#0076【最澄と空海 平安新仏教(日本、9世紀前半)】

1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。
7月に入りました。月初ですので日本史通史シリーズです。

【0066:蝦夷との争いと征夷大将軍】からの続きとして平安新仏教を取り扱います。平安新仏教は二人の天才僧侶によって隆盛しました。

一人目の名前を最澄(さいちょう)といい、もう一人を空海といいます。

二人とも804年に平安時代最初の遣唐使船で中国に渡ります。
最澄は短期留学僧として空海は長期留学僧として派遣されました。

最澄は法華経(ほけきょう)を最高の経典と位置付ける天台山で学び、法華経に加えて「戒(戒律)、禅、密(密教)」についても印可状(免許皆伝)を受けました。

翌805年には日本に戻りました。当初の予定どおり日本になかった教えを持ち帰ってきて比叡山延暦寺を建立し、後進の指導を行います。法華経の教えにしたがい、人間は誰でも仏になることができる「一切皆成仏(いっさいかいじょうぶつ)」を唱えたことから旧来の奈良仏教と論争を繰り広げます。

法華経のことを円教(丸い円のようにすべてを包みこむ完全な教え)ともいい、最澄は「円・戒・禅・密」の4つを伝え、後世「伝教大師」と尊称されることになりました。

一方の空海ですが、彼は密の取得に全力を注ぎます。密の字が示すように他の仏教の教えと違い、経典では伝えられない秘「密」の世界観をマンダラ図や真言(しんごん)などを通して得るとされており、加持祈祷など秘密の呪法を用いることで「即身成仏」が可能であると唱えます。

空海の留学期間は20年の予定でしたが、密の教えを会得し終え、中国でもはや学ぶものはないと806年に日本へ帰国しました。

高野山金剛峰寺を建立し、加持祈祷を行って現世利益的な力を発揮することから貴族も含めた大衆受けがよく、雨不足のときには雨乞いに成功するなど超越的な力を発揮します。後世「弘法(法をひろめた)大師」と尊称されています。

最澄と空海はお互いに尊敬しあっており、最澄は自分が密については極め切っていないと実感したことから空海に教えを乞います。空海もそれに応じて手紙のやり取りをすることになりますが、多忙な二人にはすれ違いが起きてしまいます。

密は先述したように文字では伝えきれないため、手紙や経典だけでは充分ではないのです。

別々の道を歩んだ二人ですが、二人の死後の宗派の歩みも異なりました。延暦寺は仏教の総合大学のように後進指導が充実し、最澄を超える弟子たちが出てきます。

ちなみに鎌倉時代に、日蓮は法華経を、親鸞は戒律を、道元は禅を延暦寺で学び、それぞれ新しい宗派を構築して鎌倉新仏教が興隆していくことになります。

一方、金剛峰寺の方では空海を超える人物は現れず、そもそも空海自身が即身成仏して死去していないことになっています。今も毎日金剛峰寺では空海へ食事を運ぶことが続いています。

以上、本日の歴史小話でした!

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