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#0138【寛容な帝国、アケメネス朝ペルシア(BC6世紀後半、古代オリエント)】

1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。
バビロンの階級対立に乗じて、他の三王国がその富を狙って蠢動しますが、バビロンも手を打ちます。

三王国で最も勢力が強かったメディア(現イラン)内部にあったペルシア王国をけしかけて独立させます。

ペルシア王をキュロス二世といい、メディア王の孫でした。

キュロス二世はバビロンと同盟を結び、メディアを滅ぼします。BC550年のことです。
この時成立したペルシアのことを他の時代のペルシアと区別するためにアケメネス朝ペルシア王国(帝国)と呼びます・

さて、キュロス二世の軍隊に敗れたメディア王である祖父はどうなったのでしょうか。

キュロス二世は祖父を寛大に扱います。その後の征服戦争の中でも無用な血は流さずにペルシア人以外、イラン系以外の部族や民族であってある程度の自治を認めて、支配地域を広げていきました。

明確に示された文献はありませんが、筆者はアッシリアの失敗から寛容的な姿勢を重視したものと考えています。

BC546年にはリディアも滅ぼしてしまいます。

その後、同盟を結んでいたバビロン内部が政治抗争と民衆の疲弊によって弱体化していることを確認すると、バビロンに攻め込みました。

バビロン市には高い城壁が何重にも張り巡らされていましたが、内応者の手によって城門が開かれました。

どんなに優良なハードを保持していたとしても、それを運用するソフトがなければ意味をなさない好例だと思います。

内部崩壊。国家に限らず、組織が崩れていってしまう一つの頻出例です。

BC538年にバビロンを首都とする新バビロニア王国は滅亡します。それと同時に強制移住させられていたユダヤ人は故郷への帰還が認められ、バビロン捕囚の時期が終わります。

キュロス二世はBC529年に亡くなりますが、息子のカンビュセス二世がエジプトをBC525年に滅ぼしました。

これにより、BC612年にアッシリア帝国が滅んでから約90年の分立時代が終了し、古代オリエントはアケメネス朝ペルシアの時代を迎えます。

世界史の通史シリーズも今後、不定期に掲載していきます。

以上、今週の歴史小話でした!

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発行人:李東潤(りとんゆん)
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