だということを確認しました。

(前回:No.188【犬も食わぬは骨肉の争い(分裂する天皇家 、日本史通史) 】)

一方で庶民たちの暮らしはどうだったのでしょうか。

御家人(鎌倉幕府に仕える武士)や京都の天皇家や公家たちといった体制側に属さない人々がいました。

彼らのことを悪党・海賊といいます。

単に道徳的な意味合いでの「悪」や「賊」という意味ではなく、反幕府・反体制派という意味で言葉が用いられている点に留意が必要です。

「悪党」だからといって、必ずしも悪ではない。あくまでも幕府や御家人、公家の荘園領主から見て都合が悪い人々なのです。

彼らは流通を担っていました。

このごろになると二毛作の普及、肥料使用、鉄製農具(鋤・鍬・窯)や多収穫品種の導入などにより、土地当たりの生産性が向上していきます。

幕府の統制下から離れた悪党や海賊たちは、そういった余剰作物の輸送を引き受けます。

その結果、貨幣経済が発達していくとともに財を奪おうとする悪党が増えていきます。

悪党による強奪を防ぐために、輸送警護として別の悪党を登用するなど、悪党の社会的影響力が拡大しました。

日本全体でみれば、元寇襲来を防ぐこともでき、生産力も向上し、その輸送によって商業・貨幣経済が発達していくという好循環をもたらしていました。

その波に乗れていないのが、鎌倉幕府を頂点とした御家人社会だったのです。

確かに御家人たちは土地を持っています。しかし分割相続が前提であったため、集約的な大規模農業をだんだんと実施しづらくなります。

土地の権利保護が鎌倉幕府の重要な役割の一つでしたが、ある意味零細企業の延命措置に走っていた格好になります。

一方、荘園(天皇家・貴族の土地も含まれます)については、大規模農業が維持されていました。もちろん、その余剰作物を京都に運ぶ際には悪党・海賊の力を借りる必要があるといった状況です。

こうなると、もし分裂している京都朝廷をまとめ上げるようなカリスマが現れれば、鎌倉幕府の支配は揺らぎかねません。

ここに武士の国、日本国内における大きな変革がおきる下地が用意されたのです。

以上、今週の歴史小話でした!
来月月初の日本史通史シリーズもどうぞお楽しみにしてください。

(続き:No.202【我こそが真の王者なり(後醍醐天皇と朱子学、日本史通史)】)

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